第18話 日歴122年 城下町 上

 ツァイリーは自室でひとり、本を読んでいた。


 三役会議が終わってから、ツァイリーはこの国の常識を身につけるべく、いろんな本を読みあさっていた。今手元にあるのは、30年前の事件について書かれたものである。


 さすがに、お飾りだとしてもライアン奪還作戦の責任者であるため、知っておかなければならないと思い、イズミにお願いしたのだ。


 本には地図もついており、そこでやっとツァイリーは国の位置関係を理解した。


 アサム王国は3つの国に隣接している。北にルーフベルト王国(通称、赤の国)、南西にエドベス帝国、東に件のメルバコフ王国である。

 北と南は海に面していて、北西方向には広大な荒野が広がる。荒野には先住民族が暮らしており、国との境目には高い塀が築かれている。ツァイリーが生まれ育ったエルザイアンはその荒野を越えた先にあり、おそらくツァイリーは荒野を運ばれてここまできたのだろうと推測できた。


 30年前、当時のアサム王国国王ドナード・ルイ・アサム、ギオザの祖父にあたる人物は、メルバコフとの貿易に着手した。メルバコフは織物の技術に優れており、メルバコフの北に位置するアサム領土ライアンに工場建設を許可したのである。

 事業は順調に進んでいると思えた。工場が稼働し、そこで作られた衣料がアサム王国内に出回った頃、突然それは起こった。メルバコフが工場を拠点にライアンを襲撃したのである。

 不意を突かれたアサム王国は制圧を許してしまった。さらに、同時期に謎の皮膚病が流行。

 後の調査から、それもメルバコフの策略であったことがわかった。

 アサム王国は大陸内で3番目に領土が広い大国であるが、屈辱的にもメルバコフの策に嵌まり、皮膚病の治療薬と引き換えにライアンの主導権を放棄することとなってしまった。

 それ以来、アサム王国は古くから親交のあるエドベス帝国以外との交流を絶ち、ほぼ鎖国状態となったのだった。


 そこまで読んで、ツァイリーは月宴会の日のことを思い出した。あの時、なぜ戦争ではなく貿易に踏み切らないのかと考えたが、その理由がまさしくこれだったのだ。

 過去に貿易によって領土が奪われ、病が流行したことがあるから、きっと貿易で状況を打破しようとした先王は批判に曝されたのだろう。彼の死が暗殺だったのならば、それが理由なのかもしれない。


 考え込んでいたツァイリーは、ふと右足に何かが触れる感覚がして、視線を向けた。


「うわっ!」

 ツァイリーはそれが何かを確認すると、思わず立ち上がる。ヤオウがツァイリーの右ふくらはぎに頭をこすりつけていたのである。


 ヤオウは楽しげに鳴くと、ベッドの脇にとことこ移動した。

 そして、絨毯の端っこをくわえて引っ張る。しかし、猫の力ではそれ以上のことはできず、ヤオウは何かを訴えるようにツァイリーを見つめた。


 ヤオウの行動を観察していたツァイリーは、ヤオウが絨毯をめくりたいのだということに気づくと、恐る恐る近くに寄って、ヤオウを警戒しながら絨毯を捲った。

 絨毯の下には一見何もない。何がしたかったんだろうとツァイリーが疑問に思っていると、ヤオウが小さな足で明確に1カ所を押した。

 すると、ガコンと音がして、正方形に床が浮いたのである。


「え……?」

 ヤオウはまた楽しそうに一鳴きすると、床の浮いた部分の角に頭をこすりつけた。

 床はヤオウの頭の動きに合わせてかすかに動いている。

 そこでこの床が持ち上がりそうなことに気づいたツァイリーはそっと両手で床を持ち上げた。すると、人が1人通れそうな穴が出現する。下には階段が続いていて、どうやらここは隠し通路であることにツァイリーは気づいた。

 牢屋からギオザの執務室まで移動するのにも隠し通路を使ったので意外とは思わないにしても、もう何十日もいるこの部屋にまだ知らない場所があったということに驚いた。


 ヤオウはひょいっと穴に入り階段を降りていくと、途中で止まって「にゃあ」と鳴いた。どうやら付いてこいということらしい。


 猫が苦手なツァイリーだが、ヤオウはギオザの特殊部隊らしいし、これもギオザの命令なのかもしれない。

 首輪を付けられているツァイリーとしては、ギオザの命令に背くわけにはいかないので、しぶしぶ階段を降り、扉を元に戻した。


 扉を閉めたことにより、通路は一気に暗くなり、ツァイリーの足取りは危うくなった。それに気づいたヤオウは一瞬にして青年の姿になる。

 一度見ているとはいえ、猫が人間になったのを見ると、やはりツァイリーは驚いた。人間の姿のヤオは、ツァイリーより頭ひとつ分背が低く、中性的な顔つきの青年である。

 声がやや低めで、体つきはしなやかながらも筋肉がついているので女性とは勘違いしないものの、黙っていれば可愛らしさがある。


「まったく、とろくさいなあ」

 ヤオはそう言ってどこからかランタンを取り出すと火を付けた。猫も消え、明るくなったことでツァイリーは安堵する。


「どこ行くんだ?」

「んー、街」

「街!?」

 思わぬ言葉にツァイリーは目を輝かせた。いまだツァイリーは街に出たことがない。いつも部屋の窓から見下ろしては行ってみたいと思っていたのだ。


 それにしてもなんで突然街なんだとツァイリーは思った。

「街に何か用があるのか?」

 当然の疑問をツァイリーは口にした。

「いや特に」

「じゃあ、なんで街に?」

「そういう気分だから」

「気分……?」

 ツァイリーはたっぷり3秒かけて意味を理解すると、叫んだ。


「はあ!? じゃあもしかして、このこと誰も知らないのか!?」

「え? うん」

 ヤオは、だから?と言いたげである。


「俺、戻る」

 引き返そうとするツァイリーの腕をヤオがガシッと掴む。ツァイリーよりも小柄なヤオだが、その力は凄まじく、ツァイリーはどんどんと引きずられていく。


「おい、ギオザにばれたらっ!」

 ツァイリーが危惧しているのはもちろん、ギオザに逃亡したと見なされることである。

「大丈夫大丈夫。暗くなるまでに戻れば」

「そんな子どもみたいな!」

「俺1回も怒られたことない」

 それはお前だからだよ!と叫びたくなったツァイリーだったが、どうにも話が通じなさそうだし、あまりの力強さに振りほどくこともできなさそうなので、一旦諦めることにした。


 確かに昼ご飯を食べてすぐのタイミングだったので、イズミもしばらく部屋に来なさそうではある。ヤオの言うように、晩ご飯に呼ばれるまでに戻れば、不在がばれないかもしれない。それも運が良ければの話だが。


 ツァイリーは良いように考えることにした。ギオザと関わる中で、彼が問答無用で首輪を爆破させるような人間で無いことはわかっている。

 しばらく隠し通路を歩くと、ヤオはある扉の前で止まり、猫の姿に戻った。どうやら開けろということらしい。ツァイリーが扉を押し開くと、庭のような場所に出た。

 人の気配はない。頭上には青空が広がっており、ツァイリーは久しぶりに浴びた日光に目を眇めた。

 ヤオウがとことこと軽快に歩みを進めるので、ツァイリーも続く。どうやらここは城の庭らしい。城は小山の上にあり、三方を森に囲まれている。

 城に用事のある者は街から城の玄関まで続く広い階段を登る。貴族などは階段の下で馬車をとめて、持参した輿に乗って城まで来ることが多い。

 ツァイリーが今いる場所は森に面していて、ちょうど正面玄関の逆側のようである。あまり整備されていないようだ。


 ヤオウは鬱蒼とした森の方へ迷うなく向かっていく。正規の道を通る気は無いらしい。

 ヤオウに続いて森を下っていくと、次第に街が見えてきた。どうやら、あの小山自体が立ち入り禁止区域か何からしく、山のふもとには簡易的な柵が設けられていた。だからなのか、小山と街は隣接しているのにも関わらず、全く人気は無かった。

 柵を乗り越えて進むと、1匹と1人はようやく街に出た。

 ツァイリーは今日特に予定も無かったため、服装は簡易的なものだし、髪型も左右を編み込んで後ろに一つでまとめたいつものスタイルである。

 それにしてもやはり服は上等で、容貌もそこらでは見ないような美男子、さらに猫も連れているとあって目立っていた。


 ツァイリーはヤオウに着いてきたものの、何故かたくさんの視線を感じるし、肝心のヤオウは素知らぬ顔で前を歩いているしで、とてつもなく居心地悪かった。

 しかし、ふと視線を上げると、毎日窓から見下ろしていた街並みが眼前に広がっている。

 たくさんの人、店、建物。目に映るものすべてが真新しく、片田舎で育ったツァイリーにとって街の活気は胸を高鳴らせた。

 ツァイリーがあまりにも周囲をじろじろと見渡すので、不審がられて、次第に視線も集まらなくなっていた。


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