第17話 日歴122年 三役会議 下

「俺上手くやれた?」


 ツァイリーは今朝起きて髪を結ってもらっている時に、突然今日の昼に三役会議があり、自分も参加するということを知らされた。

 ただ「話すな」とギオザに言われ、参加者も議題もよく知らぬまま会議に参加したツァイリーは、一挙一動に気を配りながらこの時間を過ごした。

 思いがけず自分に質問が飛び、発言することになったが、ツァイリーの回答に対するクアトロの反応がどういうものだったのか、ツァイリーにはよくわからなかった。


「及第点だ」

 その答えにツァイリーはほっとした。


「ていうか、俺がメルバコフの人と交渉すんの?」

 言外に自分にそんなことできないだろう、と伝えたツァイリーを、ギオザは一瞥すると「ついて来い」と席を立った。


 向かった先はギオザの執務室である。扉を開けると、執務室の机に人が座っているのを確認し、ツァイリーは驚いた。王様の机に座っているというのももちろんあるが、その顔には見覚えがあったのだ。


「そこに座るな」

「ん? あーごめんごめん」

 ひょいっと軽やかに降りた男は色白で、髪は藍色。ツァイリーよりも頭ひとつ分は背が低い。


「お前、あの時の御者……」

 忘れるわけもない。セゾンの園までツァイリーを迎えに来た馬車の御者で、おそらく睡眠薬を盛ってツァイリーを山小屋まで連れて行った人物だった。


「どうもー」

 男は、驚きを隠せないツァイリーを楽しそうに観察する。

「こいつの名前はヤオ。ライアン奪還作戦では、お前に同行させる予定だ」

「ヤオ……?」

 ヤオと聞いてツァイリーの脳裏によぎったのは、城に住み着いている黒猫のヤオウだった。猫が苦手なツァイリーをいつも驚かせては、彼の反応を楽しむようにちょこまかと動き回る猫である。


「そ! よろしく」

 ツァイリーに近づいたヤオは片手を差し出した。ツァイリーは自分の誘拐犯の一角であろうヤオに微妙な感情を抱きながらも、彼の手を握った。


 ヤオと目が合い、彼の金色の瞳がよく見えた。ツァイリーはそこで、誘拐された時のことをひとつ思い出した。


 誘拐小屋にて、犯人が戻ってきたのだと警戒し、逃げる算段を立てていたツァイリーだったが、そこに姿を見せたのは、犯人ではなくレイディアだった。


 親友があらわれ安心したツァイリーだったが、そのレイディア本人に鳩尾を殴られ気絶し、このアサム王国へと連れてこられたのだ。


 気絶する寸前、ツァイリーはレイディアの違和感に気づいていた。


 あの時のレイディアの瞳は、いつもの薄氷のような色ではなく、金色に輝いていたのだ。


 そう、目の前のヤオのような。


 そこまで考えて、ツァイリーはハッとした。

 荒唐無稽な話かもしれないが、あるひとつの仮説が浮かんだのである。


 もしかして、このヤオという男があの日レイディアに化けていたのではないか、と。


 あの場にレイディアがいる可能性と、このヤオという青年がレイディアに化けていた可能性を比べてみると、まだぎりぎり後者の方が現実的だと思えた。なぜなら、レイディアが自分をあんな力で殴るわけがないからだ。


「ちょっと、お兄さん?」

 顔の前でぱたぱたと手を振られ、ツァイリーは再度ヤオをまじまじと見つめた。


「なに? 俺の顔になんかついてる?」

「俺を誘拐した時、レイディアの姿をしていたのはお前か?」

 ツァイリーは深く考えても仕方がない気がして、はっきりとそう聞いた。

 ヤオは最初きょとんとして、少しして意味を理解すると「あんたすごいな!」と叫んだ。


「あははっ、見ないで気づく人なんて初めてだ!」

 ツァイリーはどうやら自分の推測があたっていたことを知ると、さらにもうひとつのことに気づいた。


「もしかして、ヤオウ……?」

 あの黒猫も、この青年と瓜二つの金色の瞳を持っているのだ。そんなまさか、と思いつつも、聞かずにはいられなかった。


「そうそう!!」

 楽しそうに目を輝かせたヤオは、一瞬のうちに姿を消した。


「にゃあ」

 かと思えば、足元にはあの黒猫がいる。ツァイリーは考えるよりも早く後退り、後ろの扉に背を強打した。

「いっ……」

「あはははっ!!!ほんと、あんた面白いよな!」

 次の瞬間、黒猫が青年に形を変えた。ヤオはヒイヒイ言いながら笑い転げている。


 ツァイリーはそんなヤオを視界に入れながら、どういうことなのかと今一度整理した。

 今、目の前で繰り広げられた光景は、自分の常識を大きく逸脱していた。でも、事実として認めなければならない。


 つまり、ヤオは誘拐の実行犯で、小屋に来たレイディアも彼で、城に住み着いている黒猫ヤオウも彼だったということだ。どういう仕組みかは知らないが、ヤオは人間にも猫にも化けられる力を持っているらしい。


「アザミ、こいつのことは誰にも言うな」

 それまで静観していたギオザに告げられ、ツァイリーは素直に頷いた。そもそも、言ったとしても信じてもらえず、頭がおかしい奴と思われるのが関の山だ。

 

「ヤオは表向き私付きの特殊部隊としてある。ライアン奪還作戦では、何か問題が発生した時にアザミ、お前の影武者となってもらう」

「はいはーい」

 ヤオは笑い疲れたようで、適当に返事をする。


 ツァイリーはやっとギオザの「お前は椅子に座っていればいい」という言葉の意味を理解した。交渉など難しそうなことは基本ヤオがツァイリーに化けてやってくれるということなのだろう。


「ヤオ、床に座るな」

「えーいいじゃん別にー」

 珍しくギオザはため息をつくと、ヤオの行儀の悪さは諦めているのか、椅子に腰掛けた。


「お前はこの先、貴族と関わる機会が増えるだろう」

 ツァイリーはどきりとした。今日のあの会議でさえ、自分が国の事情さえ知らず、ただ脅されてこの場にいるということを悟られないために相当気を遣ったというのに、これから先こんなことが増えるだなんて考えたくもない。


「ひとつ警告しておく。マツライ家には気をつけろ」


 ツァイリーはその家名を初めて聞いた。今日の会議にはいなかったので、御三家ではないようである。


 どうしてマツライ家に気をつけるのか聞こうと思ったツァイリーだったが、執務室の扉が叩かれたことで、それは叶わなかった。


「入るわよ……あら」

 そこにあらわれたのはリズガードだった。床に座るヤオを視界に捉えると、珍しく顔が曇る。


「あんた、いたの」

「よお、おじさん」

 おじさん、という言葉にツァイリーは息を呑んだ。リズガードにその言葉はどう考えても不釣り合いだし、なによりも……。


「あ゛?」


 地を這うような低い声に、体が硬直する。それを真正面から浴びたヤオはあろうことか笑っている。


「誰が、おじさんだって……?」

 あきらかに怒り心頭のリズガードの声は普段の彼のものとは全く違っていて、ツァイリーは自分が怒られているわけではないのに萎縮した。


「おじさん」

 ヤオはリズガードを指差して再度そう言った。リズガードは頬をぴくぴくさせて、怒りのままに口を開く。

「てめえ、毎度毎度ふざけんなよ。その口縫い付けてやろうか、ああ?」

 ツァイリーはリズガードのいつもの口調が崩れたことに驚いた。あの美貌で、あの身長で、あの声で、あんな風に言われると、ただただ怖い。

 ツァイリーはリズガードの元軍団長たる一面を見た気がした。


「いい加減にしろ。用件を言え」

 ギオザが淡々とそう告げたことで、一気に不穏な空気は霧散した。ツァイリーはギオザに、これまでにないほど安心感を覚えた。

 リズガードはヤオに向かって舌打ちをすると、ギオザに向き直った。

 ヤオは全くリズガードを恐れていないらしく、「おーこわいこわい」と笑っている。


「さっき、帰りがけのヨコバ家当主から晩餐会の招待を受けたわ。ぜひアザミも一緒にだって」

「俺も!?」

 ツァイリーは嫌そうに叫んだ。

 猛烈な体づくりによって見た目こそなんとか王族然としているツァイリーであるが、そういう場でのマナーなどは全くわからない。


「そうよ。どうする? ギオザ」

「参加してこい。断っても角が立つ」

「わかったわ……こういうの、1個参加したら芋づる式なのよねえ」

 やれやれ、とリズガードが息をつく。リズガード自身もそういう会はあまり好きではないらしい。


「アザミ、あたしに世話かけさせないでよね」

 リズガードはツァイリーにそう言ってから、ヤオをひと睨みすると、部屋から出ていった。


「近々、招待状が届くだろう。当日までに、礼儀を身につけろ」

 ツァイリーはギオザの言葉に頷きながら、心の中でため息をついた。そんなこと言われても、そう簡単に身につけられるものなのだろうか。


 心配していたツァイリーだったが、その日から晩餐をギオザと一緒にとることになり、食事のマナーについては強制的に身につけさせられた。なにか不作法をすると、ちくりと一言ギオザに注意されるのである。それ以外のマナーについては座学式でイズミに教わった。


 本番でそれを実践できるかは神のみぞ知る。


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