籠の中の赤い鳥(4)

「ちょっと一緒に休憩しない?」

明の問いかけに、僕は二つ返事をした。


明は休憩中と書かれた看板を持って、お店の外に出るとドアノブにひっかけ、戻ってきた。明が持ってきた冷たい麦茶の入ったコップを受け取ると、僕はじっと部屋の壁を見つめる。


「僕は学生時代いじめられていて、学校に行けなくなったって言ったよね。そんな僕を両親は咎めなかったんだ」

コップを持つ手に力が入る。


「うん」


「そんな両親だったから、僕はおもちゃを思う存分作れて、感謝しているんだ。でも本当はそれだけじゃなかったこと、僕の存在が両親の心の中には無かったからだったってこと、気づいてた」

志崎は頷くことはせず、「うん」ともう一度言った。


「最初は親も真剣にいじめという問題を解消するために動いてくれてた。けど、解決したと思えばまたいじめられて帰ってくる僕に対して、諦めていたんだと思う。お父さんに、お前は変わっているから仕方ないと言われたんだ」

麦茶を飲む。腕毛が店内の冷房の風に撫でられ、やけに冷たく感じた。


「仕方ないから諦められていたんだと思う。それでも両親は僕に対して優しかったよ。好きなことをして生きていても、そのうち仕事が与えられる世の中になったからね」


「本当はずっと気にかけて欲しかったし、心配して欲しかった?」

と、志崎は僕の方を見ずに言った。僕は目の奥から涙が滲むのを感じた。志崎は、僕の答えを待たずに続けた。


「親には認めていて欲しいよね。どんなに不出来でも、どんなに変わっていて、他の人とは違うとしても、みんなと同じことが出来なくても」

僕は頷いた。


「両親には感謝しているし、もちろん今でも大好きだ。だけど諦められてからは心の奥底で孤独を感じてた」

大切だから向き合いたくて、大切だから向き合って欲しい。それがどんなに苦しいことでも、面倒なことでも、しっかりと目の前の椅子に座って話を聞いて欲しかったんだ。僕を見て欲しかったんだ。


「だけど、今は高塚さんや明がいてくれるし、僕という人間を理解してくれる仲間や家族のような存在だと思っているから、僕はその気持ちから解放されたと思う」


志崎は何度か頷くと、「本土でお母さんとお店をやっていたって言ったでしょ。便宜上お母さんってことになっているけど、実の母親じゃないんだ」と言って、平然と笑い声をこぼした。


「実の親からは、ずっと虐待された。髪の毛を鷲掴みにされて、外に出されて殴られることもあった。お父さんは、私が物心つく前に離婚していてね、どこに住んでいるのかも知らない。一緒に住んだ記憶もないから、他人みたいな感覚なんだ。だから会いたいと思うこともない。そんな環境だったから、お母さんが一人で私を育てていたんだ」


お店の外では子どもがはしゃぐ声が微かに聞こえた。


「お母さんは、私が目立つことを極端に嫌がってた。お前はブスだからとか、貰い手が見つからないと困るから勉強よりも家事をしろとか。体力テストで一位をとった時も、お前は昔から運動神経が悪いはずだって、何かと理由をつけては私を貶してた。多分そうやって私を貶すことが、お母さんにとって自身の自己評価を上げるためだったんだと思うし、仕事のストレスの発散だったんだと思う。私も創と同じでね、少し変わっていたから、それも鼻についたみたいだった。変なことを言うなってよく言われたなぁ」


明が麦茶を飲むと、喉が小さく鳴った。


「でもね、私はお母さんが大好きだったんだよ。だって、唯一の家族だし、お母さんは脆い人だから、私が精神的な支えになってあげなきゃって思ってたんだ。けど、分かり合えなかった。私の方法じゃ無理だったんだ。お母さんは色んな男の人と付き合って、別れては泣いて、私がいるせいだとは言わなかったけど、お前なんか生まなきゃよかったって言ってた」


親にそんな言葉を言われたら、どれほど胸が痛いか。僕には想像もつかなかった。


「家にいることに耐えきれなくなって、私は十六歳の時に家を飛び出した。当時は悲しくて、悔しくって、お母さんと仲良くできない自分を責めてた。涙でぐしゃぐしゃになりながら走って、疲れたなって思った時、目の前にあったのが、一軒の花屋だった。お店の前に並べられてる花を見て、いいなって思ったんだ。どんな色でもどんな形でも愛されて、羨ましいなって、そう思ったら、自分が醜くて仕方なくて、蹲って泣いてた。そしたら、店員さんが出てきて、あ、今のお母さんね。私の話を沢山聞いてくれた後に、うちに来たらいいよって言ってくれたんだ。そんなの無理に決まってると思ってたけど、彼女が母に交渉してくれて、思ったよりあっさりと承諾してくれて、私はその人のお店に住み込みで働くことになった」


「大変だったんだね」

かけたい言葉はあるはずなのに、上手い言葉が出てこないなと、僕は自分自身に失望していた。


「今となっては全部いい思い出だよ。花屋で働き始めたら、毎日がまるで嘘みたいに明るくてね、楽しくて、充実し始めた。今のお母さんはすごく優しい人でさ、血の繋がりなんてないのに、なんでも親身になって話を聞いてくれたんだ。時には叱られたこともあった。もっと自分を大事にしなさいって。私が少し落ち込んでたら、どうしたのって聞いてくれるんだよ。そんな幸せなことってあっていいんだって思ったんだ」


志崎はそのエピソードを噛み締めるかのように目を閉じた。


「その時思ったんだよ。確かに私たち人間は家族として血を繋げて生まれてくる。だからといって、みんなが分かり合えて、仲良しこよしってわけじゃないってことに。その環境や、相性があって、感性があるから、どうしても気が合わない人は家族の中にも存在する。それに、血の繋がりなんてなくても、親子みたいな絆も築けるんだってことも分かったんだ。だからさ、ただそれだけのことなんだよ。だけど、子どものうちって分からないんだ。家族は温かくて当たり前だって、世間が教えるから。常識と違う冷たい関係性。それを変えたくて変えたくて抗って、それでも変わらないから、当時は苦しかった」


そう言い終えると、深呼吸した。明が歩んできた世界は、僕の想像を超えるほど苦しいものだっただろう。


「だからね、創の作ったものを見た時に、感じたんだよ。これだよこれ。私が求めていたものはってね。だって、世界の常識なんかないんだ。この島には」


そう言って、いつものように無邪気に笑った。

僕の表情はしんみりしているはずなのに、明はこの話の最中ですら、一度も表情を曇らせなかった。


「可哀想って思わないでね。今までがあったから、今が最高に幸せなんだ」

僕の肩をポンっと優しく叩くと、志崎は笑顔を向けた。


「うん、話してくれてありがとう」


「こんな辛気臭い話を長々と聞いてくれて、こっちこそありがとね」

志崎の笑顔はとても素敵だ。その笑顔がこれからもずっと続きますようにと、強く祈った。

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