4-20 最後の一日(2)

 亜麻色の髪の王と黒髪の王妃は二人で、淡く色づく春の花々に埋もれていた。深く息を吸い込めば、花と草の青々しい匂いが鼻の奥をくすぐった。


(私は嘘つきだな)


 自虐的に心の中でつぶやくが、不思議と罪悪感はない。


 腕の中のイェレは、自分よりも細いけれども固い大人の男性の身体だった。しかし反応はやはり子供っぽくて、抱きしめ返されても無垢な愛情と少し熱めの体温以外は何も感じない。


「陛下は本当に、私で良かったんですか」


 イェレの亜麻色の髪に顔をうずめ、ギジェルミーナはその耳元にささやく。

 するとイェレは、澄んだ声でギジェルミーナの問いに答えた。


「ギジェルミーナはせかいでいちばん、やさしくてきれいなぼくのおうひだよ」


 顔が見えない分、そのややずれた答えはギジェルミーナの心に深く響く。


 しばらく一緒に過ごした上で、イェレはギジェルミーナのことを大切に想ってくれている。そのことを改めて伝えられ、始まりがどうであっても、ギジェルミーナは自分がイェレに本当に愛されているのだと思うことができた。


 だが同時に「世界で一番優しくて綺麗」という称賛は自分にはあまりにも過剰で、一体ギジェルミーナの何を見ているのかイェレに問いただしたい気持ちにもなる。


(私が世界に誇れるのは、世界帝国の皇女に生まれたことくらいだろう)


 自分を美しいとも思いやりがあるとも思ったことがないギジェルミーナは、イェレはきっとギジェルミーナを現実とは違う姿に見ているに違いないと感じる。

 だからやはり綺麗なのは銀とルビーの耳飾りであって、地味で可愛くないギジェルミーナではないはずだった。


「では陛下は、世界で一番素敵で愛しい私の王様です」


 ギジェルミーナはイェレの見ている美しい自分を壊さないように、真っ当な王妃を演じる。

 たとえ取り繕った嘘だとしても、嘘に気づかないイェレはその反応が嬉しかったようで、顔を上げてギジェルミーナを見つめて笑った。


「うん。ぼくはきみがいてくれるから、せかいでいちばんしあわせなおうさま」


 日に照らされたイェレの笑顔があまりにも綺麗だったので、ギジェルミーナはもう何も言えなかった。


 たまたま婚約者であっただけで、ギジェルミーナが特別に愛されるべき理由は本来は何もなかった。

 イェレは幽閉されて孤独だった幼少時に、ただの政略結婚の相手だったギジェルミーナを将来の家族として理想化していたに過ぎない。


 だが虐げられた子供の思い込みや勘違いだからこそ、イェレの愛は無償で、恐ろしいほど純粋だ。

 ただそこにいるだけでギジェルミーナのことをすべて肯定してくれるのは、イェレの他には誰もいない。


(こんなにも私を好きだって言ってくれるイェレを、私は殺そうとしてる)


 自分の腕の中にあるイェレの身体の温度や感触、真っ直ぐに好意を伝える瞳を、深く記憶に刻み込む。

 ギジェルミーナは冷静な切れ者というわけでもないが、普通よりは情が薄い人間だった。


 だがそれでもさすがに、イェレを殺せば自分も傷つくだろうと予見する。


 イェレはギジェルミーナを好きでいてくれているし、ギジェルミーナもイェレをそれなりに愛している。

 些細な装飾品の紛失にも喪失感があるのだから、相思相愛の夫を殺せばもちろん辛いだろう。


(しかしだからこそ、私はイェレを殺せるのかもしれない)


 ぼんやりとイェレの顔を見ながら、ギジェルミーナは決意をさらに固くする。


 イェレへの愛に、逆に背中を押されたような気がした。奪われ続けた王であるイェレから最後に命を奪うことができるのは、イェレに誰よりも愛されている自分だけであるように思えた。

 辛くて苦しい結末であればあるほど、ギジェルミーナはそれを成し遂げてみたくなる。


 やがてイェレが、二人で花に埋もれているのに飽きて起き上がる。


「あっちにも、きれいなみずうみがあるよ」


 ギジェルミーナの手を引いて、イェレが駆け出す。

 土を払う時間もなく、ギジェルミーナはイェレについて行った。


 それに従って、侍女や供の者も移動する。


 ギジェルミーナは、自分が先ほどまでとは違う世界にいるような気がした。

 だが花の色もイェレの手のぬくもりも実際はそのままで、変わったのはギジェルミーナ一人である。


 ギジェルミーナは薄茶のケープが揺れるイェレの後ろ姿を見ながら、どこか知らない場所へ続く高原を歩いた。

 これがイェレとの最後の思い出になるのだろうと、そう思っていた。

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