4-19 最後の一日(1)

 カミロから書簡を受け取った翌日は、風邪の治ったイェレがギジェルミーナと城外へ出かける約束をした日であった。

 ちょうど都合が良いと考え、ギジェルミーナはその日を最後にイェレにとびきり優しくする別れの日にする。殺す前に楽しませてあげようという、ギジェルミーナなりの気遣いだ。


「きょうはすごく、いいてんきだね」


「はい。出掛けるのにちょうどよい日です」


 馬車の窓から外を覗き込んで、ギジェルミーナの隣の席に座るイェレがはしゃぐ。


 イェレの言葉通り、窓の外はほどよく晴れた春の陽気が気持ちが良さそうで、新緑の輝く田園風景が馬車の進む速さで軽快に視界を流れていく。

 しかしギジェルミーナは外の景色を見ずに、陽光に照らされたイェレの絵のように整った横顔を見つめていた。


(かなり楽しみにしてくれていたようだし、今日は頑張って最後にふさわしい日にしてあげなければ)


 嬉しそうに景色を眺めているイェレの様子に、ギジェルミーナは改めてまごころを込めて過ごそうと思う。


 グラユール王国の自然の中を走る馬車は小回りがきく小さな一頭立てで、ギジェルミーナとイェレは狭い座席に二人でいた。

 侍女や供の者は別の馬車や馬に乗っていて、国王の外出を安全なものにする。内乱への対応等の任せる仕事が多くあったので、ヘルベンは城に置いてきた。


 やがて馬車はいくつかの林を抜けて、昼前には山の麓に着く。御者の腕が良かったのか、非常に快適な道のりだった。


「ほら、ギジェルミーナ。はなとちょうちょ、きれいだよ」


 馬車を飛び出すなり、イェレが明るく素朴な言葉で景色を喜ぶ。


「そんなに綺麗なんですか?」


 ギジェルミーナが後を追って金の留め具付きの革靴で馬車を降りると、そこは山頂に雪を残して春を迎えた山々がすぐ近くに見える高原だった。


 澄んだ空にそびえ立つ山々の緑の濃さをより引き立てるように、あたり一面には青い春咲きのリンドウや可愛らしい薄紅色のプリムラの花々が広がっている。

 春の太陽に照らされた小さな花は一つ一つが瑞々しく、淡くともはっきりを色づいて輝いていた。その花と花の間を、鮮やかな黄色の蝶が飛んでいた。


 普段よりも質素な薄茶のケープを羽織って花々の中に立ち、ギジェルミーナに手を差し伸べるイェレは、何も言わなければごく普通の優しげな青年に見えた。


「そうですね。本当に、色とりどりの絨毯みたいです」


 ギジェルミーナはイェレの側まで歩いていき、その差し出された手をとった。そして上品な王妃らしい言葉で、目の前の素晴らしい自然を語る。


 侍女や供の者たちは、二人の時間を邪魔しないように遠くで見守っていた。


 イェレはこの場所をよく知っているようで、いたずらっぽく微笑むとギジェルミーナの両手を掴んだ。


「ここでねころんでも、たのしいんだよ」


 そしてイェレはギジェルミーナと二人で舞踏会で舞うようにくるりと回り、そのまま花の中に倒れ込む。


 引っ張り込まれたギジェルミーナは、イェレに覆い被さる形で地面に手をついた。

 どの花も草丈が高く密集して生えていたので、衝撃はそれほどない。


(これじゃ絨毯じゃなくて寝台だな)


 自分の身体のすぐ下で、花に埋もれてこちらを見ているイェレの澄んだ表情を、ギジェルミーナはしげしげと見つめる。ちょうど頭の上に綺麗に花々が並ぶ様子は花冠を作ったようで、薄青や薄紅の花の色がイェレの亜麻色の髪に映えていた。


 ギジェルミーナは服が地面につくのも気にせず、イェレを押し倒したような姿勢のままでいる。 


 高原に出かければ土で汚れることもあるかもしれないと思っていたギジェルミーナは、絹よりも洗いやすい、袖や裾を赤い刺繍で縁取った亜麻布のドレスを着ていた。服が簡素な代わりに、耳飾りや指輪などは故郷から持ってきた上等な宝石を使ったものを身に着けている。


 寝転んだままのイェレは、ギジェルミーナとその後ろに広がる青空を遠く見上げた。


「そらと、くもも、きれいだね」


「春らしくて優しい、やわらかな青空と雲ですよね」


 背中に陽の光の暖かさを感じながら、ギジェルミーナは頷く。ギジェルミーナはそのとき空を見てはいなかったが、イェレの薄い水色の瞳に映っているものについて考えれば言葉は自然と口をついて出た。


 ギジェルミーナがイェレの瞳を見つめ続けていると、イェレは遠い空に手を伸ばすのと同じ調子で、ギジェルミーナの耳飾りに触れた。


「ギジェルミーナのみみかざりも、きれい」


 イェレは白く細い指でそっと、銀の籠型の飾りにルビーを嵌めて吊り下げたギジェルミーナの耳飾りを撫でる。

 耳を直接触られたわけではないのだが、どこかこそばゆかった。


「これは職人に注文して作らせた、特別な耳飾りですから」


 実際に注文したのは衣装係であるが、ギジェルミーナはその耳飾りを気に入っていた。だからその出来栄えを自慢する。

 しかしイェレの語彙の少ない賛辞は耳飾りだけではなく、それを身に着けているギジェルミーナにも向けられた。


「みみかざりだけじゃなくて、ギジェルミーナもきれいだよ」


 ギジェルミーナと視線を合わせたイェレが、花や蝶を見ているときよりも、一層明るい笑顔になる。イェレにとっては何よりも、ギジェルミーナが大事なのだ。


 容姿を褒められることに慣れていないギジェルミーナは、半ば照れ隠しにイェレに一つ提案をした。


「ありがとうございます。今日の記念に、これに似た耳飾りを作って陛下に贈りましょうか」


 よくよく考えてみると、ギジェルミーナがイェレに贈り物の約束をするのは初めてのことである。

 ギジェルミーナから何かをもらえると聞いたイェレは、目を輝かせた。


「ほんとうに、ぼくにくれるの?」


「はい、お揃いにしましょう」


 不必要に優しい声で、ギジェルミーナは答える。

 今日が終われば殺すつもりなのに、未来のことを約束するのは誠実ではないと、自分でも思った。


 だがイェレはそんなことは知らないので、嬉しそうにはにかんでお礼を言う。


「ありがとう、ギジェルミーナ。ぼく、すごくたのしみにしてる」


 イェレはギジェルミーナの心を疑うことなく、約束された日が来ることを信じている。


 そのひたむきな信頼を可能な限り受け止め、ギジェルミーナはイェレの細い手首を掴んで引き寄せた。そしてそのまま花の上で横になって、山々と反対側にある王城の尖塔と街を、イェレの頭越しに見る。

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