4-18 毒の小瓶

 長兄アルデフォンソに出した書簡がオルキデア帝国に届き、その返書を携えたカミロがグラユール王国の王都にやって来たのは、生け垣の白樫が新葉を伸ばしはじめた春の午後のことである。


 城を下から見上げる低い位置にある庭園の木陰に設けられたベンチに座り、ギジェルミーナはカミロに会った。


「こちらが、皇帝陛下からのお返事です」


「ああ、さっそく見せてもらおう」


 カミロから金の筒に入った書簡を受け取ると、その場で見事な象嵌細工が施された筒をふたを開け、中の羊皮紙を広げる。


 ギジェルミーナは当然アルデフォンソは要請に応じてくれるものだと信じ、疑うこともなく書簡に目を通した。

 しかしその羊皮紙に書かれた長兄の筆跡は、ギジェルミーナがまったく考えてもなかったことを綴っている。


「これは何だ?」


 自分の目を疑い、ギジェルミーナは顔を上げてカミロに尋ねる。

 その疑問符に、カミロはギジェルミーナの様子を伺うように、書簡に記されている内容が嘘ではないことを告げた。


「ギジェルミーナ様が、読んだ通りです。皇帝陛下は、ギジェルミーナ様がイェレ国王陛下を暗殺することをお望みです」


 聞き間違いようもないほどはきはきと、カミロは祖国の長兄の意思を語る。


(兄上はまた、勝手なことを)


 想定よりもずっと思いやりのない兄の返答に、ギジェルミーナは苛立った。


 アルデフォンソは嫁いだ国の危機に援助を求める妹に、夫である国王を暗殺しろと命じていた。イェレを殺すことと引き換えに、援軍を送ると言うのだ。


「私にイェレを殺させてどうする」


 ギジェルミーナは声を少々荒げる。花壇や噴水から遠い庭園の隅は人の気配がなく、会話を聞かれることはない。

 腹を立てているギジェルミーナに、カミロはそっと書簡の続きを読むように促した。


「グラユール王国の王位継承権をお持ちのデルフィノ様とギジェルミーナ様がご結婚して、この地をオルキデア帝国の領土として支配する計画だと書いてありますよね」


 デルフィノはオルキデアの皇族の末端にいる青年で、ギジェルミーナの従兄弟にあたる。彼の父はグラユール王国の王家を出自に持つ人物であり、彼自身もグラユール王国の王位継承権を持っていた。

 グラユール王国をオルキデア帝国の領土にして、デルフィノをその領主にしたいというアルデフォンソの考えは、ギジェルミーナも書簡を読んで理解している。


「そうだ。従兄弟のデルフィノと私がこの国の支配者になれば、グラユールは完全にオルキデア帝国の一部になる」


 ギジェルミーナは書簡を強く手で叩いた。イェレを殺すように命令されたことも気に入らなかったが、同時に無理な再婚を決められたことも許せない。


「皇帝陛下はおそらく、イェレ国王が弱い立場でいることが自国の不利な状況につながるのなら、この地を直接支配化に置きたいのです」


 素朴な顔は本人に何も似ていないが、カミロは控えめな言葉でアルデフォンソの考えを代弁した。


 皇帝アルデフォンソは数多の国を侵略し領土を広げてきたオルキデア帝国の歴史を受け継いだ支配者であり、ギジェルミーナはその妹である。

 かたやイェレは、内乱後の混乱の中でなんとか即位できた傀儡の王でしかない。


 世界で最も力を持っているオルキデア帝国から来た王妃のギジェルミーナなら、イェレを暗殺し、グラユール王国を祖国の領土の一部にしてしまうことは可能だろう。


「だから私にイェレを殺せと?」


「ギジェルミーナ様には、選ぶ権利があります」


 何とか冷静さを取り繕い、ギジェルミーナはこの場にはいない兄への問いを口にする。

 するとカミロは今度は臣下としての立場に戻って発言し、一つの小瓶をギジェルミーナに手渡した。


「遠い東の国に生息している、怪鳥の羽根からとれた毒だそうです。飲み物や食べ物に混ぜて使います。毒性が強く少量で熱病に似た症状が出て死に至るものらしいですから、取り扱いには十分気をつけてください」


 手のひらに収まるほど小さな小瓶は、丈夫で硬い金属でできていて、振ると液体が揺れる音がする。

 ギジェルミーナはその小瓶を、反射的に黙って受け取った。


(私はイェレを殺すんだろうか。それとも殺さないんだろうか)


 半信半疑な気持ちで、ギジェルミーナは考え込む。


 長兄アルデフォンソは、妹がどこまで冷酷になれるかを、遥か高みから試していた。

 きっとギジェルミーナが暗殺の命令を断っても、別の誰かがイェレを殺し、すべては兄の思い通りになるのであろう。


(だったら別に、私がイェレを殺してもいいんじゃないのか)


 落ち着いて状況を見てみると、身も蓋もない考えが頭をよぎる。


 確かに、他人からも身内からも、勝手に命令されるのは腹が立つ。

 しかし正直に言えばギジェルミーナには、イェレを殺してみたい気持ちがあった。王であるイェレを殺したらどんな気分になれるのかを、知りたかった。


 ギジェルミーナは王冠を与えられた王を殺してすべてを奪ってみたいという幼少時の願いを、今日まで押し殺して生きてきたのである。機会があるならば当然、夢を叶えてみたい。


 だが自分の行動が結局兄アルデフォンソの意向に沿ったものになるのがしゃくで、素直に従う意思を示すことはできなかった。


「兄上への返事は、もう少し考えてから書く。それまでお前はオルキデアに戻らずに待て」


 小瓶をドレスの内ポケットにしまい、ギジェルミーナはベンチから立ち上がる。


 カミロは冷めた反応の主を一瞬、目をすがめて見つめた。


 長い間侍従を務めていたカミロは、ギジェルミーナが返答を先延ばしにする裏で、イェレを殺す決意を固めていることを見抜いているはずだった。そうでなければきっと、ギジェルミーナが毒を受け取ることはないからだ。


「かしこまりました」


 余計なことは何も言わずに頭を下げて、カミロはその場を去る。


 カミロのくすんだ金髪が庭園の木陰の向こうに消えて行くのを見届けてから、ギジェルミーナは深く息をついた。

 脳裏に浮かぶのは、孤独を恐れ、つたない言葉で誓いを望んだイェレの姿である。


(イェレより長く生きるって約束は、私がイェレを殺しても守ったことになる。だからきっと大丈夫だ。私はイェレを裏切らない)


 レースで縁取られた藍色のドレス越しに毒の入った小瓶を握り、ギジェルミーナはイェレを殺すことを決めた。


 未熟で一途なイェレのことはそれなりに真面目に愛していたので、暗殺はまったく痛みのない決断というわけではない。

 しかしどちらにせよ死ぬしかないのなら、ギジェルミーナが手を下すのがイェレにとっても幸せなのだと勝手に信じる。


 春の暖かな日差しに反して、ギジェルミーナの手は冷たくなっていた。だが心は不思議と熱く、何かの期待に満ちていた。

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