2-7 淑女が銃を撃つ理由(1)

 ダラの手配した馬車に乗ったアスディスは、混乱して逃げ惑うハーフェンの住民を横目で見つつ、ヨアヒムの元へ向う。

 肉屋も、鍛冶職人も、雑貨を売る女も、街ではどんな職業の住民も荷物をまとめて身を守れる場所を探している。


 逃げ道や手元を照らすために街のあちこちで物が燃やされていて、夜でも赤々と明るい不思議な色の空だった。

 髪を結う暇もなく飛び出してきたアスディスは、馬車の窓からその空を見上げて、困難に直面している人々に浅い同情をした。


 領主の屋敷に到着すると、いつもと同じように無愛想な小姓が出迎えたが、彼はもう半ば仕事を放棄した様子で顎でしゃくる。


「主はいつも通り寝室にいますから、どうぞお進みください」


「言われなくても、そうさせてもらうよ」


 投げやりな小姓の指示に反感を抱きつつも、アスディスは屋敷の中に早足で進んだ。


 逃げ足の早い家来が多いのか、元々人が少なかったのか、時折召使いの少年が小走りで部屋を出たり入ったりするくらいで目に入る人影は少ない。

 だから趣味の悪い絨毯の敷かれた廊下は、思ったよりも静かだった。


 やがてヨアヒムの寝室に着いたアスディスは、勢いよく扉を開けて恋した相手の名前を呼んだ。


「ヨアヒム」


 大声を出したつもりはなくとも大きい、張りのあるアスディスの声が響く。


 街の主であるはずのヨアヒムは、たった一人で取り残されたように、背板に金色の飾りのついた寝台に座っていた。

 上等な布で仕立てた 長衣トーガを脱ぎ捨て、白いシャツに革の脚衣を着たヨアヒムの姿は、いつも以上に儚く見える。


 暖炉は消え、大きく開かれた窓から風が吹き込む寒く暗い部屋で、ヨアヒムは俯いていた顔を上げアスディスを迎えた。


「やはり、君は来てくれた」


 アスディスの呼びかけに応えるヨアヒムの顔は、暗さでよく見えなかった。

 しかしその声が震えてかすれていたので、鈍感なアスディスでもすぐにヨアヒムが泣いていたことがわかった。


(ヨアヒムは責任感がないわけじゃないから、仕方がないか)


 領主らしく民を幸せにできない状況を嘆いているのだと思って、アスディスは深く考えずにヨアヒムの側に寄った。


「ハーフェンが陥落するなら、連れていけると思ったから。ヨアヒムがいてもいなくても、この街はオルキデアの軍に破れて終わるんでしょ」


 アスディスは寝台に座るヨアヒムの前に立ち、立つのを支えるつもりで腕を掴む。

 しかしヨアヒムは、寝台に腰を下ろしたまままた俯いた。


「そう。オルキデア帝国はこのユルハイネン聖国と違ってよくできた国だから、きっとこの街も見事に攻略するだろうな」


「だからヨアヒムが私と一緒に逃げても、全然問題はないんだよね」


 なかなか動き出さないヨアヒムに、アスディスは急かしたい気持ちを押し殺して話しかける。

 アスディスが腕を引っ張ってやっと、ヨアヒムは立ち上がった。

 だが口を開いて言ったその言葉は、アスディスが聞きたいものではなかった。


「アスディス。残念だけど僕は、君と一緒には行けない」


 ヨアヒムは泣きはらした後の妙に落ち着いた目でじっとアスディスを見つめて、はっきりと別れを告げた。

 決断はアスディスの知らないうちに下されていて、ヨアヒムの表情はすでに覚悟を決めている。


「それならオルキデアの捕囚になるの? あなたの妹君みたいに?」


 ヨアヒムが何を考えているのかわからないアスディスは、声を荒げて疑問をぶつけた。


 東の神殿で大聖女を務めていたヨアヒムの妹の王女は、神殿の陥落によってオルキデア帝国の捕囚となり、今は敵に丁重に扱われて生きている。

 アスディスはヨアヒムが妹と同じように、敵の支配下で敗者としての責任を全うしたいのかと思う。


 しかしヨアヒムはかぶりを振って、アスディスが示したもう一つの道も否定した。


「僕は妹と違って、生きるか死ぬかを敵に決めさせるつもりもない」


「じゃあヨアヒムは……」


 アスディスはヨアヒムに問いかけて、その先の言葉を失った。ヨアヒムの望みはわかったけれども、それを口にしたくはなかった。

 だがヨアヒムは、アスディスを最も困らせる形で、最も聞きたくない答えを口にした。


「アスディス。僕は君にここで殺してほしい」


 ヨアヒムはそう言って、寝台の上に置いてあった長銃を手にして、アスディスに差し出した。

 艷やかに磨かれた木材と金属を組み合わせて造られたその銃は、武器商人の娘であるアスディスがヨアヒムに売った商品だ。


「嫌だ。やりたくない」


 アスディスは銃を受け取らず、考えるよりも先にヨアヒムの願いを拒絶した。


 人殺しの道具を売った金で暮らしてきたアスディスであるが、人を殺したことはなかったし、また殺したいと思ったこともなかった。

 だからそもそも自分はヨアヒムが殺せるほど好きなのか、それとも殺せないほど好きなのか以前に、引金を引く行為そのものが嫌だった。


「だいたいなんで、ヨアヒムがこんなところで死ぬ必要があるの。どうせ頑張ったって守れない国なんだから、敵か誰かにあげてしまえばいいでしょ」


 馬鹿な考えを捨てさせるために、アスディスはヨアヒムに詰め寄った。


 アスディスはアスディスなりに真心をもってヨアヒムに恋をしてきたが、ヨアヒムにとっては戯れに付き合った結果に過ぎないはずだった。だからヨアヒムはアスディスを想っていないからこそ殺害を頼めるのだと、そう思って腹が立った。


 聞く耳を持たないアスディスを説得するために、ヨアヒムはそっと優しく言い聞かせるように抱き寄せた。

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