2-6 敵の急襲

 最初は些細な欲であっても今は少しでは物足りず、アスディスはヨアヒムとまだまだ長く過ごしたかった。


 しかしハーフェンは特別に面白いものはない街なので、何週間も滞在していれば船員たちも不平を言う。

 さすがにアスディスも滞在を引き伸ばす理由が尽きてきて、これからどうするべきか迷っていたある夜。


 船の自室のベッドに座り本を読んでいたアスディスは、どこかで大砲が撃たれたような音を聞いた。

 一度くらいならそのまま気にせずに過ごすこともできるくらいの音なのだが、それが断続的に何度も続くので、アスディスも流石に不思議に思う。


(一体、この音は何だろう)


 異変を感じ寝間着のまま部屋の外に出てみると、ちょうど侍女のダラが梯子を降りてきたところだった。


「アスディス様」


 甲板から聞こえてくる船員たちの声や足音は慌ただしい雰囲気であったが、ダラは特に焦った様子もなく、悠々といつもの男物の服で床に降り立つ。

 だからアスディスも特にうろたえることなく、余裕を持って状況を確認した。


「ずっと大砲みたいな音がしてるけど、これは何?」


「大砲みたいじゃなくて、大砲ですね。どうもオルキデアの軍が陸路で現れ、ハーフェンの攻撃を始めたようです」


「オルキデアの軍が、そんなに急に?」


 あっさりとしたダラの報告の内容に、アスディスは少し驚く。


 確かに、ユルハイネン聖国はオルキデア帝国と戦争中であり、この港町のハーフェンも戦争に巻き込まれる可能性はあった。戦争の影が迫っているからこそ、武器商人の娘であるアスディスもこの街にいる。

 しかしオルキデア帝国の軍が東の大聖女を祀る神殿を攻略したという話はあっても、直近でハーフェンに迫るという噂はまったく聞かなかったのだ。


 状況を把握できていないアスディスの疑問に、ダラは堂々と落ち着いて手短に答える。


「オルキデアの軍を率いている将軍が結構有能であるらしくて、越えるのが難しい山を越えて来たという話です」


 移動が難しい急峻な地形があれば、その方面の守備は手薄になる。どうやらハーフェンはそうした思い込みの隙をつかれた結果、急な攻撃に直面しているようだった。


「じゃあこの街に、勝ち目はないんだ」


 襲来した敵が有能だと聞いたアスディスは、ヨアヒムの戦争に対する諦めぶりを思い出し、敗北を確信する。

 ダラもアスディスの意見に即座に同意し、頷いた。


「おそらく負けるでしょうね。だから本当に陥落する前に、この船も早めに出港させますよ」


 賢く有能な侍女であるダラは、冷静に次の行動を考えていた。ダラが出港させるというなら、本当にすぐに出港する準備は進んでいるのだろう。

 アスディスはそれほど頭の回転が早くはないので、船を出すなら自分が何をしなくてはならないのかを両手を握りしめて考えた。


「この街から去るなら私、ヨアヒムも一緒じゃなきゃ嫌なんだけど」


 思ったことがそのまま、アスディスの口をついて出る。

 自分の都合しか考えないアスディスがまず思ったのは、ハーフェンが陥落するならヨアヒムを連れて行けるということである。


 それどころかアスディスは、ハーフェンの危機はヨアヒムを自分のものにするためには好都合だとも思っていた。

 アスディスにとっては戦争の犠牲になる民の命はどうでもいいものであり、大事なのは自分が好意を抱いた存在だけだった。


「領主で王子ですよ。普通、来ますか?」


 常識的に物事を考えるダラは、露骨にアスディスを馬鹿にした表情で首を傾げる。

 アスディスはダラの反応が普通なのかもしれないとも思ったが、それは認めずに勢いでごまかした。


「最初から負けるってわかってる戦なんだから、ヨアヒムが頑張る必要はないでしょ。今から屋敷に行くから、とにかく急いで馬車を呼んで」


 ばっさりとそう言い捨てると、アスディスは自室に戻って扉を閉め、出かけるために寝間着から着替え始めた。


 扉を締める寸前のダラは納得していない顔をしていたが、やがて仕方がなさげな返事が廊下から聞こえて、梯子を登り去る音がする。


 自室で一人になったアスディスは、これから着る黒い絹のドレスをクローゼットから出し、すべてはヨアヒムのためなのだと自分を正当化した。


(ハーフェンに残ったってどうせろくな目に合わないんだから、絶対に私と一緒に来てくれるはず)


 勝てない戦だからこそ、ヨアヒムは武器を揃えて戦う道を捨てて、アスディスの提案した不正な方法で食料を残した。

 負け戦のために好き好んで死ぬ人間は、アスディスの理解では存在しない。ヨアヒムが差し出された手を拒絶することは、アスディスにはあまり想像できない。


 服も指輪も失いたくないように、菓子を横取りされたくないように、アスディスはヨアヒムと離れたくない。

 だから破壊と殺戮の危険がどれほど近くに差し迫っていたとしても、アスディスはヨアヒムに会うために戦火の中を出かけた。

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