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 電撃採用から早3日。この日から新しいアシスタントこと、エマが勤務する。暇なのは変わりないが、話し相手がいるだけで全く違うだろう。採用の決め手はあのワードセンスだった。そんなことだけで?と思った人は、かなりの分からず屋だと思う。何もすることが無い。あるとしたら、競馬と散歩、ちまちま飲酒くらいだ。あまりの酷さに脳が狂ったが、エマのおかげで天使は羽をもぎ取られた。もう9時だから、そろそろ来るはずだ。今日の依頼は離婚相談。エマは秘書ではなくアシスタントなので同席してもらおうと思っている。相手が女性だけに、むさ苦しい中年探偵だけよりも、若い女性がいた方がいいだろう。

「おはようございます」

 エマが来た。深緑のワンピースを着て、ヒールを履いている。うちの探偵事務所は自由がモットーなので服装は気にしない。さすがにフリフリのドレスを着てこられたら困るが…。

 彼女は自分のデスクに座り、パソコンを起動する。

「あ、そうだ。何とお呼びしたらいいですか」

 呼び方か…。ジェームズはどうせならかっこいいものにしたかった。

「うーん。先生、でもジェームズでもバロウスでも、ミスター・ホームズでも何でも。でも強《し》いて言うなら、ホームズせんせ……」

「『先生』にします。ホームズ、ではなくてですね」

「そりゃ、どーも」

「この後の予定は?」

 スケジュールを彼女のパソコンに送ろうと思っていたのを忘れていた。

「この後11時半から離婚の相談がある。32歳の女性で、エイミー・ハボットさんという。久しぶりのまともな依頼だ」

 そうポロッと漏らしたのが間違いだった。

「へえ。ですか。最近の大雨はきっとこの依頼のせいでしょうねえ。これでやっと赤字経営から復活できそうですか、先生」

 彼女は特に最後の「先生」と言う部分に力を込めたものだ。まだ彼女はネチネチ言っている。ジェームズのほんの一言で嫌味の洪水が起こるのだから、恐ろしいものだ。何か恨みでもあるのだろうか。例えば、だいぶ前に泥をかけられたとか前世で殺されたとか。

「君、何か僕に恨みがあるのか」

 エマは何言ってんだコイツ、と言わんばかりの視線を投げつけた。

「ありませんけど?」

「ならなぜ、嫌味ばかり言う」

「あれ、話し相手に雇ったんじゃないんですか。いいですよ。クビにしてもらって。また1人で天使とほっこりダンスをおどっていればいいでしょう」

「なぜ天使のことを知ってるんだ!」

 エマは眉を少し動かしただけで、何も言わなかった。背後ではどす黒い雨雲の中で雷が走っていた。

 やがて11時になり、ハボットさんがやって来た。エマは嫌味のかけらもない笑みを浮かべている。僕に向けている顔は何だろう、とジェームズは思った。

「こんにちは。初めまして、ジェームズ・バロウスです。よろしく」

「初めまして。先生のアシスタントをやっています、エマ・ハサウェイです。よろしくお願いします」

 またしても、エマは聞いたことのない透き通った純粋そうな声を使った。先程までの凄みのある低い声ではない。お前は誰だ、と言いたくなる。もしかしたら彼女は二重人格なのかもしれない。いや、きっとそうだ。ジェームズは確信した。

「初めまして。エイミー・ハボットと言います。今日は夫のことで相談が……」

 彼女の話を要約すると夫・フランクが不倫をして、相手の女性に計100万円を渡したのだと言う(しかもそのお金はエイミーの口座から引き出されたのだそうだ!)。全くもってけしからん奴だ。不倫はよろしくない。だって結婚しているのだから!エマは慰めの為か、レモンのパウンドケーキを彼女の前に差し出した。事務所に来て2時間、エマはもう事務所にあるものをすべて記憶していた。パウンドケーキはジェームズの夜食に、と思っていたのだが仕方ない。エイミーはそれを頬張ると、怒りを露わにした。それをエマが賛成しつつも鎮火する。さすがは元SOCAだ。

 結局のところ、エイミーは離婚したいのだろうか。それによってアドバイス変わってくる。そう思っているとエマが口を開いた。

「それでエイミーさんはフランクさんと離婚したいのですか。我々はまずエイミーさんの意見を優先いたしますので。問題解決の土台として、ですね」


「私、10年前にホテルの大火事で両親を亡くして__」

 エイミーが語り始めた。

「夫も同じ境遇なの。彼は兄を亡くしたんです」

「僕も同じです。僕も、両親を火事で。ホテルの件ではありませんが」

 最終的にエイミーは離婚しないことに決めたらしい。どうせなら、仲良くやってほしいものだ。

 別れの挨拶を述べて、エマがエイミーを玄関まで送る。

「とてもいい事務所ね。探偵さんは無口なほうなのかしら」

 ドア越しに声が聞こえてくる。思わずジェームズは苦笑いしてしまった。

「違いますね。おしゃべりなほうですよ。今回は多分、離婚相談なので同じ女性側の方が安心すると思ったんでしょう。いつもは間抜けに笑ってます。ぜひまた何かあったら、お越しください」

 エマが微笑む。

「ええ。きっと」

 そう言い残して、依頼人は去っていった。


 それからしばらく経った。七月の半ばになり、ますます雨がひどくなる。あの後、ハボットさんが宣伝してくれたそうで探偵事務所は賑わい始めた。この間は気味の悪いストーカー事件を解消したし、脅迫事件もどきも解決した。だから、ジェームズもエマも非常に充実していた。エマは相変わらずの皮肉ぶりだったが、最近はジェームズも対抗している。彼女は伯母が好きなようで、いつも伯母の自慢をしていた。そんなエマだが、今日は出勤するなり、お小言ではなく真剣な話をし始めた。

「あの、重大事件を取り扱う気はあります?」

「…あるに決まっている」

 急にどうしたのか。

「うちの伯母が、あなたに依頼をしたいと」

「愛犬探しかい?」

「違います。殺人事件です」

「何!?殺人だと!?」

 ジェームズの鼓動は新幹線より早くなり、血圧が上がって血管が切れるかと思った。顔には満面の笑みが浮かび、口元はイヤにヒクついている。エマは胡散臭そうに顔をしかめた。

「不謹慎ですよ。そうです。あなたがだーいすき、殺人です」

 エマはケッと鼻を鳴らした。

「概要を説明しますね。テレビでもやってる、アプリ会社『ティファニー』の幹部が相次いで殺された事件です。死因は毒を注射したこと。即死です。トリカブト系と聞いてます。犯人と争った形跡は無し」

「ならなぜ殺人だと?」

「注射痕が首、うなじあたりにあったそうです。届かないことはありませんが、わざわざそこを打つか、と議論されました。そして、そのそばに『悪しき者は滅びる運命。選別の炎に包まれて、いざ始まる神の審判。さあ残り5人』と書かれたカードが見つかったそうです。それに………」

「それに?」

「それに死体は、______笑っていたそうです」

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