私立探偵ジェームズ・バロウス 神の審判

神翠 椿

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 私立探偵事務所『Mr.バロウス』には閑古鳥かんこどりが鳴いていた。あまりに居座るものだから、本当に鳴き声が聞こえてきそうだ、とジェームズは思った。ロンドンの夏はそれほど暑くないが(それでも結構暑いものだ)、雨がひどかった。特に今年はタチの悪い雨雲連中で、市民は気力さえ奪われ始めている。実際のところジェームズも気力など無いに等しかったが、それはまた別の理由である。探偵家業とは地味なもので、警察の付属品のようにすら思えてくるほどちっぽけだった。最初はインコの捜索から始まり、ラブレターの差出人は誰かなど、くだらないにも程がある事件を取り扱う。2年もやっていればもう少しマシな事件が扱えるのかと思いきや、全く事件性の無いほのぼの人生相談や近所の少年から、自分が書いたミステリー小説の講評を求む依頼しかやってこない。挙句の果てには、恋愛相談と称して《しょうして》ただののろけ話(しかもかなり熱烈)を目の前で聞かされたのだから、強烈な吐き気を催す《もよおす》のも無理は無い。ジェームズもかつてはロンドン警視庁に勤めていた。その頃は強盗や脅迫、時には殺人なんていうスリリングなものにも関わった。今思うとそんな危険なものですら魅力的で、絶妙なスパイスと極上の甘美が合わさったように感じる。暇とはこんなにも人を狂わせるのかと思うとゾッとした。ここ何年も(正確には探偵業を始めてから)ジェームズは刺激を求めてきた。のんびりとした日常の中にちょっとした謎解きや、たまには本格事件を扱い、に生活する。ジェームズは警視庁を辞めようとしていた時から、自由を強く支持していた。まあ、儲かるわけがないが両親が残してくれた遺産で十分足りた。

 プルルルル。

 突然、年に一度働くか働かないかという事務所の電話が鳴った。ジェームズの単純な心臓は面白いほどに踊り跳ね、足は小刻みにリズムを奏でながら進む。

「探偵事務所・Mr.バロウスです」

「もしもし。あのー、僕、暗号を作ったんですけど、よかったらぜひ…」

 ここまで聞いただけでジェームズは、電話ごとその依頼人をグッピーの水槽に放り込んでやりたくなった。その衝動をグッと堪え、丁重に断りを入れる。今難事件を取り扱っているから、と。嘘っぱちだったが、依頼人は引き下がってくれた。ここまで来ると探偵を辞めたくなってくるが、そのうち世紀の大事件が転がり込んでくるんだ、とジェームズはいまだに希望を灯し続けてきた。さすがにその火は消えつつあるが(しかもその火の上には雨雲があり、雨が降っている。でもジェームズが必死に火に覆いかぶさっているのだった)辛抱していた。


 しばらく怒りと絶望感が腹で暴れていたせいか、お腹が減ったので、ポットヌードルにお湯を注ぐ。その間にもジェームズはどうしたらまともな事件がやってくるのかを考えていた。ヌードルをすすっても名案は皆無で、脳内には天使が宿りはじめた。


 火曜日。どうひねくれて解釈しても暇人だと認めざるを得ないので、自分を誤魔化そうと散歩に出かける。やはりこの日も順調の雨で、小一時間で事務所に戻るハメになった。


 水曜日。とうとう脳内の天使が優雅に舞いはじめたので、公園に行った。この日も気持ちいいほどにどしゃ降りだったので、15分で事務所に帰ってしまった。


 木曜日。特筆すべきことは無し。強いて言えば脳内天使にフラワーとキティと名付けた。今日も雨。


 金曜日。晴れた。久しぶりの快晴で市民も少し活発さを取り戻す。無論、ジェームズもその一人で、昼間から河川敷に行った。普通に考えれば、川は濁っていて洪水気味だと分かったはずだが、もはやロンドンは少し馬鹿になっていた。仕方なく公園に戻り、まだ雨の名残がある芝生に寝転がる。人間には太陽(紫外線)が必要だということの意味がわかった。かなり長居をしてしまい、時計を見たら夕方の5時だった。帰っても待つ客などいないので、ゆっくり爽やかさとアイスクリームを味わいながら帰った。

 階段を軽やかに上がりながら二階の事務所のドアに手をかける。ゆとりがあるって、なんて素晴らしいのだろう!

「は?」

 そんなゆとりもほんの一瞬かぎりのスペースだった。なんと、事務所の来客用のソファーに女性が座っていたのだ!声に気付いたのか、眠たそうに目を開ける

 。しかし、パッと目を開き、ビシッと起立した。

「こんにちは。エマ・ハサウェイと言います。バロウスさんでしょうか。」

 急な訪問に驚いたが、ジェームズだって探偵だ。すぐにペースを取り戻す。ただし、先ほどの素晴らしいゆとりは無かったが。

「ええ。ジェームズ・バロウスです。不在で申し訳ありません。本日は何のご依頼でしょうか」

 すると、女性は面白そうに笑った。

「違うわ。依頼じゃありません。申し込みです。アシスタントの」

 ジェームズは耳を疑った。こんな暇そうな探偵事務所がアシスタントを雇うとでも思うのだろうか。

「なんだって?」

 念のため尋ねる。

「アシスタントとして雇ってくださいませんか」

 やっぱり、聞き間違いでは無かったみたいだ。この女性は雷だと、ジェームズは思った。だって、晴天の霹靂へきれきなのだから。でもせっかく来てくれた客を門前払いするのは気が引ける。暇つぶしにでも、と思って彼女の話を聞くことにした。彼女、エマの経歴は輝かしいものだった。オックスフォード大学を卒業したのちマサチューセッツ工科大学に留学し、SOCA(イギリスのFBIとも呼ばれる)に就職した。しかし、9年勤めたのち辞職。兄の紹介でジェームズの事務所に訪ねることにしたそうだ。そういえば、大学の悪友にダン・ハサウェイなんて奴がいたな。顔は似ておらず、エマはとても美人だった。しかし、そんなことでジェームズは採用しないし、あまり必要性を感じない。ただ、暇な部屋に人がいるのはいいかもしれないと思った。でも、ジェームズの気持ちはほぼ不採用に固まっていた。

「じゃあ、最後に自己アピールを」

「自己アピールを兼ねた質問でもいいですか?」

「ああ。もちろん」

 エマはフッと笑った。

「この事務所、閑古鳥ます?」

「____採用だ」

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