第3話 侵略者たち

 午後の業務が始まった。先輩は、いつもの仕事モードに入った。

部署の社員たちに指示を飛ばす姿は、カッコよすぎる。

「この釣りの編集をした人は誰?」

「ハイ、私です」

 編集部の数少ない女子社員が元気よく返事をする。

「これ、文章はいいけど、写真が良くないわ。もう一度、撮り直すか編集し

直して」

「ハイ、わかりました」

 言われた女子社員は、原稿を片手に写真部に急ぐ。

「この編み物の編集をした人は?」

「ハイ、俺です」

「今回は、よく出来てるわね。この調子で次も頼むわよ」

「ありがとうございます」

 編み物の取材の原稿を褒められて、うれしそうな男子社員だった。

ぼくも、いつか、先輩に褒められたい。

まだ、新人のぼくには、編集を任せてはくれない。

今は、先輩たちのすることを見て、勉強する時期なのだ。

「山岸、ちょっと来てくれる」

「ハ、ハイ」

 ぼくは、手招きされて先輩の方に歩み寄った。

先輩は、自分の机の中から、一枚の名刺を取ってぼくに見せながら言った。

「キミは、これから、この人のところに行って、本の執筆の許可と依頼を

してくること。この人は、知ってる?」

 名刺を見ても、それがどんな人なのか、わからない。

「すみません、知りません」

「だったら、書庫にこの人の本があるから、ざっとでいいから読んで、頭に叩き込んでから行きなさい。それが出来たら、この人のうちに行って、執筆依頼を

してくるのよ。今日中にね」

「今日中にですか?」

「そうよ。今すぐよ」

「ハ、ハイ、わかりました。行って来ます」

 ぼくは、その名刺をもらうと、椅子にかけてある、スーツの上着を取って、

急いで地下の書庫に向かう。

「ちょっと待ちなさい」

 走って出て行こうとするぼくを先輩が引き止めました。

「山岸、やることやったら、連絡してね。迎えに行くから。今日は、いっしょに帰るからね」

 最後の一言は、ぼくにしか聞こえないような、小さな声だった。

「わかりました。連絡します」

「がんばるのよ。キミも、早く一人前にならないとね」

 そう言って、軽く片目をつぶって、ウィンクしてくれた。

ぼくのハートが爆発しそうだ。体が熱くなってくるのがわかった。

先輩のためにも、この依頼は、なんとしてもがんばらないと……

「それじゃ、行って来ます」

 ぼくは、そう言って、書庫に向かった。

地下一階にある書庫のドアを開けて中に入る。ここには、何度か入ったことが

あるけどウチで出版した本だけでなく、その手のジャンルの他社の本もある。

 ぼくは、名刺を確認することから始めた。

そこには『宇宙人とUFO研究家・山居淳司』と、書いてあった。

申し訳ないが、この手のジャンルには、興味がないので、この人のことは

知らなかった。

だけど、今は、知らないなんていっていられない。この人の執筆依頼を取って

こないといけないのだ。

 しかし、その前に、UFO研究家ってなんだ? 宇宙人を研究しているとしたら、

怪しすぎる。

ホントに、こんな人がいるんだろうか? かなり不安な気持ちで、山居さんの書いた本を探した。

だが、その本は、簡単に見つかった。書庫の中には、都合5冊置いてあった。

どの本も、宇宙とUFOに関するものだった。とりあえず、一冊手に取ってみた。

 本のタイトルは『宇宙人は、存在する』とあった。

オカルト系の本なのか? ぼくは、ページを捲ってみた。

そこには、宇宙人の目撃談や写真が載っていた。

だけど、これって、ホントなのか?

他にも、宇宙船の目撃証言などを集めた本もあった。この人は、ホントに

宇宙人に会ったことがあるんだろうか?

会話をしたとか、UFOに乗ったとか、書いてあるけど、どこまで信じて

いいんだろう?

 この人より、ぼくの方が、宇宙人と接していると思う。

だって、ぼくは、宇宙人と婚約してるし、宇宙人の街に住んでいるのだ。

もっとも、ぼくも、彼らの本当の姿は、まだ見たことないけど……

 時間がないので、ある程度の知識を頭に入れて、時計を気にしながら名刺に

書いてある住所に行くことにした。

山居先生の自宅は、都心から離れた郊外にあった。電車を二回も乗り換えて、

それからバスで20分もかかった。閑静な住宅街の一角に自宅はあった。

表札には、山居とあるので、ここで間違いないのだろう。

それにしても、今にもつぶれそうな築何十年の、木造二階建ての家だった。

 かなり不安な気持ちを抱きながら、玄関のチャイムを鳴らした。

しかし、返事がない。留守なのかと思っていると、引き戸が開いた。

「どちらさんですか?」

 現れたのは、白髪の老人だった。見た目は、七十歳くらいだろうか?

着物姿で顔は、しわだらけで、口髭も白い。

「あ、あの…… ぼくは、永井出版から来た、山岸と申します。山居先生に執筆の依頼に来ました」

 ちょっとビビリながら正直に話した。

山居先生は、ぼくを足から頭まで、じっくり舐めるように見ると、こう言った。

「立ち話もなんだから、入りなさい。話くらいは、聞いてあげよう」

「ハイ、ありがとうございます」

 ぼくは、山居先生に進められて、靴を脱いで中に入った。居間のような畳敷きの和室に通された。

「失礼します」

 ぼくは、そう言ってから、畳に正座した。山居先生は、台所からお茶をいれて持ってきた。

「お構いなく」

「イヤイヤ、気にせんでくれ。ウチに客が来るのは、久しぶりだからな」

 そう言って、山居先生は、白い口髭を指で撫でる。

「あの、それで、本の原稿の依頼なんですが……」

「アンタのとこで、わしの本を出したいということか?」

「ハイ、そうです」

「奇特な出版社だな。今頃、わしの本を出すなんて……」

 ぼくは、ちょっと返事に困って黙ってしまった。

「キミは、わしのことを知っているのかね?」

「ハイ、以前出された本を読みました」

「昔の話だ」

 そう言って、山居先生は、腕を組むと、天井を仰ぎ見ながら話を始めた。

「キミは、知らないだろうが、これでもわしは、昔はテレビでは、ちょっとした有名人だったんだぞ」

 それは、ぼくも知っている。イヤ、正確には、さっき、出版社の書庫で呼んだ本に書いてあったのを見ただけだ。

山居先生をテレビで見た記憶はない。

「昔、わしが若い頃は、宇宙人とかUFO特集とか、テレビではしょっちゅう特番をやっていたんだ。そのときは、いつもわしが呼ばれてな。あの頃は、忙しくて、ちょっとしたタレントみたいだった」

 そんなことがあったのか。確かに、本についてた山居先生の写真は、もっと

若い頃だった。

「だがな、今の時代は、宇宙人だの、UFOだのなんて、テレビじゃ一切やらなくなった。なぜだか、わかるかね?」

「いえ、わかりません」

「それはな、今は、宇宙時代という、人間も宇宙に行く時代になったからだ。

もはや、宇宙人とかUFOとか夢のある話など、誰も興味がないんだ」

 そういうものなのか…… 時代の流れというのは、残酷だなと思った。

「キミは、宇宙人は、いると思うか? UFOは、あると思うか?」

「あると思います。宇宙人も、いると思います」

 それは、ウソじゃない。ぼくの周りは、むしろ、人間より宇宙人のが多い。

何しろ、婚約者が宇宙人なのだ。しかも、侵略と付く。

「うれしいねぇ…… 今時、信じてくれる人がいるとはなぁ」

 山居先生は、うれしそうに笑った。信じる、信じないとかいう話でなく、

ホントにいるんだから……

「よかろう。キミの一言で、久しぶりにやる気が出た。書こうじゃないか」

「ホントですか? ありがとうございます」

 ぼくは、そう言って、正座をしたまま畳に手をついて頭を下げた。

「それで、どんな内容の本を書けばいいのかね?」

 そこまでは、まだ、考えていなかった。今日は、執筆の依頼を受けてもらえるかどうかが心配でそれ以上のことは、考えていなかったのだ。

答えに困っていると、山居先生は、立ち上がってこう言った。

「こっちに来なさい」

 ぼくは、言われるとおり山居先生の後をついて行った。ドアを開けると、

そこは、山居先生の書斎のようだった。

しかし、部屋の中は、異様だった。壁一面には、UFOやら宇宙人の写真が貼ってあるし、本棚は、宇宙人関係の本ばかりがずらっと並んでいる。

他にも、宇宙の地図のような星の名前が並んであるポスターが大きく貼ってあった。かなり、マニアックだ。

「書きたいものは、ある。例えば、宇宙の地理と地球との因果関係とか、宇宙人が地球を侵略する話だ。

いや、話ではない。すでに、地球は宇宙人に侵略されているんだ。その証拠もある。そんな内容だが、どうかな?」

 この先生は、本気で地球が侵略されていると思っているのか?

もちろん、それは、事実なんだが、それを知ってる地球人は、ぼくだけだ。

まさか、この人も宇宙人なのか? そんな気がしてきた。

「何でも自由に、先生が書きたいものでいいと思います」

 ぼくは、そう言うしかなかった。ここで、断られたら、先輩に顔向けできない。

「よろしくお願いします」

 ぼくは、もう一度、頭を下げてお願いした。

「詳しい契約は、後にするとして、とりあえず、手ぶらで帰るのでは、信用されないだろうから、これを持って行きなさい」

 そう言って、分厚い原稿用紙の束を渡してくれた。

「あの、これは……」

「原稿だよ。まだ完成品ではないが、企画書というか、粗筋と言うか、そんな

もんじゃ」

「これを預かっていいんですか?」

「構わんよ。編集者としての感想とか、手直しするところもあるだろうから、

そこは、キミに任せる」

「ありがとうございます」

 ぼくは、そう言って、原稿を大事にカバンの中に入れた。

「それが出せたら、もう、わしは、思い残すことはない。しっかり、頼むぞ」

「ハイ、いっしょに、これを本にしていきましょう」

「若いのに、頼もしいな。頼りにしてるぞ」

「ハイ、がんばります」

 よかった。これで、先輩に、いい報告が出来る。ぼくは、心からうれしく

なった。新人として、初めての仕事を任される喜びと、これで先輩に認めらると思ったのだ。ぼくは、何度もお礼を言って、山居先生の自宅を後にした。


 帰りのバス停まで行ってから、先輩の携帯に電話をした。

「もしもし、先輩ですか? 執筆依頼取ってきました。それと、原稿も預かって

ます」

 ぼくは、勢いよく言った。

『そう、ご苦労だったわね。それにしても、よく取れたわね』

「ハイ、優しそうな人でしたよ」

『それで、今、どこにいるの?』

「山居先生の近くの最寄のバス停です。これから、社に戻ります」

『いいから、そこで待ってて。迎えに行くから。そうね、20分くらいかかる

けど、待っててくれる?』

「ハイ、大丈夫です。待ってます」

『それじゃ、あとでね』

 そう言って、電話が切れた。ぼくは、心からホッとしました。

自然と顔がにやけているのが自分でもわかった。

初めて契約が取れた。執筆依頼も取れた。我ながら、こんなにうまく行くとは

思わなかったけどホントにうれしかった。先輩にも褒められたし、

言うことない。

 ぼくは、迎えが来るまで、バス停のベンチに座って、カバンから預かった原稿を読んでみた。

タイトルは『侵略される地球(仮)』となっていた。

個人的に、ドキッとするようなタイトルだ。実際に、ぼくは、侵略宇宙人を

知ってるのだから。

 原稿を一枚ずつ捲って読んでみた。正直言って、ぼくには、

よくわからなかった。

話が難しすぎるのだ。謎の宇宙人が、UFOに乗って、地球にやってきて、侵略を始める。というような、特撮ドラマ的な話かと思ったら、記号とか数字とか、

難しい理論が書いてあるのでなにがなんだか、ぼくみたいな単純な頭では、

理解できない。

 原稿を捲りながら読んでは見たものの、結局、わからないというか難しいので読むのをやめてしまった。

空は、そろそろ夕暮れ時。オレンジ色の夕焼けが眩しかった。

 そこに、バスがやってきた。バス停があるんだから、当たり前だ。

だけど、ぼくは、先輩を待っているから、それには乗らない。

そのとき、バスの扉が開いた。

「山岸、早く乗って」

「えっ!」

 開いたバスの扉の中から、先輩がぼくを呼んだのだ。

「何してんの、早く乗って」

「あっ、イヤ、でも、その……」

「まったく」

 バスの扉の中から先輩が出てきて、ぼくの腕を取って、中に入れる。

すぐにバスの扉は閉まって、発車した。

「あの、先輩、なんでバスで……」

「迎えに行くって言ったでしょ」

「でも、バスって……」

「これで、川北町まで行くのよ。ハイ、これが、キミのパス。ここに名前を

書けば、このバスでどこでも行けるから」

 渡された定期券みたいなパスを見ると「川北町―地球」と書いてある。

ぼくは、先輩に促されるままに、長いすに隣り合って座った。

「ハイ、ペンもあるから、名前を書いて」

 ぼくは、言われるままにペンで自分の名前を書いた。

「これから、通勤するときは、それを見せるのよ」

「わかりました」

「なくしたら、大変なことになるからね。絶対になくしちゃダメよ」

「わかりました。でも、大変なことって……」

「山岸は、パスと命とどっちが大事かな?」

「えっ……」

 ぼくは、もう、何も言葉が出なかった。これは、絶対になくしてはいけない。

なくすと、命にかかわるんだと思って、パスをかばんの奥にしまった。

 少し走ると、バスの中には、数人の人が乗ってきた。

そして、落ち着きを取り戻すと、乗客の人たちが、こっちを見ていることに気が付いた。

「あの、先輩、お客さんたちが見てる気がするんだけど」

「キミは、新人なんだから、挨拶くらいした方がいいんじゃない」

「それじゃ、この人たちって……」

 先輩は、何も言わなかった。でも、それが答えのようなものだ。

ここに乗っている人たちは、みんな川北町の住人たちだ。つまり、全員宇宙人ということになる。ぼくは、急いで立ち上がると、お客さんたちに向けて、

頭を下げながら言った。

「初めまして、これから川北町でお世話になる、山岸甲児です。よろしくお願いします」

「へぇ~、アンタが噂の地球人なの」

「それにしても、物好きだねぇ。あの街に来るなんて」

「ハイハイ、よろしくね」

「あなた、そこのアッコさんとは、どんな関係なの?」

「あぁ……、それは、その……」

 ぼくは、言っていいのかどうか迷って、先輩を見た。

すると、先輩は、黙って頷いた。ぼくは、正直に言っていいと解釈した。

「先輩…… じゃなくて、アッコさんは、ぼくの婚約者です」

「あらまぁ!」

「こりゃ、また、驚いた」

「まさか、アッコが、地球人と結婚するんですか?」

「地球の毒にでも、当たったのかね」

 客たちは、口々に言い始めた。でも、先輩は、黙って聞いているだけだ。

「車内では、危ないので、立ち上がらないでください」

 運転手にアナウンスで注意されて、慌てて席に座った。

お客さんたちも、くすくす笑っている。こんなところは、ぼくの世界のバスと

同じだ。

「すいませんでした」

 ぼくは、運転手に向かって、そう言うと、自分の席に座ってから、先輩に

聞いてみた。

「あの、いいんですか、何も言わなくて」

「いいのよ。あの人たちとも、これから仲良くしていかないとダメでしょ。

あたしが口出しすることじゃないからね」

 やっぱり、先輩は、ちょっとやそっとのことじゃ、動揺しないんだな。

これしきのことで、おろおろしている自分が情けなくなった。

「通勤の仕方も、これから教えてあげるから。明日は、いっしょに行くわよ」

「ハイ、よろしくお願いします」

「それで、今夜の夕飯は?」

 それを聞いて、気が付いた。まだ、夕食の買い物をしていない。

「まだ、買い物してません」

「それじゃ、向こうに着いたら、スーパーにでも行ってみましょう」

 それを聞いて、さらに思い出した。今朝のことだ。車で送ってもらった人は、スーパーの店員だった。

「そうですよ。今朝は、スーパーの人に送ってもらったんですよ。お礼を言ってきます」

「そうね、丁度いいと思うわ」

 そんな話をしていると、辺りはすっかり暗くなって、街並みが変わっている

ことに気がついた。

「川北町、終点です」

 運転手のアナウンスと同時にバスが街の中心部のバス停に止まった。

ドアが開くと、乗っていたお客さんたちは、順番に降りていく。

ぼくたちは、一番最後に降りた。

「それじゃ、スーパーに寄ってみようか。すぐそこだから」

 ぼくは、まだ、来たばかりでこの街の地理は、まったく知らない。

ぼくは、先輩の後ろについて歩きながら、周りをきょろきょろしているだけだ。

「そこよ」

 先輩が指さすと、そこに明るいネオンでスーパー川北と書いてあるのが

見えた。

ウチのアパートからも、歩いて2分くらいなので便利だ。

 早速、かごを持って中に入ってみる。すると、中は、いたって普通のスーパーだった。

宇宙人の街だからといって、何か特別なものがあるわけではないようだ。

「なにが食べたいですか?」

「山岸が作るものなら、何でもいいわよ」

 そう言って、先輩は、ニッコリ笑った。これは、責任重大だ。おいしいものを作らないといけない。

「それじゃ、カレーでいいですか」

「いいわね。あたしもカレーは好きよ。地球でしか食べられないからね」

 なるほど、宇宙には、カレーライスはないんだ。当たり前だけど……

それじゃということで、定番のジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、豚肉を買いに

行って見る。品物をかごに入れながら、店内をみて回っていると、

夜でもお客さんは入っていた。

やはり、主婦なのか、母親なのか、女性のが多い気がする。

でも、宇宙人が、普通に買い物をしているのが、なんだかおかしくなってくる。

「よぉ、早速、来てくれたのか。うれしいなぁ」

 突然、声をかけられて振り向くと、朝に出版社まで送ってくれた若い男が

いた。

「今朝は、ありがとうございました」

 そう言って、頭を下げると、彼は、笑ってぼくの肩を叩きながらいった。

「いいってことよ。気にすんな。おおぉっと、そこにいるのは、アッコじゃないか」

「そう、あなただったの。あたしからもお礼を言うわ」

「それにしても、アンタが地球人と結婚するなんて、どういう風の吹き回しだよ」

「これも侵略作戦の一つよ」

「なるほどね。アンタも大変だねぇ。アッコには、気をつけなよ」

 やっぱり、宇宙人同士の会話は、まだまだついていけない。

「サービスするぜ。今日は、肉が安いぜ」

「ありがとうございます。それじゃ、カレー用のお肉をお願いします」

「ハイよ」

 そう言って、カレー用の肉をかなり多めにサービスしてくれた。

「またな、これからもよろしく頼むぜ」

 彼の声を聞きながら、スーパーを後にした。

「案外、キミの街と変わらないでしょ」

「ハイ、ちょっと意外でした」

「すごいものでも売ってると思ってた?」

「ハイ、見たことない物が売ってるのかと……」

「みんな、地球が好きなのよ。だから、地球人になりきってるのね」

「好きなんですか?」

「そうよ」

「好きなのに、侵略するんですか?」

「違うわよ。好きだから、侵略するのよ」

 また、訳がわからないことを言う先輩の言葉に、返事に困ってしまった。

好きだから侵略するって、意味がわからない。きっと、宇宙人独特の言い回し

なのかもしれない。


 帰宅して、買い物袋をテーブルに置いて、真新しいキッチンに向かった。

ぼくは、一度、部屋着に着替えてから、夕飯の準備に取り掛かった。

「ふぅ~ん、地球人は、普段はそういう格好をするのね」

 ジャージにトレーナーを着ているぼくをみて、先輩が言った。

「なんか、おかしいですか?」

「おかしくないわ。地球人の普段の姿を見るのって新鮮ね」

「もしかして、それも、地球侵略に関係するんですか?」

「そうよ。人間観察ってとこかしらね。山岸も、これから、どんどん見せてね」

 なんだか、いっしょに生活していても、視線を常に感じそうだ。

「あっ、そうだ」

 ぼくは、カバンの中にしまったままの、山居先生の原稿を出してきた。

「これが、山居先生の原稿です。これを本にしたいそうです。まだ、未完成なので編集したり、直したりする部分はあるそうです」

 先輩は、それを手にすると、原稿を捲って読み始めた。その間に、ぼくは、

カレーの準備に取り掛かる。

米を研いで、ご飯を炊いて、野菜を切って、炒めて煮込んで、出来上がりまでは、一時間くらいかかる。

ぼくは、カレーを作りながら、横目で先輩を見た。山居先生の原稿を丹念に

読んでいる。

あとは、ご飯が炊けたら、出来上がりなので、先輩の前に座って聞いてみた。

「どうですか? それ、本に出来そうですか?」

 先輩は、原稿をバサッとテーブルに置くと、ぼくの顔を下から覗き込みながら言った。

「出来るわよ」

「そうですか。よかった」

「でも、売れないわね」

「えっ……」

 今度は、腕を組みながら、天井を見詰めて続けた。

「これは、はっきり言って、マニアックすぎる。読者は、かなり限られてくる

から、部数的には、少ないわ」

「そうですか…… そうですよね。この手の本は、難しいですからね」

 ぼくもそんな予想は、していた。でも、はっきり言われると、ちょっと淋しくなる。

「あたしはね、この本には、期待してないの。山岸に、山居先生のことを頼んだのには、理由が二つあるのよ」

 今度は、真っ直ぐ、ぼくを見ながら言った。

「ひとつは、キミが、この原稿をどうやって本にするのか、勉強して欲しかったの。本の作り方ね。キミは、責任を持って、山居先生と打ち合わせをしながら、編集して、これを本にすること。そうやって、本作りを覚えて欲しいの。

本が売れるかなんて、関係ないのよ」

 もしかして、ぼくを一人前の編集者に育てようとしてくれているのかと

思って、今度は、うれしくなった。

「もうひとつは、地球人が、どれくらい宇宙について、知っているのか、それが知りたかったのよ」

「それって、地球侵略の計画の一つってことですか?」

「そうよ。だけど、期待ハズレだったわ」

「そうなんですか? ぼくには、よくわからないけど、この人は宇宙人とかUFOに

詳しいんでしょ」

「あたしも最初は、そう思った。山居先生は、昔からいろいろと研究している

からね。どこまで知っているのかそれが知りたかったのよ。でも、大したことはなかったわね。ガッカリしたけど、安心したわ」

 先輩は、複雑な表情をした。それって、どういう意味なんだろう……

ぼくが、不思議そうな顔をしたのを見て、先輩は、意味深な笑みを浮かべながら言った。

「地球を侵略するには、地球を知ることが第一でしょ。そのためにも、地球と

いう星のことをもっと知りたかったの。そりゃ、NASAとか、宇宙の研究を国家

ぐるみでやってる国もあるわよね。実際に、ロケットを飛ばしてるしね」

 ぼくは、先輩の話に聞き入った。下手に相槌を入れずに、黙って聞いている。

「もちろん、NASAにもいったわ。でも、全然ダメだった。だから、この国で宇宙の研究をしている第一人者を調べ上げて、山居先生にたどり着いたってわけ。

でも、原稿を読んだら、間違いだらけでガッカリしたわ」

「そうなんですか……」

 また、ガッカリした。ぼくは、わかりやすいらしく、先輩は、ぼくを気にして続けた。

「でも、これはこれで、本にするなら、山居先生のためにもなるし、キミの勉強にもなるでしょ」

「それはそうですけど、どこをどうすればいいのか、わからなくて……」

「当たり前でしょ。山岸は、まだ、新人なのよ。これから、あたしがみっちり

教えてあげるから、ちゃんと付いて来るのよ」

「ハイ、お願いします」

 そう言って、頭を下げるのと同時に、炊飯器がご飯が炊けたブザーが鳴った。


 ぼくは、カレーライスを二皿テーブルに並べた。

でも、これだけだと、ちょっと淋しいので、ついでに買ったビールを冷蔵庫から出してみようと思った。

「あの、お酒とか飲みますか?」

「そうね。いただこうかしら」

 ぼくは、張り切って、冷蔵庫からビールを出して、コップに注いだ。

「それじゃ、乾杯」

「乾杯」

 ビールの入ったグラスをカチンと軽く鳴らして、二人で一口飲んだ。

憧れの先輩を前にして、二人だけでテーブルを挟んで、お酒を飲みながら食事が出来る。それも、これから毎日だ。こんな幸せなことがあっていいのか?

ぼくは、他の男子社員たちに、自慢したい。もちろん、絶対にしないけど。

これは、ぼくと先輩だけの秘密なのだ。二人だけの共通の秘密は、親密度が

アップする。

「おいしいわね。山岸は、料理が好きなの?」

「ウチは、両親が共働きだったので、子供の頃から、ぼくが料理を作るように

なったんです」

「そうなの。なかなか腕がいいわね。これからも、頼むわね。期待してるから」

「ハイ、任せてください」

 とは言ったものの、これって、先輩に乗せられているのかもしれない。

何しろ、料理に家事は、先輩はまったくしない。てことは、外で仕事で疲れて

帰っても食事を作って、家事をするのは、ぼくなんだ。

なんか、倍疲れそうだ……

でも、素敵な先輩といっしょにいられるなら、それも全然苦労とは思えない。

「あの、さっき、言ってたけど、山居先生の原稿のこと、がっかりしたけど、

安心したって、どういう意味ですか?」

「ガッカリした理由は、さっき言ったわよね」

「ハイ、期待してたけど、大したことなかったって」

「そうよ。だから、安心したのよ。地球人は、まだまだ宇宙のことを知らない

ことがわかったんだもの。だから、安心したの。これで、心配することなく、

地球を侵略できるからね」

 恐ろしいことを平然と言う先輩は、やっぱり、侵略宇宙人なんだと、

実感した。ぼくは、自分で話を振っておきながら、話題を変えようと、

ビールを持って言った。

「先輩、どうぞ」

 ぼくが、空いたグラスにビールを注ごうとすると、先輩が言った。

「その先輩って言うのは、うちでは、やめにしない?」

「それじゃ、なんて呼べばいいのか……」

「地球人は、結婚すると、夫婦ってなんて呼び合うの?」

「それは、結婚したことないから、ぼくにはわかりませんよ。普通は、名前で

呼び合ったりするんじゃないですか?」

「名前ね…… それじゃ、甲児くんとでも言うの?」

「イヤ、イヤイヤ、それは、ちょっと……」

 ぼくは、何度も首を横に振った。

「それじゃ、なんで呼んだらいいの?」

「う~ん、そう言われると、難しいですね。それじゃ、逆に、先輩はなんて

呼んだらいいんですか?」

 今度は、逆に聞いてみた。すると、先輩も難しい顔をして考え込んだ。

「普段は、アッコとか、アッコさんとかしかいわれないからね」

「それじゃ、アッコさんでどうですか?」

「そうね。いいんじゃない。その代わり、会社では、名前で呼ばないでよ」

「わかってます」

 ぼくと先輩が結婚を前提に、同棲していることは、会社にはないしょなのだ。

「それじゃ、甲児も飲んだら」

 下の名前で呼び捨てにされて、ドキッとした。

今まで、女性に名前で呼ばれたことなど、一度もない。だから、ものすごく新鮮に聞こえたのだ。

「どうした、甲児? やっぱり、名前で呼ばれるのは、イヤか?」

「イヤイヤ、そんなことはありません。むしろ、うれしいです」

 ぼくは、慌てて否定して、グラスを差し出した。

「それじゃ、改めて、乾杯。甲児、これから、よろしくね」

「ハイ、せんぱ……じゃなくて、アッコさん」

 ぼくたちは、また、乾杯した。結局、この日は、二人でビールを二本ずつ飲んでしまった。

 

 楽しい食事は、あっという間だった。先輩とこれからも二人で過ごせると

思うとこれからの毎日が楽しくてたまらない。洗い物をしているときも、

顔が笑っている自分に気がついた。

先輩は、黙ってコンピュータに向かって、忙しそうに指を動かしている。

「あの、片づけが終わりました」

「ご苦労様。今日は、ありがとうね。どう、お風呂にでも行ってきたら」

「アッコさんが先でいいですよ」

 このアパートのお風呂は、共同で、しかも一つしかないので、女性が入って

いるときは男は、遠慮しないといけない。

「あたしはいいから、先に行ってらっしゃい」

「それじゃ、先に、失礼します」

 ぼくは、そう言って、着替えとタオルを持って、部屋を出る。

廊下を歩いていると、浴室と書かれた大きなドアを発見した。

ぼくは、そっと、ドアを開けて中を見た。誰かが入っていたら、まずいと

思って、脱いである服があるか確認した。

みたところ、何もないので、誰も入っていないことを確認して、広めの脱衣所で服を脱いだ。

タオルだけを持って、ドアを開けて中に入ろうとすると、中からドアが開いた。

「えっ!」

 まさか中に人がいるとは思わなかったので驚いた。

「す、すみません」

 慌てて頭を下げて謝ると、ぼくの裸の肩に手を置いて、その生き物はこう

言った。

「いいのよ。あなたね、このアパートの新人くんて」

 その手の感触が、なぜか、柔らかくて暖かかった。

顔を上げると、そこにいたのは、真っ白いネコだった。

「えっ! ネコ……」

「あら、ネコじゃ悪い。どう、あたしと入らない?」

 そのネコは、全身真っ白のきれいなネコだった。しかも、2本足で立ち、

ぼくと同じくらいの背の高さで人の言葉を話している。

話し方で、女のネコらしい。

「あなた、可愛いわね。どう、アッコなんかやめて、あたしと地球侵略しない」

 その白いネコは、そう言って、ぼくに寄り添って、長いシッポをピクピク

動かしてぼくの首に巻きつけてきた。

ぼくは、どうしていいかわからず、立ち尽くすより他にない。

「おい、メスネコ。地球人をからかうのはやめろ。困ってるじゃないか」

「なによ、邪魔しないでよ」

 そこに現れたのは、犬だった。しかも、全身が真っ黒いシェパードだった。

2本足で立ち、ぼくを見下ろすくらい大きい。太いシッポをフサフサとさせて、

人の言葉をしゃべっている。

「悪かったな、地球人。このバカネコなんて、相手にしなくていいから」

「ちょっと、バカネコって、あたしのこと?」

「他にいるか」

「なによ、バカ犬」

「なんだと! 口の利き方を気をつけろよ。だから、俺は、ネコが嫌いなんだ」

「あたしは、犬が大っ嫌いよ」

 そう言うと、鼻を鳴らして出て行ってしまった。

「お前、あいつには、気をつけろよ。ここは、いいお湯だぞ。温泉賭け流しだからな」

 そう言うと、その巨大な犬も出て行った。

ぼくは、前を隠していたタオルを床に落としたまま、呆然と立ち尽くしていた。

 あの人たちも、もしかして、宇宙人なのか? イヤ、もしかしなくても、

宇宙人だろう。それにしても、犬とか猫とか、そんな宇宙人もいるのか…… 

改めて、宇宙は広いということを感じた。

 ぼくは、一度頭を振って、タオルを拾うと、そっと浴室のドアを開けた。

そして、またしても、驚いた。

「な、なんだ、これ……」

 ぼくの目に飛び込んできたのは、紛れもなく、温泉だった。

しかも、露天風呂だ。それが、いくつもある。岩風呂らしい風呂には、

滝が流れていた。その滝から湯気が立ち上っている。右を見れば、10人くらい

入れそうな大きなひのき風呂がある。

その向こうには、硫黄のニオイが立ち篭もる白く濁った温泉があった。

「どこ、ここ……」

 このアパートのどこにこんな世界があるんだ。しかも、見上げれば、夜空が

見えて、星が光っている。

ここは、部屋の中じゃないのか? なんで、露天風呂なんだ?

しかも、アパートより広いじゃないか。

「どうなってんだ」

 ぼくは、ボーっと立ち尽くしたままでいると、後ろから声をかけられた。

「なにやってんだ。そんなとこに立っていると、風邪をひくぞ」

 ぼくが振り向くと、そこには、誰もいなかった。

そのとき、ぼくの足元に、なにかが動く気配がしたので、下を向くと、そこに

黒いなにかが動いていた。

「えっ!」

 ぼくは、慌てて後ろに飛びのいた。そこにいたのは、巨大なカブトムシ

だった。

ちゃんと、六本の足で床をのそのそ歩いて、大きな角がにょっきり生えている。

立派な大きなカブトムシだ。でも、人の言葉を話してたぞ。

「どうした、地球人。入らないのか? ここは、いいぞ」

 そう言って、巨大なカブトムシは、岩風呂に入っていった。

そして、気持ちよさそうにお湯に浸かっている。カブトムシが温泉に入っているのを見たのは、生まれて初めてだ。てゆーか、虫が温泉に入って大丈夫なのか?

「こっちこい」

 カブトムシは、そう言って、頭の角を何度も振って見せた。

ぼくは、誘導されるままに、岩風呂に入った。

「ああぁ~」

 余りの気持ちのよさに、思わず声が漏れた。

「どうだ、気持ちいいだろ」

「ハイ、最高です」

 イヤ、待て、ぼくは、今、カブトムシと会話をしてるぞ。

「この街には、少しは慣れたか?」

「イヤ、まだまだです」

「わかんないことがあれば、何でも聞いてこい。俺は、ここに住んで、もう10年だから、何でも知ってるぞ」

 この人……じゃなくて、このカブトムシは、ここに10年も住んでいるのか?

「どうだ、アッコは。あいつと住むと、いろいろ振り回されて大変だろ」

「そうでもないですよ」

「それならいいがな」

 そう言うと、カブトムシは、岩風呂から上がると、羽を広げて、ブーンと音を鳴らして

隣のひのき風呂に飛んでいった。やっぱり、空も飛ぶんだ。ぼくは、当たり前のことに感心していた。

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