第2話 川北町

「それじゃ、今日は、この辺で帰ったほうがいいわ。ご両親には、結婚のこと、ちゃんと言ってね」

「わかりました」

「でも、あたしが、」

「それもわかってます。先輩が宇宙人だなんて、言えませんよ」

「正解よ」

 ぼくは、そう言って、先輩の部屋を出て行こうとした。すると、先輩が

呼び止めました。

「ちょっと待って。帰る前に、キミの事を認識させないとね」

 そういわれて、ぼくは、先輩に言われるままに、常にピカピカ光っている機械の前まで誘導されました。

「そこに座って」

 そう言うと、先輩は、指を一つパチンと鳴らしました。

すると、目の前に椅子が出てきました。

「うおぉっ!」

「いちいち、驚かないの。そんなことじゃ、あたしと暮らしていけないよ」

 ぼくは、言われるままに椅子に腰を下ろした。

「別に痛くないからね。すぐに終わるから、ちょっとだけじっとしててよ」

「あの、何をするんですか?」

「キミを認識させるっていったでしょ。この街に、地球人は、キミだけなんだから、怪しい人が潜り込んだらすぐにわかるようにしておかないと、キミは、ここで暮らせないのよ」

 何がなんだかわからないけど、危険なことはなさそうなので、先輩を信じて、言うとおりにしました。

すると、先輩は、ぼくにゴーグルのようなものをつけるように言いました。

「どう、なんか見える?」

「いいえ、何も見えません」

 メガネのようなものをかけたのに、目の前は、真っ暗で何も見えない。

「それじゃ、いくわよ」

 先輩がスイッチを入れました。すると、目の前がいきなり明るくなりました。

でも、七色の光が見えるだけで、景色は何も見えません。そのとき、目に強い光が二回ほど当たりました。

「ハイ、終了」

 先輩がゴーグルをはずしてくれました。

ぼくは、まだ、目の前がチカチカする感じがして、何度も瞬きを繰り返します。

「もういいわよ。これで、キミは、ここの住人だから、いつでもここに来られるからね」

「ハ、ハイ、ありがとうございます」

「それから、これもね」

 それは、一通の紙片でした。

「開けてみて」

 ぼくは、それを開いて見ました。

「これって……」

「そうよ、婚姻届よ」

 見ると、先輩の欄には、名前と判が押されていて、ぼくのところは、

何も書いてありません。

「今は書かなくていいわ。キミが、ホントにあたしと結婚したくなったときに

書いてね」

「で、でも……」

「すぐに書かなくていいの。あたしと暮らしてみて、ここの生活に慣れて、

あたしのことをもっと知ってからでいいから。ゆっくり考えてから、判を押してね」

「ハ、ハイ……」

 人生で初めて手にした婚姻届。これに名前を書いて判を押して、役所に

出せば、ぼくは、先輩と結婚できる。

ぼくは、人生でもっとも大事な書類を手にしてしばらく見詰めていました。

「ほら、なにしてんの。早く帰って、引っ越しの準備しなきゃダメでしょ」

 肩を叩かれて、ぼくは、我に帰りました。

「それじゃ、帰ります」

「いいこと、引っ越しと言っても、着替えとか最低限のものでいいからね。

バッグ一つで充分だから。明日は、昼からでいいわ。あたしが半休にしてあげるから、昼までに済ませて、出社すること。遅刻は、許さないからね」

「ハイ、わかりました」

「それじゃ、また、明日ね」

 先輩にアパートの外まで送ってもらいました。

「あの、先輩…… ぼくは、どうやって、帰ったらいいんですか?」

 ここは、川北町。住人は、すべて人間の姿をしているが、中身は宇宙人の

街だ。地図にも乗っていない街。当然、電車も走ってないし、駅もない。

ぼくは、どうやって帰ったらいいんだ……

「ごめん、ごめん。それを言うの忘れてたわ。そこにタクシー乗り場がある

から、そこからタクシーで帰って。行き先を言えば、連れて行ってくれるから。料金は、払わなくていいからね」

「いいんですか? 」

「だって、ここの街は、異世界というか、異次元というか、次元が違うから、

キミの世界までは、タクシー代は無料よ。ただし、この街の中だけの移動で乗るときには、ちゃんとタクシー代はかかるからね。慣れたら、バスのが安いわよ」

 よく見ると、バスも走っている。もしかして、電車もあるのか……

すると、ぼくの目の前を、路面電車が鐘を警戒に鳴らして通り過ぎていった。

いったい、この路面電車は、どこに行くのだろう?

「あの、先輩」

「なに?」

「もし、ぼくが、あの婚姻届に判を押さなかったり、先輩のことを、誰かに

言ったら、どうなるんですか?」

「そのときは、キミの記憶から、あたしのことを消去して、あたしは、

消えるわ」

「消えるって?」

「あの会社にあたしはいなかったことにして辞めるだけ。そして、また、キミの知らない地球のどこかで、普通の地球人を探して結婚するわ」

 ぼくは、なんだか聞いちゃいけないことを聞いたみたいで、反省した。

「変なことを聞いて、すみませんでした」

「いいわよ。誰だって、そう思うからね。でも、キミは、そんなことしない

わよ」

「なんで、わかるんですか?」

「だって、あたしが認めた普通の地球人だもの。キミを信じてるわ」

「なんか、すみません」

「いいから、早く帰りなさい。タクシーがきたわよ」

 ぼくは、目の前に止まったタクシーに乗り込んだ。

「先輩、また、明日から、よろしくお願いします」

「山岸と暮らすの、楽しみにしてるからね」

 そう言って、先輩は走り去るぼくに手を振ってくれました。

ぼくは、名残惜しそうにバックミラーで小さくなる先輩を見た。


「お客さん、どちらまで?」

 タクシーの運転手に聞かれて、ハッとした。

「えっと……」

「お客さん、地球人でしょ。珍しいねぇ」

「そうですか?」

「川北町から地球人を乗せるなんて、初めてだからね。それで、アンタの

ウチは、どこなの?」

 どう説明したらいいのかわからないけど、とりあえず、自分の家の近くの住所を言ってみた。

「ハイ、承知しました。近いから、すぐだよ」

 運転手は、あっさり言うと、スピードを上げた。

車内から見える景色は、まさに昭和時代の古い町並みばかりだった。

ぼくが生まれる前の日本は、こんな感じだったのだろう。

見ていて、なんとなくホッとしたのは、そこに暮らしている人たちが、

みんな笑顔だったからだ。

それに比べて、今のぼくが住んでいる街は、夜でも昼のように明るく、

車が激しく通り空気もおいしくないし、そこに生活している人たちは、

みんな忙しない。そんな気がしたのだ。

 すると、タクシーは、トンネルに入った。一瞬だが、暗くなって、前方は

タクシーのライトに照らされて道路しか見えない。

そして、すぐにトンネルから出ると、そこは、ぼくの知ってる街だった。

 巨大なビルと高層マンション。激しく通り過ぎる車。その脇の歩道には、

ジョギングしている人々。自転車で通り過ぎる人たち。

みんな足早だ。もっと、ゆっくり歩けばいいのに。川北町の人たちは、みんな

ゆとりがあるように見えた。

 空は、オレンジ色の夕焼けが眩しかった。ぼくの新しい人生が見えた

気がした。

明日から歩いて行く、ぼくの人生ロードは、どんなのだろうか?

宇宙人だけど、先輩と言う、素晴らしい人に出会って、認めてもらって、

いっしょに暮らすんだ。

どんな未来が待っているのか、それを思うと、なんだかワクワクしてきた。

 スーツの内ポケットに何気なく手を入れると婚姻届があった。

やっぱり、夢じゃないんだ。ぼくは、一度、それを開いて見た。

確かに、先輩の名前だけが記されていた。ここに、ぼくの名前をいつ書くか、

その日が楽しみになってきた。

「ハイ、お客さん、着いたよ」

 運転手に言われて窓から見ると、そこは、ウチの近所の公園の前だった。

「ありがとうございます」

 ぼくは、そう言って、財布を取り出そうとした。

「御代は、いいんだよ」

「あっ、そうか。ありがとうございました」

「いいってことよ。また、川北町に行くときは、呼んでくれな」

「ハイ、そうさせてもらいます」

 でも、どうやってこのタクシーを呼ぶんだ? 携帯なんて持ってないだろうし、

普通にタクシーに乗っても、川北町まで行ってくれないだろう。そう思っていると、タクシーのドアが閉まって、走っていってしまった。

大事なことを聞くのを忘れて、この日最大の後悔をした。

そんなことを考えながら歩いていると、自宅に着いてしまった。

 さて、今日のことを、どうやって両親に話すか?

いきなり先輩と結婚するなんて言ったら、世話好きの母のことだから、

きっと喜ぶだろう。だけど、それは、いくらなんでも早すぎる。

だからと言って、同棲しますというのもおかしな話だ。

いくら結婚を前提だとしても、結婚前にいっしょに暮らすというのは、

反対されるだろう。ぼくとしても、普通に考えれば、けじめと言うか、一区切りというか、正式に結婚するまではいっしょに暮らすべきではないと思う。

もっとも、ぼくのケースは、例外だけど。

 どうにでもなれという気持ちで、正直に話そうと思いながら、玄関を開けた。

「ただいま」

 そう言ってドアを開けたはずが、向こうからドアが開いたのだ。

「お帰り、お兄ちゃん」

 そこにいたのは、ぼくの嫁に行った臨月の妹だった。

「な、なんで、お前がいるんだよ?」

「お母さんに聞いたのよ。お兄ちゃんが、お見合いして、結婚を決めたって

言うから、話を聞きにきたのよ」

 今、なんて言った? 確かに、今日、先輩とお見合いはした。だけど、結婚は、

まだ決めてないぞ。

「ほらほら、早く入ってよ。みんな、お兄ちゃんのこと心配してたのよ」

 妹に手を引かれて中に入ると、リビングには、父と母が待ち構えていた。

「お帰り」

「おめでとう、やったな、甲児」

 両親は、ぼくを見るなり、そう言った。

「お兄ちゃん、ついに結婚ですか。私のが先に結婚しちゃったから、悪いと

思ってたのよね」

 いったい、どうなってんだ? ぼくは、なにがなんだかわからないでいると、

母が言った。

「さっきね、先方から、今回のことは、前向きに考えるって連絡があったのよ。結婚を前提にお付き合いしたいって」

「よかったな。とにかく、よかった」

 両親は、大喜びだ。でも、連絡があったとは、どういうことだ。先輩は、

何も言ってなかったぞ。

ぼくが帰る途中に、先回りして、ウチの親に連絡したということなのか?

「それで、早くいっしょに暮らしたいって言うから、お母さんもうれしくなってね」

「やるじゃん、お兄ちゃん。いきなり、同棲ですか?」

「いずれ結婚するなら、いっしょに暮らすのも、早い方がいいだろって、母さんと話してたんだ」

 なんだ、この親は…… 結婚してからとか、けじめをつけるとか、同棲は

どうだとか反対するんじゃないのか、普通は……

「お母さんもね、実は、結婚する前に、お父さんと暮らしてたのよ」

「あの頃は、同棲とか言うのも流行っていたからなぁ」

「へぇ~、お父さんもお母さんも、やるじゃん」

 そんなところで感心するな。ウチには、一般常識というのがないのか。

でも、話が早いなら、ぼくが説明する手間が省けた。

「それじゃ、父さんたちは、ぼくが彼女と暮らしてもいいの?」

「全然、問題ない」

「でも、そうすると、ぼくはこのウチを出て行くんだよ」

「アラ、いいじゃない。お母さんは、お父さんと新婚時代を思い出しながら二人で暮らすから」

 相変わらず、万年ラブラブ夫婦でのん気だ。心配して損した。

「でも、たまには、顔を見せてよ」

「それくらいはするよ」

「その前に、私の赤ちゃんのこともよろしくね。お母さんたちの初孫なのよ」

「そうだったな。俺たちは、おじいちゃんとおばあちゃんになるのか」

「おばあちゃんなんて、早いわよ。まだまだ、そんな年じゃないんだけどね」

 そう言って、ぼくのことなど、忘れたかのように、三人で盛り上がっている。

「それじゃ、明日の用意するから、先に休むね」

「待ちなさい。その心配はないわ。もう、アンタの着替えとか詰めといたから」

 そう言って、母が大きめのバッグを持ってきた。

いちいち、仕事が速すぎだろ。てゆーか、段取りよすぎだ。

「この中に、着替えととりあえずの仕事用の服とか入れておいたから、パソコンとか他に必要なものは、自分で用意しなさいね」

「ありがとう……」

 ぼくは、母にお礼を言ってから、自分の部屋に行ってみた。

すると、ぼくの着替えなどがあったタンスや引き出しの中は、空っぽになって

いた。とりあえず、必要なものは、すべて用意してくれたらしい。

他に必要なものは、携帯電話とパソコンくらいだ。これじゃ、ぼくのやることはないじゃないか。

 結局、やることがないので、一階のリビングに降りるしかなかった。

降りると、家族三人は、ぼくの結婚式の話で盛り上がっていた。

本人抜きで、よくもそこまで盛り上がれるなと感心しながら、ぼくは、関わらないようにしてとりあえず、お風呂に入って寝ることにした。


 翌日、ぼくは、家族三人に見送られるようにして、家を出た。

「お嫁さんによろしくね」

「お兄ちゃん、がんばってね」

「しっかりやるんだぞ」

 ぼくは、なんて返事をしたらいいのかわからないまま、とりあえず駅まで

歩いていった。駅に着いたとはいえ、川北町まで、どうやって行ったら

いいのか、途方に暮れていた。

時計を見ると、まだ朝の九時だ。昼までに出版社に戻らないといけないので

時間がない。しかし、電車では行けない。とりあえず、駅まで行ってみた。

「さて、どうやって行くんだ……」

 途方に暮れながらもタクシー乗り場に行ってみた。

すると、そこに一台のタクシーが止まった。後ろのドアが開く。

でも、そのタクシーでは、川北町に行かない。

ぼくは、困ったので、次の人に譲ろうと思った。だが、後ろを見ても、

誰もいない。つまり、タクシー乗り場には、ぼくしかいないという状況だ。

「お客さん、乗らないの?」

 タクシーの運転手が聞いてきた。乗りたいけど、川北町といっても通じないので乗るに乗れないのだ。返事に困っていると、運転手がさらに続けた。

「川北町だろ。乗りなよ」

「えっ?」

 ぼくは、思わず変な声を出してしまった。今、川北町と言ったよな。

聞き間違えか?

「あの、川北町を知ってるんですか?」

「知ってるよ。早く乗りな。行きたいんだろ」

「ハ、ハイ、それじゃ、川北町までお願いします」

 そう言って、ぼくは、タクシーの後部座席に乗った。すぐにドアが閉まって

走り出した。でも、ホントに大丈夫なのか? 全然違うところに連れて行かれるん

じゃないかと不安になる。

「あの、ホントに大丈夫なんですか?」

「お客さん、川北町の住人だろ」

「そうですけど……」

「アンタか、あの街に来た地球人ていうのは」

「えっ、知ってるんですか?」

「知ってるさ。見たのは、初めてだけどな。あんたは、有名だからよ」

「ぼくが有名?」

「だって、そうだろ。宇宙人の住む街に、地球人がいるんだからさ」

「それじゃ、もしかして、あなたは……」

 そう言って、運転席にある運転手の証明書を見た。

そこには、運転手の名前が書いてあった。名前は、田中一郎だった。平凡すぎる地球人らしい名前だ。

「もちろん、俺も宇宙人さ。しかも、侵略宇宙人」

 ぼくは、黙るしかなかった。いきなり、侵略宇宙人のタクシーに乗って

しまったのだ。だからと言って、降りることも出来ない。

タクシーは、走っているのだ。

アクション俳優じゃないし、運動神経も決してよくない。走行中のタクシーから降りるなんて芸当が出来るはずがないので、諦めておとなしく乗るしかない

のだ。

「あの、なんで、侵略宇宙人が、タクシーの運転手なんてしてるんですか?」

「当たり前だろ。働かなきゃ生きていけないだろ。宇宙人だって、生活がかかってるんだからよ」

 なんと言う正当な理由なんだ。ぼくは、感心してしまった。

宇宙人が、普通に働いているのだ。生活のために…… 

これじゃ、ぼくと同じじゃないか。

 そうこうしているうちに、不思議なトンネルに入った。回りがいきなり

真っ暗になる。

そして、トンネルを抜けるとそこは、宇宙人の住む街である、川北町だった。

「ここでいいか」

「ハ、ハイ、ありがとうございました」

 タクシーは、川北町の中心街である、タクシー乗り場に着いた。

「いくらですか?」

「御代は要らないよ。あんたも仲間だからな。川北町の住人は、ただなんだよ」

「そうなんですか…… でも、いいんですか?」

「それが、決まりだからな」

 そういわれると、言葉に甘えるしかない。ドアが開いたので、ぼくはお礼を

言って、タクシーを降りた。そのまま、ドアが閉まると、タクシーは普通に

行ってしまった。ぼくは、不思議な感覚でタクシーを見送る。

川北町は、不思議な街だ。

 ぼくは、急いで昨日のアパートに向かった。そして、あの木造アパートに

入った。薄暗い廊下を歩いて、真ん中の部屋の前に立つ。

だけど、どうやって中に入るんだ? 鍵とかもらってないぞ。

まさか、開いているのか……

そう思って、ドアノブに手をやると、すんなり開いた。

「無用心だな。泥棒とか入ったらどうすんだ」

 ぼくは、そういいながら中に入る。靴を脱いで部屋に入ると、相変わらず意味不明な機械が動いていた。

ぼくは、それを横目で見ながら、自分の部屋に入る。襖を開けると、そこは、

ぼくの部屋だ。家具やテレビに机がある。どれも新品だ。

ここだけ、ぼくのいる世界のようだ。

 とにかく、ぼくは、バッグにつめた着替えなどをたんすの引き出しにしまい、クローゼットに服をかけた。

持ってきたパソコンを机に置いて、引越しは終了した。

襖一枚の向こうは、ぼくの知らない世界で、このアパートは、ホントに

不思議空間だ。

 何気なく腕時計を見ると、もうすぐ11時だった。

出版社に行かなきゃいけないことに気がついて、慌てて部屋を飛び出した。

「さて、ここからどうやって、出版社にいけばいいんだ。こんなことなら、

さっきのタクシーを待たせておけばよかった」

 独り言のように言いながら、タクシー乗り場に向かった。

しかし、生憎、タクシーは一台も止まっていない。

「まいったな」

 ぼくは、そう言いながらタクシーを待つことにした。だが、こんなときに

限って、なかなかタクシーが来ない。

ぼくは、時計と睨めっこしながら、イライラして待ったなのに、タクシーが来る気配がない。このままじゃ、遅刻するぞ。路面電車やバスは、走っているのに、タクシーが来ない、。

「アレじゃ、行けないもんな」

 目の前を通る路面電車やパスを見るしかなかった。

道行く人に行き方を聞いてみるか? もしかして交番があるかも。そこで道を聞いてみよう。

 ぼくは、そう思って、交番を探してみた。川北町の中心部に出ると、

交番を見つけた。

「イヤ、待てよ。ここは、宇宙人しかいないんだよな。てことは、おまわりさんも宇宙人だろ。聞いていいのか」

 疑問が浮かぶと足が止まった。どうする…… 先輩に電話して聞いてみるか。

そう思って、携帯電話を取り出した。そこに、一台の車が止まった。

「アンタ、地球人だろ。乗って行けよ。あっちの世界まで送ってやるから」

「ハイ?」

 ぼくは、見知らぬ若い男に声をかけられた。一瞬、ナンパされたと思った。

「丁度、あっちの街まで買出しに行く用事があるから、ついでだよ」

 この男も宇宙人だよな。あっちの世界に用事があるって、意味がわからない。

「どうすんだよ。乗るのか乗らないのか? 」

 ぼくは、時計を見た。昼まであと30分しかない。迷ってる時間はない。

「お願いします」

 ぼくは、そう言って、助手席に乗り込んだ。すぐに車は、走り出した。 

「それで、どこまで送ればいいの?」

「あの、永井出版社なんですけど、知らないですよね」

「知ってるよ。アッコのいる会社だろ?」

「えっ! 先輩…… じゃなくて、アッコさんを知ってるんですか?」

「当たり前だろ。この街は、アッコが作ったんだからよ」

「えっ、えーっ!」

 ぼくが驚いて声を上げると、若い男が軽い調子で言った。

「なにを驚いてんだよ。アンタだろ、アッコの実験台って」

「そ、そうですけど…… 実験台って」

 それより何より、先輩がこの街を作ったって、どういう意味なんだ?

「俺たちは、侵略宇宙人だから、みんな地球をどうやって侵略するか、考えてんだよ。だけど、星一つを侵略って言っても、そう簡単にできないだろ。だから、アッコがバラバラになって人間の振りして暮らすより、一つに集まった方が、

やりやすいと思って、この街を作ってくれたんだよ」

 会話が全然頭に入ってこない。ここに住む人たちは、本気で地球を侵略する

気なのはわかる。だからと言って、見た感じは、まるで普通の地球人だし、

普通に生活している。

大人ばかりじゃない、子供だっているし、男や女もいる。それが全員、侵略目的の宇宙人たちなのだ。

「さっきから、なに黙ってんだよ? なんかしゃべれよ」

「イヤ、でも、その……」

「地球人て無口なのか? 違うだろ。アンタ、俺のことを疑ってるだろ」

「えっ!」

「アンタの思ってることなんて、バレバレだぜ。俺は、宇宙人だからな。

人の心が読めるんだよ」

 マジか…… 俺の思ってることが筒抜けなのか。これじゃ、下手なことは

考えられないぞ。

「侵略宇宙人も、いろいろだからな。アンタも、これから大変だな。アッコの

世話をするんだから」

「大変なんですか?」

「そりゃ、そうさ。アッコは、アレでも、気が短いからな。気をつけるんだぜ」

「ハ、ハイ、気をつけます」

 そうは言っても、なにに気をつければいいんだ。

改めて車内を見ると、今時、珍しいマニュアル車だ。ギアを変えるたびに、

レバーを忙しそうに変えている。

しかも、バックミラーがドアミラーじゃない。えらく古いタイプの車だ。

クラシックカーというのか、これがこの男の趣味なのだろうか。

 考えて見れば、この街は、どれも昔の感じだ。いまどき、路面電車やバス

だって屋根から電気をもらって走るトロリーバスだし、車体はボンネット型だ。街全体も古びているし、近代的な建物は一つもない。

この街だけ、時代が違う。平成生まれのぼくにとっては、まったくついて

いけない。

「あの、何を買いに行くんですか?」

「決まってるだろ、食い物だよ。仕入れに行くんだよ」

「それじゃ、あなたは、八百屋さんとか魚屋さんですか?」

「スーパーの店員だよ。まだ、行ったことないのか?」

「ハ、ハイ、実は、今日、引っ越してきたばかりなので」

「そういうことか。それじゃ、この街のことは、まだ何も知らないってわけか」

「ハイ、右も左もわかりません」

「心配すんな、新人には、優しくて親切な街だから、わかんないことがあれば、誰でも教えてくれるから安心しな」

「そうなんですか、ありがとうございます」

「それじゃよ、まずは、俺のスーパーに来てみなよ」

「そうします」

 意味がよくわからない会話をしているうちに、車は出版社の前に止まった。

「ほら、着いたぜ」

「ありがとうございます」

 ぼくは、お礼を言って車を降りた。

「それじゃ、またな、アッコによろしく」

 そう言うと、車は、颯爽と去っていった。そんな走り去る車を見ると、

大昔、ぼくの祖父が乗っていたクラウンとそっくりな車だった。

そんな昔の車なんて、今は売ってないぞ。

そんなことを思いながら、はるか遠くに走って見えなくなった車の方を

見ていた。

「そうだ」

 ぼくは、ハッと我に返って、時計を見ると、時間は、11時40分だった。

急がなきゃと思って、出版社の中に走った。

 一階の受付を通り、エレベーターで編集部がある三階に行く。

しかし、こんなときに限って、エレベーターが来ない。

ぼくは、横にある階段を駆け上がった。走りながら、送ってくれた人の名前を

聞くのを忘れたことに気がついた。

 なんとか三階にたどり着いて、息を切らしながらドアを開けた。

「遅くなって、すみませんでした」

 そう言って、中に入った。そして、壁についている時計を見た。

よかった、遅刻は免れた。と、思ったら、いきなり先輩に丸めたノートで頭を叩かれた。

「こら、遅いぞ」

「イヤ、でも、遅刻じゃないですよ」

「山岸は、新人なんだから、30分前に来なきゃダメでしょ」

 そう言われて時計を見ると、11時50分だった。

遅刻じゃないのに、そんな理不尽なことを言われるなんて、なんか納得いかない。でも、先輩には、逆らえない。

「ハイ、すみませんでした」

 そう言うしかない。先輩を怒らせてはいけない。

この人は、気が短い宇宙人だから。

そんなやり取りをしていると、お昼を知らせるチャイムが鳴った。

「山岸、昼は食べたの?」

「いえ、まだです」

「それじゃ、お昼を食べに行きましょ」

 そう言って、先輩は、編集部を出て行った。ぼくは、慌てて後を追う。

先輩は、四階にある社員食堂に入っていく。すると、他の社員も続々と集まってきた。

 ぼくは、ここの社員食堂が好きだった。入社してから、毎日食べている。

安くて、うまいのである。なので、外食に行く人は、ほとんどいないので

昼時は、混むのだ。

「あたしは、日替わりのA定食ね。席を取っておくから、持ってきてね」

 そう言って、ぼくに、お金を渡してさっさと窓際の開いている席を陣取った。

「あの、お金は、ぼくが……」

 そういい終わらないうちに、先輩は、手を振りながら席に向かって歩いて

いった。

なんか、カッコいい。女性にしておくには、もったいない。

もし、先輩が男だったら仕事が出来て、イケメンで、優しくて、若い女性に

モテただろう。

もっとも、女性であっても、仕事が出来て、美人で、優しくて、ちょっと厳しいけど、男女を問わず人気があってモテるけど…… 

ぼくは、そんな先輩と婚約してることが優越感を感じさせた。

 ぼくは、日替わりのB定食を頼んで、両手でそれぞれのランチを並べたトレーを持って窓際の先輩の席に運んだ。

「ありがと」

 先輩は、そう言って、目の前に置かれたランチを見る。

「あの、こーゆーの好きなんですか?」

「好きよ。だって、おいしいじゃない」

 当たり前のことを、当たり前のように言う先輩は、どっから見ても地球人に

しか見えない。

先輩は、A定食を早速おいしそうに食べ始めた。その食べっぷりを見ているぼくの視線に気がついてこう言った。

「なに、見てんの? 山岸も食べたら」

「あっ、ハイ、いただきます」

 ぼくは、慌てて箸でご飯を口に入れた。

「ちゃんと、引っ越しできた?」

「ハイ、できました。荷物も着替えとパソコンだけだし」

「よろしい」

 先輩は、そう言って、ニッコリ笑った。その笑顔が可愛すぎる。その笑顔を

ぼくは、独り占めできるのかと思うとそれは、とても責任重大なことだと

気がついた。

 食後のコーヒーを飲んでいると、先輩が口を開いた。

「山岸は、ここまでどうやって来たの? ウチから、アパートまで、どうやって

行ったのかしらね」

 忘れていた。先輩も宇宙人なのだ。ぼくの心で思っていることは、

筒抜けなのだ。

ぼくは、タクシーで送ってもらったこと、知らない人の車で送ってくれたことを話した。

「なるほど。もう、すっかり、アソコの住人ね」

 先輩は、黙って聞いてからそう言った。

「だけど、それって、全部、偶然だったと思う?」

「えっ? 」

「だって、たまたま来たタクシーが、川北町の住人なんて、出来すぎだと思わない?」

「あっ! それじゃ、もしかして……」

「そうよ。あたしが根回ししておいたのよ。だって、そうしないと、アソコには行けないでしょ」

 そういうことか。考えてみれば、いくらなんでも、偶然過ぎる。

止まったタクシーが、川北町の住人なんて、そんなうまい話はない。

それに、送ってくれた人だって、たまたま通りがかったなんて、そんなことが

あるわけがない。全部先輩が、話を通してくれていたのか…… 

「全部、先輩がやってくれたんですね」

「そうよ。でも、勘違いしないで、誰にやって欲しいとは、指示は出してないのよ。そのとき、気がついた人がキミを

タクシーに乗せる。帰ったら、送ってくれた人にお礼だけは、言っておいてよ」

「ハイ、わかりました」

 ぼくは、そう言って、残ったコーヒーを飲み干した。

「それじゃ、戻ろうか。午後の仕事は、がんばってもらうからね」

 そう言って、ぼくたちは、立ち上がった。

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