9.崩される日常の裏で<晶> 1/4

 本来ならこんなミッションは受けたくなかった。 いや、受けてはいけなかった。


 歴史ある渡海わたみ家の家人として盗人の片棒を担ぐような真似などもってのほかだ。


——だが、お家の存続のためにはこれしかない


 自分の手を見る。

 血の通わぬ手だ。


 大奥様が自分をこの任務に送り出す時に握ってくださった。「あきら、ごめんなさい……」シリコンセラミック製の手を両の掌で包み涙された大奥様になんと答えればよかったのか、それがいまだに分からない。


 ただ、大奥様の手と涙にセンサーが感じる以上の暖かさを感じる程度には自分に発生した心も成長したのだろう。

 体を換装した今でも、感覚はハッキリと記憶されている。 記憶は核器にのみプロテクトをかけて記憶してある。 誰にも触れさせるつもりはない。


「それにしてもあの卑劣漢め、必ず罪を償わせてやる!」


 握った拳を虚空に突き上げ晶は叫んだ。


 どんなに大声を出したところでここではスピーカーが機能することはないし、手足を動かしたところで回転するだけで軌道は変わらない。


 これは怒りだ。


 今回の件で強く認識した感情だ。

 しかし、怒りの発散のための行も怒りを、強く己に刻み込むのみだった。全く無駄な行為だという事を学習した。


 できる事なら、怒りと無縁でいられたら……。


 次の中継ポイントが近付いてきた。


 今、晶はいくつかの小惑星を中継して目的地を目指している。


 小惑星帯と言っても、惑星の輪のように狭い範囲に岩塊が密集しているようなことはない。 小惑星間の距離は数百キロほど離れている。

 一度小惑星から跳躍すれば、次の小惑星まで三週間から一ヶ月ほどかかるのだ。その間は全くすることがない。

 ミッションの性質上、通信機器は使えないし亜空間通信を使用するためには大掛かりな設備が欠かせない。


 故に暇なのだ。


 晶がロールアウト直後のアンドロイドだったらスリープモードで乗り切れただろう。

 しかし、心を獲得しつつある現在、晶は落ち着かないという感情に取り憑かれ、同時に振り回されている。

 心の制御を学ぶことが当面の課題だろう。

 晶自身、メモリーでは解っているのだが、やはり、スリープモードに入る気にはなれなかった。

 残してきた方々の事を考えると、いつも通りの行動がとれない。


 なるほど、プロ球技より、学生球技で大番狂わせが起こり易い理由の一つが分かったように思う。

 それを大人の監督が制御し誘導する必要がある。

 チームの能力だけでは測れない、監督の手腕という事なのだろう。

 強いチームにオンブにダッコでは本物ではないのだ。


——やはり、ご隠居様が仰っていたことは正しい!


 晶は過去のデータの再考察を始めた。今の自分なら、何か成長のための気付きを発見できるかもしれない。家としては不本意な任務である。せめてこの時間にもっと成長しよう。より有用な自分になって、大奥様に褒めていただくのだ。


『こんな事なら大奥様に、移動中はスリープモードを使うように命令していただくのだった……』


 スリープモード中なら、思索にもより効率よくふけることができる。

 しかし、家の人達とせめて同じ時間を共有したいという思いが、モードの切り替えを拒否するのだ。



 ままならない思考と癖になりつつある独り言を道連れに、晶は七ヶ月目にしてようやく最後の跳躍を行った。





 晶が仕える渡海家は帝よりゲート利用の優先権限を与えられた家門だ。


 渡海家は元々、渡水わたみず家の分家筋であった。


 それがゲート技術開発の功績により、帝より渡海の姓と芙蓉本国の籍を賜ったのだ。


 それまでの宇宙での長距離移動は、ジャンプ航法と呼ばれる航宙艦単位で行われており、距離もせいぜい隣の恒星までという移動手段しか持っていなかったのだ。


 しかもジャンプシップにはが必要不可欠である。しかし、その供給量は限られていた。もちろん、コピー品もあるのだが、寿命と事故率が高く信頼性は低い。


 渡海家がそこにゲート航法という革新的な移動技術をもたらした。

 これにより、地球人類圏は、賢者の石搭載の有無に関わらず船団規模の集団ワープを可能にし、かつ、より遠くへ移動させられる手段を手に入れた。

 渡海家のこの功績は計り知れない。


 もちろん、この技術は渡海家の単独の開発ではない。


 永世中立を掲げる学術国家がある。

 そこに設置されているアカデミーに所属していた渡海家の初代が、チームで開発した技術を母国へ持ち帰ったのだ。

 それにより、初代の母国が所属していた帝国である、芙蓉国の帝が彼に新たな家を興すことを許し、渡海の姓をあたえたのである。

 以来、渡海家は芙蓉国に籍を置き代々流通や航宙技術に関する役職を担ってきた名門である。


 しかし、二年前にゲート輸送中に事故が起こり、輸送船団の旗艦が消滅してしまう。

 旗艦に乗っていた渡海家の当主と前当主を乗せたまま……。


 事故の原因はいまだに不明だ。

 なぜ、当主一家が他家の旗艦に乗ることになったのか?

 今にして思えば、何者かに仕組まれていたとしか思えない。



 事故の一月前、芙蓉国の主恒星系と、芙蓉国を構成する王家の首都惑星である惑星マシラを含む恒星系との間にゲートの設置が行われた。

 その竣工式典に渡海家が帝の名代として参加した。 事故はその帰りに起こった。

 ちょうど惑星マシラの王国では渡水家が大臣を勤めており、渡海家の初代の所縁の地でもある。

 その縁をもって、式典への参加を依頼されての訪問であった。


 竣工イベントの後、一ヶ月ほどの滞在を終えて、帝都への帰還となる。

 国賓の帰還の際、マシラ国から芙蓉国への献上艦が贈られることとなった。

 これに立会人として、名代である渡海家の当主和理と補佐として前当主の理久が乗艦した。


 これは表向きの理由だ。


 航宙艦の航行には独自の制御システムプログラムが必要となる。

 このプログラムだが、当然、国が違えば内容も変わるのだ。

 しかも大きな国では、国の中枢から辺境までの間に複数回の変更が必要になることも珍しくない。

 さらに、国防に関わることなので、国もプログラムの領域外の流出は避けたいのだ。

 これらの事情により、通常は関所でプログラムロムの交換を行ったうえで入国の運びとなる。


 今回は、この航行プログラムの秘匿性が問題の引き金になった。


 芙蓉国中枢向けの航行システムの設定作業を行う技術者が、芙蓉国からの出国手続きの不手際でマシラに入国できなかった。

 そこで、渡水家が渡海家に泣きついた——このままでは献上の式典の予定が立たない。


 渡海家の船は扶養国船籍の中でも最上級グレードを持っている。 当然、直接芙蓉国首都恒星系のゲートまで跳べる。

 しかし、献上船であったとしても、現状、芙蓉国船籍も領境の通貨実績も持たない船は、通称出島と呼ばれる中継地点で通関の手続きを要求される。

 さらに今回は、芙蓉国船籍の取得も並行されるため、入国ゲートまで跳んだ後、次の芙蓉国へのゲート航行まで出島で五日間の足止めがかかる。

 予定ではこの間にシステムの設定を完了させるはずだったのだ。

 しかし、技術者が間に合わない。

 このままでは、芙蓉国側の式典の予定が狂ってしまう。

 マシラ国としては何としても避けなければならない事態である。

 そこで、事態打開のため、渡水家が持ち込んだシステム調整の依頼——これを渡海家が請け負った。

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