8.日常のレール 走り出す非日常
浮遊するような感覚を感じながら目を覚ます。
最初に発見したのは、目の前を漂う丸い球だった。
次に発見したのは、それらと共に漂う自分自身だった。
——知らない天井とか言ってみたかったな……。
不意にクラスメートとの会話を思い出した。
それが、眠りにつく前の物理現実の世界の思い出なのか、仮想現実の世界の思い出なのか、そこが判然としない。
ぼんやりとした思考の中、徐々に自分自身が空中を漂っている状況への疑問が強くなった。
同時に自分自身が仮想現実世界で何度となく学生を繰り返していた事を思い出す。
「おはよう、
鷹揚はこれが燈理の母親の声だとすぐに認識できた。
挨拶を返しながら、彼女の声を聞くのは初めてだということにも思い至る。
燈理の母親とは仮想現実世界においても会ったことがない。
成程、意識の誘導とはこういうことかと納得する。
誘導がないからこそ、燈理の母親について疑問に思ったのだろう。
「鷹揚君、床に降りることをイメージして。それだけで降りれるはずよ」
まだ、覚醒が不十分なのか、床と言われてはじめて自分に上下の感覚があることに疑問を持った。 無重力状態では上下感覚はないはずだ。
言われた通りに床に降りたいと念じてみる。
ゆっくりとだが、体が下降を始め、程なく自分の足裏に冷たい床の感覚と自身の体の重さを感じることができた。
仮想現実世界での感覚と変わらないが、随分懐かしい感覚だと感じた。思わず軽く跳躍をしてしまう。
床に立ってみて、ようやく鷹揚は自分が木のウロのような場所に立っていることを認識する。
この一つ一つの発見を重ねるような感覚は、そのうち無くなってくれるのだろうか。
「まだ、色々と違和感を感じると思うけど、意識が体や生活そのものに馴染んでくれば、違和感は消えていくから心配しないで」
アドバイスに返事を返しつつ、周囲を確認する。
木のウロのようだが、質感は金属のそれだ。
触った感じも鉄に近い感触だった。
そして、ウロのように囲まれているわりに明るいと思ったら、樹状の金属質の表面が流れるように淡く発光している。
鷹揚が触った部分がわずかに震え、やがて人が通れるくらいの穴が開いた。
特に疑問も感じずに木の洞をくぐると、人が入れるくらいのカプセルが目に入る。
カプセルは一つではなく、鷹揚を中心にぐるりと無数に設置されていた。
そこには、なんの音もない、墓所のような静謐があった。
ここがホスピスなのだろう。
いくつか台座だけになっている場所があるのは亡くなった方のものだろうか?
「タカちゃん! ひゃあああ!」
カシュッと消音ギヤが動く音がした。 振り向くと出入り口であろう場所が開いていた。
ドアが開くと、よく知った声が飛び込んできた。 が、見知った姿ではない。
声を発していたのは、昔見た映画に出てきた帝国の大型バトルステーションをハンドボール大にしたような浮遊物体だ。
クルクルと空中を飛び回りながら、「まだ早いよ……」とか言っている声は確かに燈理のものだ。
「ちょっと、お母さん! 服ぅ!」
「ああ、そうだったわね。お母さん、ちゃっかりしちゃったわ」
「ちゃっかりって……ワザとやってるの?」
「でも、燈理ちゃん、鷹揚君のことよく覗いてたじゃない? 見慣れてるんじゃないの?」
「覗いてないし! 見守りだし! それに、現実じゃないし!」
仮想現実世界であった燈理より、少々幼い印象を受ける。 母親の前?ではこんなものなのだろうか?
成程、確かに盗聴器は仕掛けてないね。納得だ。
そして、裸であることの違和感にようやく気づいた自分自身に、日常生活が送れるようになるまでどの位かかるのか不安になる鷹揚だった。
◇
食事でも摂りながら話しましょう。 という
円は燈理の母親だ。
いわゆるアンドロイドについて、この時代、広義には自動販売機もこれに含まれるという。
人間に接する機械のほぼすべてに人格がつけられていると考えて間違いないそうだ。
なぜか?
人工知能に経験をさせるためだ。 よほど高額なアンドロイド以外は市井で経験とデータを蓄積して成長してゆく。
そのため、幼い人工知能に人型のボディが与えられることは稀で、最初は自動販売機や携帯端末などの自力で移動できないものに搭載され、世間に触れるのだ。
一般的にアンドロイドに対して修行中といえば、この時期をさす言葉である。
アンドロイドにとって、体をもらうことは一つのゴールであり、なかなか狭き門であるようだ。
この狭き門を通過したアンドロイドが次に目指すのは、独立であるという。
体を得た後で、特に問題行動が無かったアンドロイドが雇用主の推薦を受けると、審査の末、戸籍と自由が与えられる。
それまでのアンドロイドは主に雇用主に紐づけされた様々な規制を受けている。 彼らは正しく奴隷なのだ。 独立とはこの隷属からの解放にあたる。
また、体を得る事の特殊ケースに生体ボディがある。 これは特殊な職業のアンドロイドや、はたまた人間との恋愛の結果、アンドロイドが生体ボディの取得を希望することがある。 これを巷では受肉と呼ぶそうだ。
さて、さらにこの上の資格を得たものに許可されることの一つに、アンドロイドの作成がある。
独立したアンドロイドが長い期間、自らをチューンナップし続けて得られる高みなのだそうだ。
と、このような話を鷹揚の食事中、
どうやら、二人とも会話が楽しいらしく、テンションがやたら高い。
「アンドロイドの基本はこのくらいかしら。 鷹揚君、なにか質問はある?」
「アカ姉って人間じゃないの?」
「え、タカちゃん、えぇ……そこから?」
「何度か訊こうと思ったけど、話の隙間を上手く捉えられなくて……。あと、円さんってどこにいるんですか?」
「あー……、それは知らないわよねぇ。盲点だったわ。五百年前から何が変わってるかなんて、簡単には説明できないわ……鷹揚君……また私の中に来る?」
「その言い方、ワザとですよね? 子供をからかうのは良くないですよ?」
「鷹揚君は私より年上よね?」
「残念ながら大学生より上の記憶がありません。回数だけはこなしているようですが」
燈理は、鷹揚の身の回りの世話をするためのプログラムだけのアンドロイドであったそうで、今の球体ボディは仮の体だそうだ。
「本当は、タカちゃんに
「じゃ、アカ姉はしばらく残って受肉をするのかな?」
「いいえ、わたしはタカちゃんと一緒に行くわ。だって……妻ですもの。それに、あのキスの思い出があれば、体なんかなくても頑張れるわ!」
——うっわー、どうしよう……今更あれはフランクフルトだよ☆ とかいえない。
「次は私の事を簡単に説明するわね——」
円はこの施設の管理コンピューターである。
このホスピスの管理を引き受ける前は、市長を勤めていたそうで、当時はイベント用に人型のアバター端末も持っていたそうだ。
また、彼女はこの施設についてはもちろん、自身が作成したアンドロイドたちに対しても上位権限をもち、施設内においては大概のことができるらしい。
今も、館内スピーカーを駆使して干渉波を作り、鷹揚の近くから話しているような錯覚を起こさせているそうだ。
「そうねぇ……何ができるかっていうと……そうそう燈理ちゃん」
円が声をかけると、空中でクネクネ動きまわっていた燈理が返事をして振り向いた。
「あなたと、鷹揚君のキスだけど、アレ、フランクフルトよ?」
「ぇ……」
ゴトン! 燈理がテーブルに落下する。 しかも自由落下だ。
「うそ……え……やだ……タカちゃ……ダマ……」
燈理は微動だにせずテーブルに転がっている。
心なしかカメラのレンズが濁ってきてさえいるように見える。
濁りが進むにつれ、カタカタと震える音も大きくなってきた。
「えい!」
「あれ? わたし……」
円が明るく気合を入れた途端に、燈理が正気に戻る。 フランクフルトの記憶もないようだ。
「と、まあ、このくらいの事は簡単にできるわ!」
「……あー、チョッカイをかけたいんでしょうが……ほどほどで勘弁してあげてください」
「!——燈理ちゃん、鷹揚君にお客様みたいよ。映すわね」
部屋の中央にホログラムが浮かび上がる。
実体を伴っているかのような精緻な映像だ。
映像は宇宙空間を球状に切り取ったかのようだった。そして、その中央に戦艦が浮いている。
グレーの戦艦には艦橋の類は見られないが、上下左右に三連砲塔を備えている。
船首の窪みはミサイル発射筒だろうか。
戦艦の前方に立体映像が映し出された。
ネイビーブルーとバイオレットでカラーリングされた、鋭角的なデザインのアンドロイド。
おそらく戦艦の艦長だろう。とにかく、代表であることは間違いない。
「私は
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