神絵師、呼ばれました。
「っとと、こっちも電話か」
悪友の荒い鼻息と声量をよそに、相手を確認してから通話ボタンをタップする。
「はい、もしもし鍵谷です。…電話お待ちしておりましたななみさん」
「もしもし、こちらこそお待たせしてしまい申し訳ありません、康太君」
電話先はななみさんだったが、声はいくらか疲れているようだった。
マスターアップまで間に合うのだろうか、その瀬戸際だと思う。うん。
「それでですが…昨日の契約の件、こちらを正式にお願いしたく思いまして、今お時間はよろしかったでしょうか?」
「少々お待ちください」
後ろで騒いでいる奴はいるが…、航にジェスチャーを送ると了解のサインが返ってくる。こういうとき業界を知ってる人間だとありがたいな。すぐに静かにしてくれた。
よし、大丈夫。
「すみません、お待たせいたしました。はい、お話を聞かせていただければと思います」
「ふふ、その言葉を嬉しく思います。ではまず先に、弊社作品のグラフィック、納品を確認いたしました。ありがとうございます」
「いえ、そちらにつきましては、私事で納品が遅れてしまい申し訳ありません」
「確かに遅れてしまったといえばそうですが、規定納期を超えているわけではなかったので問題ありません。それで次回のご相談なのですが、
ふむ…なるほど。
あくまで対外的な交渉で進める、って意味なのかな?
「はい、問題ございません。私もいつでもお伺いすることはできますので」
「ありがとうございます。では具体的な日時でございますが、『先日』ご相談させて頂いた通り、本日の17時に弊社オフィスでご相談をさせて頂きたいと思いますが、いかがでしょうか?」
『先日』…?
昨日ではなく…。…だめだわからん。とりあえず話を合わせておこう。
「かしこまりました。お約束の通りに、お伺いさせていただきます」
「ありがとうございます」
ななみさんの声のトーンが若干上がったみたいだ。つまり合ってる…ってこと?
「ではお待ちしておりますので、何卒よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
通話を切る。
「ねーねー。さっきのどういう意味?」
それと同じタイミングで航が声を掛けてきた。
「正直わからん」
「ん? どゆこと?」
「いや、さっき辞めた話をしただろ? で、その辞めた直後に取引先の社長と会って契約を結んじゃったのよ。ただ遠回しに格式張ったりしているから…どういう意味なんだろうなって」
「んー。わからん」
こいつ…。アホ面下げて思考停止しやがった。
まぁ要領を得ない話だったし、未だに俺も不思議に思ってるからそう思われても仕方ないか。
「んで、17時にあっちの会社に行くことになってるのさ」
「ほぉほぉ…。それまた急な話だわさ」
まぁ逃げてすぐに仕事に就くなんて、普通しないだろう。
「…ところで名刺はもってくん?」
「…あぁ、最近持ち出してなかったからすっかり忘れてたよ。サンクス」
「良いってことよ。ついでに言っておくと今の身なりで行くのはやめときなよ。みすぼらしいからね」
航に言われて鏡を見ると、確かにこれはよろしくない。
全体的にぱっとしない印象だ…。
「…髪でも切りに行くか」
「そーそー。一緒に剃ってきてもらえばいいよ。こーちゃんは整えたら綺麗なんだからさぁ」
ナチュラルに裏読み否定されたけど、航の言うことはもっともだから受け入れる。なんだかんだで心配はしてくれるのだろう、憎まれ口は叩くが。
「んじゃぁおれぁ原稿でも描きに行きますかなぁ」
「おう行ってこい。そして印税で奢れるまで稼いでくれ」
「ふつー逆じゃない? ちゃんと描いて出すとこにちゃんと出せばこーちゃんの方が稼げるでしょうに」
「マスかいて出すとか今は股間の話じゃないんだわ。このドスケベ」
「その発想がすでにドスケベだわ! んマァイヤらしいザマスね! ンマァ!」
「だから誰だよ」
互いに軽口を叩きながらハイタッチしてから、航は窓から外に出た。
だから玄関から出て行けよ。
「よし、てきぱき準備していきますかな…」
着ている服を脱いでさっさと準備を始めていく。
--side. 赤月ななみ--
康太君と通話が終了し、後ろにいた二人がホッとした顔を浮かべた。
私もかなり緊張してましたけど、二人もなんだかんだで気になっていたみたいですね。
作品も先ほど本当の意味でマスターアップもしましたし、今日は用事がなければ帰るだけで良いのですが…。
「さっき話をしたとおりで、康太君―――えっと、鍵谷様はこの後17時に参りますので、皆さんは上がっていただいても結構ですよ」
「ん、わかったわ。ならお言葉に甘えさせてもらうわね」
さすがに机で寝させるところを見せるわけにはいかない。
…たぶん彼、会社で寝ることに抵抗はないと思いますが…。
「ところで代表? …あなたその格好で打ち合わせでもするつもりなの?」
「………あっ」
言われて気づいてしまいました…。
私…昨日は徹夜残業で完成した後はそのまま仮眠をしていたのです…。
「あまり言いたくないけど…、女としてどうかと思うわ。それに…少しにおうわね」
「ッ!?」
言われてしまった…!
(だめです! それはダメすぎます!!! 社長としての威厳もそうですけど、一女としてもダメです! 康太君の前にこんな姿ででることはできません!)
「い、急いで準備しないと!?」
やれやれと首を振ってきますが、私はなりふりを構っていられません! 早速身支度をしなくては!
…………ところでどうしてチーフは身だしなみを整えているのでしょう? 中番シフトで昼から出勤している彼女はともかく…。
打ち合わせは私と彼女で出るつもりなのですが…。
--side. 赤月ななみ fin.--
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