第三話 猿で無職のハゲネズミ

熱田から歩き尾張を抜ける、目的地なんてものはない。

熱田を出て先ずは東か西かと迷った時に東京の俺の部屋の下見…とも考えたが、きっとまだアパートの基礎すら出来てないだろう。

それよりもあの恐ろしい今川義元がいる駿河方面に足を向ける気にはなれなかった。

だから大坂方面へと足を進めた。


旅の道中、俺がいたから信長公は死んだのではないか…そんな思いが募ってくる。一人でいるとどうにもネガティブな考えが頭をよぎってしまう。

そんな後ろめたさから尾張にも長居はしたくなかった。尾張を抜け、伊勢国桑名宿まで来た。

伊勢国…ときたらお伊勢参りも良いかもしれないな、どうせアテのない旅だ。


宿の前に一寸腹ごしらえ…と入った飯屋では喧嘩の真っ最中だった。

猿顔の男がボコられている。

面倒な所に出くわしたな…別の飯屋にしようと思ったが、少し無視できない単語が二人の会話から耳に入ってきた。


「おいこのハゲネズミ!いい加減にしろ!」

「いつまであのうつけ殿の腰巾着のつもりだテメェ!」


ガタイの良い男が猿顔の小男を殴っている。

あの男、今「うつけ殿」といったか…

取り巻きが数人、二人の様子を囃すでもなく見守っている。


「うるせぇ!ハゲネズミ言ってんじゃねぇ!!ぶっとばすぞ!!」


ぶっとばずぞ言ってぶっとばされている猿顔の小男。あと猿ではなくハゲネズミのようだ。

なんとなく信長公の死に後ろめたさがある身として放っておけなかった。


「ご両人、確かに信長殿はうつけではあったがことさらに死者を侮辱する事はないだろう」


「なんだ誰だテメェ!こっちにゃこっちの事情があンだよ!」


ガタイの良い男に凄まれる、知らん奴等の喧嘩の仲裁とは何やってんだ俺は。


「まぁ落ち着きな、死者を愚弄して化けて枕元に出られても上手くないだろう?」


「いや…お化けなんか怖くねーし」


お化けという単語に明らかに勢いが削がれ怯む大男、意外にかわいいやつだな…


「うつけ殿はあの気性だからな、まだそこいらを彷徨ってるかもしれん」


まぁ適当だが。


「いや、俺…殿の悪口言ってねぇし…」


大男が誰に言っているのか謎の弁解を始める


「俺は宮司をやっている、その手の事には少し明るい」


まぁ重ねて適当だ。


「ほ、本当か!?全然怖くないが信長様に枕元に立たないよう謝ってくれ!!」


コイツなんか必死だな


「それなら故人を悼み偲んで献杯といこう、それで信長公の御霊も安らぐというもの、一杯おごるぞ」


「兄さん話がわかるな!!」


コロリと態度が変わる大男。おごられるのが嫌いな奴はそうはいない。

彼等から話を聞くと、ハゲネズミの男と彼らは上司と部下らしい。上司がこの猿顔のハゲネズミで、殴っていたのが部下の小平太。

いつまでも信長の死から凹んで動こうとしない上司に喝を入れていたとのことだ。

うーん蛮族。

ただ話を聞くに本気で上司の心配をしていた事が察せられる。意外にも良い奴だった。

ハゲネズミと呼ばれた男にも一杯勧め、席に座らせる。


「せっかくだ、アンタも信長公を偲んで一杯やってやれ」


信長公をダシに酒を勧める。


「お前…信長様に仕えとったんか」


ぽつりとハゲネズミがつぶやく。


「うむ…神宮で奇跡を目の当たりにした」


「…白鷺でも飛んだか」


なんだ詳しいなこのハゲネズミ。


「ああ、熱田の大神の思し召しと思い気が昂ぶった」


信長公が拝んだその時に白鷺が本殿から飛び立ったのを俺は見た。大宮司という職についていてもなかなか感じることのできない神意を感じたのを記憶している。

するとこのハゲネズミ、とんでもない事を言い出した。


「ありゃワシが信長様に命令されて鷺をとっ捕まえてきて飛ばしただけじゃ、奇跡でもなんでもない」


なんと俺が神意と感じた出来事はコイツの仕込みだったようだ。とんでもねぇネタバレかましてきやがったな…

しかしコホンと咳払いをひとつ、気を取り直して語る。


「俺は桶狭間でその奇跡を信じて戦場に飛び出した」


「…おぬしまさか桶狭間で一人逸って単騎駆けしたあの騎馬武者か?」


「なんだ知ってるのか?」


このハゲネズミ案外信長公の近くにいたのか?


「…俺のせいで信長公は死んだんじゃないかと思ってる」


俺の記憶と違う桶狭間の結末。

俺は這々の体で生き延びた。それでは信長公は何故死んだ?

あそこで死ぬべきは俺で俺なんかが生き伸びた代わりに本来死ぬべきでなかった、歴史に残るべき大英雄信長が死んでしまったのではないか?

旅の道中、そんなネガティブな考えに囚われてしまっていた。

…暫くの沈黙。

ハゲネズミはぴしゃりと額を叩き、猿顔を更に険しく呆れに歪ませてチッチッチと舌打ちをして俺に向かい、叫んだ。


「何言っとんじゃ!?全ッッッ然勝敗関係ないじゃろ!?おま…勝手に駆けて勝手にやられて勝手に逃げ帰っただけじゃ!!おんし桶狭間の勝敗に殿の生死に一切合切全く関係ないじゃろが!?!?」


…確かに。

確かに驚く程関係ない。前世の記憶から信長の死を認められず、自責の念に駆られていたが、傍から見れば俺は全く信長公の生死と関係のない所にいた。

その当たり前の指摘に俺は少し救われた気がした…が、図星を付かれて怒らないほど俺は人間出来ていない。


「うるせぇよ!!こっちは親友と部下を失って人生最大の失敗を悔いてんだよ!!!!」


猿顔のハゲネズミと取っ組み合いになり暫く揉み合いをしていると、小平太に間に入られ止められる。


「何やっとんじゃおんしら…」


余りにも不毛過ぎて力がなくなったので席に座り、酒を勧めた。

少し暴れて落ち着いた、酒をあおり心の内を語る。


「だが俺は白鷺関係なく桶狭間で信長公の絶対の勝利を信じてた」


「…何故じゃ?」


「それが…正しい歴史だからだ」


今となっては何のアテにも目安にもならない歴史知識。

今此処にあってはただの妄想の類だった。

たがそれをコイツ、猿顔のハゲネズミは否定しなかった。


「ああ…そうじゃ…絶対にあれは天下に名を轟かせ歴史に名を刻む器のお人だったはずじゃ…」


肩を震わせむせび泣く猿顔のハゲネズミ。


「こんな…道半ばで亡くなるような…」


猿顔がさめざめと泣く、そんな涙に濡れたきたない横顔を眺めながら信長公は部下に慕われていたのだなと想いを馳せる。


「泣くな…えーと…」


コイツの名前がわからん。


「ハゲネズミさんや」


「ハゲネズミ言うなや!!」


沸点低いな…


「ああすまん、名前が分からんかった」


まぁしかし何処を切り取っても100%悪口だ。


「そう呼んで良いのは殿だけじゃ!!」


…信長も大概なあだ名をつけたもんだな。


「ワシは木下藤吉郎つーモンじゃ」


木下藤吉郎…ふむ、聞いた事ない名前だな?

まぁ俺が名前を覚えてるような歴史上の大人物がこんな飯屋でヤケ酒をしてボコられているはずがない。


「じゃあ略して藤吉郎だから…藤さん…」


ふと思いつき叫ぶ。


「とうさん!!」


「誰がお前のお父さんじゃ!!」


とうさんに殴られた。

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