第二話 三河武士なら腹を切る

そうじゃないだろ。

京都、行けよ。


桶狭間の戦いの後、今川義元は那古野なごや城に入ったようだ。

その後暫く那古野城に逗留した後、義元は兵を纏め駿河に帰る事にしたようだ。

え、何しに来たの?京都に行くんじゃなかったのか?

意味がわからん。

その帰りの道すがら、今川一行は熱田神宮に来た。

参拝という名目で熱田に服従を求めに来たのだ。

勿論こちとら全面白旗降伏だ。


今川一行は一通りの参拝を終え、神宮内で席が設けられた。

父、千秋季光せんしゅうすえみつが場を仕切り義元公に口上を述べる。


「那古野城の解放おめでとうございます。熱田は三河安定の為、今後は今川のお力になる所存にございます」


熱田神宮は今川に恭順の意を示す。

これは信長の凶報を受けて親父殿と話し合った結果だ。


「うむ、そのよう期待しておる」


口上を述べる親父の横で頭を下げ続ける俺。

先の戦でこれほどない屈辱と恐怖を受けた、その総大将が目の前にいる。

信長を破った五万の兵を率いた総大将を目の前にし、俺の心の中は荒れていた。


(ちくしょう…ちくしょう…怖え!!)


全然イメージと違うじゃん!?

だれだよ太っちょの麻呂って言った奴!?

戦国大名、今川義元は俺の未来で知り得たイメージとはかけ離れていた。

恰幅が良く、着物の上からでも分かる筋肉の隆起、落ち着いて渋いドスの利いた声。

おじゃるとか言う気配はなんとゼロ!!

どっちかいったらヤクザの親分じゃねーか!!

そして眼光がやべえ!!これ絶対人を殺してる目だ!!


「これに控えるは我が息子、神宮大宮司千秋季忠せんしゅうすえただと申します」


不意に俺の名が出て話を振られる。

え、何?俺!?やべぇ!全然話を聞いてなかった!


季忠すえただ殿と申すか」


今川義元のドスの利いた声が響く。


「面を上げられよ」


こええ…!

顔を見られたくねぇ…!

俺の周りには今川家臣の面々。俺は今、親友の佐々ささや部下の兵を殺した者共に囲まれている。

あの時…織田方に従軍し槍を交えた俺の顔を…桶狭間のあの瞬間をここの誰かに見られていたかもしれない!

俺が落馬し、親友の佐々が死んだあの時の恐怖と絶望の記憶が蘇る、そう思うと顔を上げる事が恐ろしかった。


「面を上げよ季忠すえただ


親父殿の叱責を含んだ声が耳に刺さる。


「は…!!」


恐る恐る顔を上げる。


ああん、もらしそう…


今川義元を真正面から見据える、いや見据えられ身が竦む。


「ふむ…良い面構えだな」


義元公は俺の顔をまじまじと見定め、不敵に笑みを零す。

俺を…知っているのか…?


「宮司にしておくには惜しいな」


知ってるんじゃあねーの!?


「戦場で武者装束で騎馬を駆った方が似合いそうだ」


絶ッッッッッ対にこれ知ってるやつじゃん!!

何処まで知っている!?俺がつい先日義元公の部下の部下の部下の誰かに蹴散らされた事を知っているのか!?

獅子に噛み付こうとして蹴散らされた蟻の存在を知っている!?


「滅相も…滅相もございません…!」

「身体ばかり大きく育ちましたが父が熱田の大神を奉じる大業の一助を担うしか能のない若輩者でございます…」


頼む…蟻のような存在の俺の事なんか無視していてくれ…!

もらしそうになりながらも必死に我慢する。


「馬に跨り弓を取り雄叫びと共に戦場を駆けるのは良きものぞ」


馬から落馬して槍で付かれて叫びながらうんこもらし戦場から逃げましたけどね!


「お言葉、若輩の身に染みます、精進…致します」


もうもらしたくない…二度と戦場になんて出ません…心の中で義元公に強く願う


「熱田の力を借りれば三河も安定するであろう、のう元康」


突如として部下であろう男に話を振った。

元康と呼ばれたまだ歳若い偉丈夫が身を正しそれに滑舌よく応える。


「は!治部大輔じぶたいふ様には此度の織田征伐にご尽力下さりこの元康、感謝感激にございます!」


義元は元康と呼んだこの若い男へ掛ける言葉に信愛を込めて話しているのが分かる。

そういや義元、元康…元の字が同じだな…親子か?


「元康、熱田の大神の力を借り一向宗を抑え三河の民を暮らしを護れ」


…あれ?熱田の力を借りればってこの暑苦しい元康ってのと仲良くやれって事か?


季忠すえただ殿と仲良う、兄と呼んで慕うのもよかろうて」


はっはっはと何が面白いのか一人豪快に笑う義元、周りもそれに合わせて笑いだす。

俺はせめてひきつった笑顔でも絶やさず湛えておく。

そんな笑い声の中、何処からか歯ぎしりの音が聞こえた気がした。


「は!仰せの通りに!!」


談笑に包まれる中、自分を凝視する元康…とその後ろの侍。なんだか視線が怖い。

全然目が笑ってない、主君の前だろ頭おかしいんか笑顔を心掛けろよ!

そっちは直臣でこっちは新参の木っ端な外様なんだからその顔を少しは大人しくしとけ!

ああもうだめうんこもれそう…


こうしてヤクザ共のにこやかな笑顔に包まれ、つつがなく席はお開きとなった。


◇ ◇ ◇


宴席も終わりそろそろお開きという時分、酒に酔った三河のDQN侍ががなる。


「戦場からクソまみれで逃げ帰ったヤツがいるそうな!」


義元公はとうに退席しており、酒がまわり宴は無礼講の様相であった。


「何を言っておる、クソではない、其れは焼き味噌であろう!」


「何処に味方を見捨てクソを漏らして逃げ帰る将がおるか!」


「まったく三河武士なら恥じて自ら腹を切る所業よ!!」


がっはっはと大勢が嗤う。

血の気が引く、こいつらは俺の顛末を知って茶番を打っているのだ。


「皆止めよ!大神の御前であるぞ!」


それを止めたのは元康と呼ばれた若い将だった。


季忠すえただ殿お騒がせし申した、どうかこの三河の良民の為今後この松平元康にも熱田の大神のお力、お貸し下さいませ」


松平元康


今川姓じゃないのか…俺より若いのに凄いな…DQN揃いの三河武士ぶかをしっかり纏めてやがる。


「勿論で御座います、熱田の大神は元康殿と共にあります」


俺は頭から血の気が引き色を失っていたが、熱田の宮司として努めて笑顔でDQN侍共を見送った。


◇ ◇ ◇


嵐のような一日が終わり夜も更けた戌の刻。


「人の口に戸は立てられぬ、何処かで話が漏れたか」


自分千秋季忠せんしゅうすえただの父、千秋季光せんしゅうすえみつと話し合う。


「三河の侍の耳に入っているのなら、当然義元公の耳にも届いていたであろう」


そう言うと親父殿は溜息をつく。

俺が信長公の先鋒として踏まれなじられ蹂躙され、うんこまみれで逃げ帰ったその一部始終を知った上での席だった。


熱田は織田の勢力圏で神宮という代わりも立てられぬ立ち位置だ。

今川は尾張守の斯波氏と同盟を結んでおり、桶狭間の戦いはその尾張守の意に沿わぬ戦であったという事にしたようだ。

踏みつぶされ蹴散らしたといえども信長公と共に義元の首を狙った俺に対し温い沙汰だ、きっと今日の席は今川に抗するだけの力量があるのか見極める場であったのだろう。

今川義元を前に震えて縮こまっていた自分を見て他愛もない者と映ったろう。

だが他の家臣にはどう映ったろうか?

自らの主君に剣を向けた俺を、忠臣が殺り易しと思った者もいるかもしれない。


「…暫く身を隠した方が良いかもしれぬな」


親父殿が絞るように言葉を紡ぐ。

何年かほとぼりが冷めるまでこの熱田に帰って来ない方が良いという判断、きっとそれは正しい。


季忠すえただ、これを持っていけ」


親父様がそういって差し出したのは一振りの刀、熱田の家宝の刀『あざ丸』


「きっと祖霊が其方を護って下さる」


無事を祈っている、そしていつかきっと帰って来いと。


「親父様…」


目頭が熱くなる。今生の別れになどしないと心に決め、俺は家族をおいて熱田を出た。

此処は俺がいつか帰るべき家になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る