#4

 ご飯を食べながら、ここで生活する上でのルールを説明された。

 風呂やリビングなど共用スペースの掃除は当番制。自分のものや部屋は自分で管理すること。人の部屋には勝手に入らないこと。冷蔵庫の中身は基本的に共用だが、食べられたくないものがあれば名前を書いておくこと。などなど。

 別に堅苦しい決まりはなく、基本的にはお互い干渉せず、自由を尊重する、という考えのようだった。

「隣にどんな人が住んでるかわからないアパートとは違うからねえ。お互いの生活には首を突っ込まないけど、必要な時は助け合える、っていうのが理想かな。

 もちろん、僕は晶ちゃんの保護者だから、遠慮なく頼ってくれていいからね」

 七海氏がそう言うと、

「あたしのことも、お姉さんだと思って頼ってくれていいのよ!」

 那由多が被せてくる。こんなにぐいぐい来る人は、初めてだった。その差し出された手を、思わず取ってしまいそうになる。

 だけど、これまでの生活で身に着けた仮面が、それを邪魔する。

 どこに行っても、社交辞令的に優しくはされるが、実質腫れ物に触るような扱いをされていることがわからないほど、晶は子供ではなかった。あからさまに邪魔者扱いされたことだってあった。

 誰だって、家の中によそ者を入れたくないのは当然なのだ。相手の家族は悪くない。悪いのはどちらかといえば、異分子である自分の方。

 だから、迷惑をかけないように、できるだけ気配を消して、何が起きても適当に笑ってやり過ごす。それが、晶が身に着けてきた処世術だった。

 どうせ、どこに行っても長くはいさせてもらいないのだから、という諦念と共に、晶は曖昧に微笑んで、

「よろしくお願いします」

 と頭を下げた。

 甘えてはいけない。頼ってはいけない。小さな子供ではないのだから、そんなことをしなくても大丈夫だ。

 早く、一人で生きていけるようにならなければ。

 七海氏と那由多は、やや困ったように顔を見合わせた。

 そうして、晶の新しい生活は始まった。


 4月に入り、裏庭の桜も見頃を迎えようとしていた。

 数日間ここで生活してわかってきたのは、本当にお互い干渉しないというか、ある程度の距離を保って生活しているということだった。

 いっそ無関心にも見えるが、あの不愛想に見える仁でさえ皆との仲は悪くなさそうだし、互いにさりげなく気遣い合って暮らしているようだ。これが、家族でもない他人が一緒に暮らすということか。こんな空間があるのかと、晶には驚きだった。

 昼はカフェのメニューを食べさせてもらって、夜は仁か七海氏が仕事の合間に作ったまかないが出た。こちらは、店のメニューばかりでは飽きるし、栄養も偏るからということで、毎回違うものが出てきた。もっぱら和食が多い。

 夜のまかないの用意は、晶も手伝うことになった。高校受験もあるのから、無理しなくていいと七海氏には言われたが、やることがあった方がいい。

 学校が始まるまではまだ少し時間がある。それまでに、皆で花見をしようという話になった。正直、あまり気乗りはしない。ここの人たちは、晶を邪魔には思っていないのかもしれない。それでも、輪の中に自分から入っていくのは気が引けた。

 

 荷物を片付けたり、新学期の準備をしたりしながら、晶は子猫への餌やりをこっそり続けていた。ここにいればご飯がもらえると覚えたのか、子猫はいつも、桜の木の下で待っていた。

「ねえ。あんたはまだここにいるの?」

 答えがあるわけもないのは承知の上で、晶は子猫に語りかける。子猫は晶の出したフードを食べ終えると、満足そうに毛づくろいを始めた。

 その様子を眺めていると、頭上に影が差した。子猫が一瞬、びくりと動きを止める。

「あ、やっぱり。何か隠してると思ったら、野良猫?」

 驚いて振り返ると、昴が立っていた。

「……ごめんなさい」

 晶は目を伏せて呟く。

「なんで謝るのさ?」

 昴は晶の横にしゃがみ、子猫の鼻先に指を近付ける。子猫はくんくんと熱心にそのにおいをかぎ、やがてごろごろと顔をこすりつけ始めた。くすぐったいなあ、と昴は呟く。

「この子、どうするつもり?」

「どうって……」

 とりあえず、飢えているのを見ていられなくて、餌を与えただけだ。それ以上のことは考えていなかったというのが、正直なところだ。

「本当にその子のことを思うなら、中途半端に餌だけあげるのはだめだよ。家の中で飼ってあげないと」

「でも……」

 そんなわがままは言えない。

「ちゃんと話してみよう? みんな、動物嫌いじゃないと思うし」

 話をする。自分の意見は言わず、適当に迎合してきた晶にとって、それは最も難しいことだった。

「現実問題として、うちは飲食店だし、庭が猫の糞まみれになったりしたら、印象が悪いんだよ。それに、その子がその辺の道路で轢かれたりしたら、嫌だろ?」

 そういうことを言われると、何も言えない。子猫はよほど晶に懐いているのか、逃げようともせず、彼女の足元にまとわりついていた。

「だから、ね?」

 昴は優しく微笑む。晶はその目をじっと見つめて、やがてこくんと頷いた。

 


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