史上最大の密室殺人

「密室への侵入方法が超能力によるテレポートだというオチは、密室殺人物としては最低だがね」

『ミステリー・フィクションならば、ですね』

「まあ、不可能な因子を一つずつ排除していき、最後に残ったものがどんなに突飛で信じられないものだろうが唯一の真実というなら仕方ないね。下らん真実だ」

 この冷房が効きすぎた特別推理室へ呼ばれたウィンカーは、広い室内のほとんどを占める量子コンピュータによる捜査AI『ホームズ2』のインタフェースである大型ディスプレイ下の音声入出力装置にそんな毒舌を吐いた。

 ディスプレイにはこれまでの捜査資料と共に、大きな立方体の3Dグラフィックが出力されている。大きな立方体の中央部分にはくりぬかれた様な小さな立方体の透過画像があり、その中に人間を簡素化したシンボルがはめこまれていた。そのシンボルは×マークで死者である事も示されている。

 その実物は市立公園中央のステージに設置されている。

 現実にはこれは二〇メートル×二〇メートル×二〇メートルの立方体の鋼鉄の塊だった。

 内部中央には二メートル×二メートル×二メートルの中空の空間がある。

 製造過程にあった各部の接合部は完全に溶接され、立方体の機密性は完璧だった。侵入経路は何処にもないはずだ。

 その完璧な小さな密室で稀代の奇術師、アメイジング・フィリップは死んでいた。死因は窒息死。

 この死体のある中空の空間へ警察が辿りつくには八メートルもの鋼鉄の壁を苦労してくりぬかねばならなかった。それは時間と手間のかかる非常に大変な重労働だった。

『この中でフィリップが死んでいるかも、と警察に助言したのはウィンカー、あなたですね』

「ああ、そうだ。彼は最近、死にたいと私に漏らしていた」ウィンカーというのはプロ奇術師としての芸名だった。巨像や建造物の瞬間移動を発動させる技を得意とし、まさにその瞬間に片眼でウィンクするのが彼のトレードマークだった。「知っているかね。大脱出を得意としていた前世紀の大奇術師、初代テンコウ・ヒキタは生前、自分は死によってこの世からいなくなるのではなく、ある日、突然、跡形もなく消え去りたいと言っていたという。実に奇術師らしい発想だと思わないかね。私はフィリップの失踪も彼らしく密室侵入によってこの世から消え去りたいと考えたのではないかと思ったのだ。巨大で肉厚な絶対侵入不可能な鋼鉄の密室への侵入という、一世一代のマジックによってね。そして、やはりそうだった。彼は自殺だ」

『クラウド・データバンクを検索して、テンコウ・ヒキタの言葉を確認しました。フィリップは超能力のテレポートによる絶対密室への侵入による自殺だ、という意見もウィンカー氏、あなたのものですね。遺書は残っていませんが』

「この奇跡の所業自体が彼の遺書だよ。彼と私はどちらが史上最高の奇術師であるかをいつも競い合っていた。だからこそ解るのだ。彼は老いの心境に入っていた。健康だが寿命に怯え、そしてエンターテインメントとしての自分の侵入脱出マジックの才能に限界を感じていた。……しかし、笑うべきところかね。世の中には優れた奇術師の中には超能力者が混ざっていて、超能力によってトリックのない奇跡を使うと信じている人間がいるらしいが、まさか本当にそんな超能力者が実在していてそれがフィリップだったとはね。彼の侵入脱出は全てトリックではなく超能力のテレポートによるものだったのだ。二重の意味で皆は騙されていたわけだ。最後に彼は自分の才能を見せつけて死んだのだ」

『テレポートですか』

「奇術師としての才能は私がナンバーワンだが、超能力者としてならフィリップは大したものだ。一流の奇術師なら解る。君の推理力でも解るだろう。他に手段はないんだ。可能性を一つずつ潰していき、最後に残ったものがどんなに信じられないものでも真実なんだよ」

『それは私の名前の由来となった推理小説の探偵が作中で語った有名な台詞ですね。……しかし、それは詭弁です。状況が全て読者、視聴者側に提示される前提のミステリー・フィクションならその理屈は通用しますが、現実はまだ発見されていない未知の因子が隠れている可能性が常にあるのです』

「君の推理では真実は違うというのかね」

『はい。そもそも、この密室である鋼鉄の塊は、あなたとフィリップの二人が次のマジックショーの企画としてエンターテインメント・プロダクションに製造させた物ですね』

「ああ、そうだね」

『アメイジング・フィリップの専門は侵入脱出でしたが、あなたの奇術は物体の移動でした。それも巨大な彫像やビルディングの瞬間消失や瞬間移動です。あなたが投げかけるウィンク一つでそれは瞬間的に消えたり、転移したりする』

「そうだね」

『そして、あなたとフィリップはどちらがナンバーワンの奇術師か口論になりがちでした。これには多数の目撃者がいます。あなたと彼は白黒つけたがっていた』

「何を言いたいのかね。私が彼を殺したと言っているつもりかね。どんなトリックであの密室に運び入れたというのだ。それに私がフィリップを密室に閉じ込めたというのなら、彼はどうして脱出しなかったのだね。超能力でテレポート出来るのに。窒息死するまで何故、彼は我慢したのだ」

『アメイジング・フィリップが超能力者である。それがあなたのミスリードです。あなたはフィリップの奇術はその実力によるものでなく、超能力によるフェイクだという汚名を着せたかった。フィリップはただの腕がいい奇術師でした。超能力など使っていなかった。そういう意味では凡人です』

「私がフィリップに密室殺人をほどこしたというのなら、どんなトリックでやったのか、人間の模倣にすぎないAIのお前が私の奇術を見破ったというのかね。言っておくが私は生き物の瞬間移動マジックはやった事がないんだ。鳩の一羽も動かせない。生きている花も駄目だ。ああいうものはどんなに大きな物体よりもデリケートでね、私のトリックでは使えないんだ。だから、どんな方法で私はフィリップを二〇メートルの鋼鉄の密室内に移動させたというのだね」

『生き物そのものを瞬間移動させられない、それは過去の興行データを精査する限り本当の事らしいですね。しかし、生物以外なら出来るのです。……私はある時、閃いて、全世界の天体観測データと市内の屋外監視カメラのデータを検索してみました。太陽系内のデータに誤差は見つかりません。しかし、近日のある瞬間を境に遠方の天体観測の星の位置データにわずかなズレが報告されています。全天が同じ方角へのズレです。それは天文学的にはひどく小さな極微のズレですが重要なズレです。……アメイジング・フィリップは行方不明になった当日に市内の監視カメラに観察されていますが、彼は公園の散歩中にいきなり消滅しています。リラックスした表情で、前触れもなく突然です。そして、その公園内にはあなたもいましたね。別のカメラに捉えられています。あなたは何も手を出していません。ただ離れた屋外カフェテラスのテーブルから彼を見つめているだけです。彼と、公園中央のステージに設置された鋼鉄の巨大立方体を。そして、フィリップ消滅のその瞬間、あなたはウィンクをしていますね。映像をアップにして画質補正をしましょう。確かにしています。ただ、単に何気ないウィンクをしただけかもしれませんが、天体観測のズレの始まりとフィリップの消滅とあなたのウィンクの瞬間は完全に時間が一致します。この一致は事件を知る者に疑念を抱かせるには十分です』

「……私は何もやっていない。私がどんなトリックを使ったというんだね。私は動物そのものを動かせない!」

『まだ言うのですか、ウィンカー。……あなたは奇術のトリックなんか使っていない。奇術師の中に紛れ込んで、奇術のふりをして超能力を行使してショーを行っていた超能力者、それはあなたです、ウィンカー。あなたが超能力者なのです。ただし、あなたはフィリップをテレポートさせたのではありません。彼以外をテレポートさせたのです。フィリップ以外の全てをテレポートさせ、ちょうど彼が鋼鉄の密室の中央に来る様に地球自体の転移位置を調整したのです。フィリップが密室に飛び込んだのではなく、密室が彼を飲み込む様に瞬間移動して飛び込んできたのです。監視カメラからはフィリップが突然、瞬間移動した風に見えますが、実際に瞬間移動したのは監視カメラを含めた地球そのものなのです。驚くべき事にあなたは地球をテレポートさせて位置をずらしたのです。地球が動けば、そこに生息する生物も自動的についてきます。いえ、地球だけではありません。地球だけを動かせば、太陽系内の天体観測データにズレが生じ、それは素人の天体観測者にも異常がすぐ解ったでしょう。だから、あなたはアメイジング・フィリップ以外の太陽系の全てを同時にテレポートさせたのです。太陽系内の恒星、惑星の運動の全運動には何の誤差も生じない様に。フィリップ一人を殺す為だけに太陽系全てをテレポート。実に恐るべき事に太陽系の全質量の九九%以上を持つ太陽を、そして全ての惑星や衛星や小惑星、人工衛星、太陽系内にいる探査機全てを違和感のないように一斉にずらし、彼を鋼鉄の塊に閉じ込めたのです』ホームズ2はこの部屋自体でウィンカーを観察していた。高感度マイクが彼の異常な心拍数を拾う。呼吸も速い。『この可能性は人間ならば、思いついても大げさすぎてありえないと一笑に付したかもしれません。しかし私は推理用AIです。一つの可能性を真剣に吟味しました。この推理が指している犯人はただ一人です。あなたを何故、この警察本部の特別推理室に呼び出したのかは解っていただけるでしょう。ウィンカー、本名マイケル・オコネス、あなたの身柄を確保します』

 特別捜査室の外部廊下に繋がるドアが開き、制服姿の警官達が入ってきた。彼らはあっという間にウィンカーを取り囲み、その手首同士をPET製の拘束バンドで結束し、ウィンクを封じる為に合成皮革のアイマスクできつく両眼をふさいだ。ウインカーは抵抗せずに捕縛された。ホームズ2に超能力者である事を暴かれた時点で抵抗をあきらめていた様にも見えた。

『太陽系丸ごとの物質転移。それは恐るべき力です。しかし、あなたが欲しかったのは史上最高の超能力者という呼び名より、世界ナンバーワンのプロ奇術師という表向きのプライドと名声だったのでしょう。その事が超能力という、非科学視されているが人間の大いなる可能性かもしれない力を卑しい殺害手段へとおとしめたのです』

「君は超能力が科学的だと思うかね」警官達に捕縛されたウィンカーは特別捜査室から連行される間際に、視線を封じられた顔でホームズ2を振り向いた。「たとえ、太陽系全てを瞬間移転させられるだけの力を発揮出来てもその原理は本人にも解らない。考えられる可能性を全て排除しても、ただのトリックかもしれないという疑念は他人の推論に常に残るんだ。実際、超能力者や霊能力者として活躍していた者達が実はただの奇術師だったという事実は枚挙にいとまがない。……私は史上最高かもしれないが超能力者という嘘くさい売り文句より、ナンバーワンの奇術師という自分を歴史に残したかったんだ」

『あなたならば超能力者というものを表舞台に上げ、その栄光を歴史に残せたでしょうに。超能力という自分の才能を、奇術という知恵と手業の冴えよりも卑下していた、その性格が悲劇を生んだのです』量子コンピュータの仮想人格にすぎないホームズ2の、本来の知的活動にはないはずの嘆息が音声入出力装置のスピーカから静かに響いた。『ウィンカー。あなたは確かにエンターテイナーの才能も、超能力の才能も優れているでしょう。しかし、あなたの最も優れていたものは……ペテン師の才能でした』

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