グリーン・フォント

「お前は『サンドイッチマン』を知っているか。大きな宣伝看板を身体の前後に、それこそでかいパンで自分をはさむ様にして繁華街を歩いた、大昔の安い広告屋だ。今、人類は皆、サンドイッチマンなんだ。スポンサーの広告を身体に着けて、周囲に宣伝しながら生きていく。スポンサーから広告賃金を生活費として受け取る。そういう形のベーシック・インカムが今の社会生活の基本だ。俺達は宣伝と消費の為に企業群に生かされてるんだ」

「スポンサー・ロゴをつけて走るレーシングカーやアスリートと同じと思えばいいじゃないですか。或いは特定スポンサー契約を結んだアーティストとか」

 世界的規模の流行となった病禍COVID-19、いわゆる新型コロナのウイルスSARS-CoV-2、通称『SARS2』のまっただ中で青春を送った俺と、ワクチンを打った親達の間に生まれた第二世代である新人刑事の中藤とはイマイチ意見が噛み合わなかった。

 俺は若い時分にSARS2のワクチンを接種して感染を逃れたが、ワクチンに仕込まれていたナノチップ群やDNA改変剤によって、人類全ては世界のトップ企業群のいいように作り替えられた『ワクチンマン』になってしまった。脳に影響したナノチップは人類の攻撃衝動を著しく減退させてしまった。ある学者はこれを自発的進化として、新人類ホモ・インペリウムス(制御された人類)と呼称すべきと主張した。

 ワクチンにナノチップやDNA改変剤を仕込んだのは、経済で世界を動かすトップ企業群『経済連合体』だった。

 現代日本は政府よりも国民よりも経済連合体が強い発言権を持っている。国家が企業に買い上げられたのと同じだ。この状態になってしまったのはそもそもの日本国民の投票率の低さもある。

 経済連合体シンパの代議士は民主主義の上位に企業主導主義を置こうとした。日本国民はそれに対する国民選挙にろくに投票せず、消極的肯定で民主主義の看板を下ろしてしまった。

 今の日本は『日本経済連合体主導主義国』だ。

 現代の日本国民に、自分の身体にナノチップと改変DNAを仕込まれた事に確固たる異議を唱える者はいない。

 ワクチンによってSARS2の脅威は去り、その流れに乗って接種者は個性改変を受け入れた。

 今、世界はワクチンマンで成り立っていると言っていい。

 ワクチンマンは5G規格の電波ネットワークを受信し、ナノチップに遠隔給電され、経済連合体の益になる生活をしている。

 血流内のナノチップは血液関門を突破し、脳や胎盤に流れ込む。胎児は生まれつき十分なナノチップが母体より導入され、DNA変化によって5G回線との脳接続を遺伝させた、天然のワクチンマンとして生まれてくる。

 やがて、ワクチンマンは第三世代、第四世代と世代を重ね、ワクチンマンである事が当たり前の社会を進歩させていくだろう。

 前時代の民主主義を生きてワクチンマンにされた俺と、第二世代ワクチンマンとして受け入れられる社会が既にあった中藤との意識の差がそこにある。現状に違和感を感じる俺と、最初からそれがない新入りの彼はイマイチ意見が噛み合わない刑事としてバディを組んでいる。意識の差異による失敗は今のところない。

 仕事をせずとも広告宣伝費による生活費が支給されるベーシック・インカムがある中で、警察官の俺と中藤には共通した意志があった。

 正義感。

 そんな俺達は雨が降る公園で傘もささず、一人の男の死体を見ていた。

 現場は鑑識官が徹底的に調査し尽くした後、ようやく刑事の入場が許された。

「身元は」俺は中藤に訊ねた。

「DNAから山本昂一郎、三五歳。無職です。住所は不定」

 現代のDNA判定は速い。

「妙だな」

 昔懐かしき路上生活者を思わせる中年男の死体を見て、俺は呟いた。

「全広告を見せてくれ」

 俺は死体に向かって、はっきりとした発音で話しかけた。

 何も起こらない。

「何処とも広告契約を打ち切られたという事でしょうか」

 俺の前に出て、うつ伏せの死体に中藤が屈みこんだ。

 俺が中藤を見ると、自然に彼の周囲で蛍光グリーンのフレームに囲まれた広告群がこれ見よがしに展開した。漫画の吹き出しの様に、彼が契約しているスポンサー広告が商品名を主張し、コピーや商品画像を踊らせ、最新情報を掲示する。

 これが当たり前だ。

 俺は周囲を見回した。

 雨の風景の中、見渡す限りの警察官の周囲でグリーン・フォントの広告が自己主張し、商店街のディスプレイの様に展開していた。見る者と見られる者のナノチップ・ネットワークが交感し、見ている人間の脳の視覚野に作用して見られている人間が広告契約している情報を視覚表示する。ワクチンマンはこの半強制的な広告収入で基本的な生活賃金を得ているのだ。

 しかし、この死体を見ても何の広告も湧いて出ない。

 ワクチンマン体内のナノチップは給電され続ける限り、自己複製して、一定量を活性化させている。給電は5G規格の電波により遠隔給電。本人が死んで血液が凝固してもナノチップは生き続け、グリーン・フォントの広告は展開し続けるはずだ。俺はそんな死体は気持ち悪いと思うが、中藤ら新世代にはそうでもないらしい。

 ともかく、この死体のナノチップの広告が作用しないのはおかしな事だった。

 という事はこの死体はCOVID-19禍においてワクチンを接種しなかった反ワクチン主義者という事か。

 しかし、それもおかしい。反ワクチン主義者は当時のCOVID-19の発症によって全員死んだか、今も重篤な後遺症に苦しんでいる。実質的殲滅されてしまった。この死体に後遺症の痕跡は見えない。

 路上生活をしていた浮浪者という風体もひどく珍しい。現代はベーシック・インカムと同じく、ベーシック・ルームという制度がある。一定以下の収入しかない低所得者に六畳間の住居が公的に無償提供されるのだ。それも拒否したのか。

「この死体の死因は」

「後頭部に鈍器によって強く殴りつけられた跡がある。頭蓋骨陥没と脳内出血。鼻腔内出血もある。死後三時間というところか。複数の靴跡がある様なんだが雨によってはっきりと採取出来ない」

 鑑識の発言。

 中藤は渡されたタブレットのカルテを見て、確認している。「反社会主義者でしょうか」

「鼻血は採取したか」

 俺が言うと中藤がカルテを見て答えた。「A型の血液ですね。ナノチップの含有も確認されてます」

「ナノチップがある……」ワクチンを接種したという事だ。それが機能していないのは変だ。

 大体、殺人というのも攻撃衝動が抑制されたワクチンマン社会において珍しいのだ。

「可能性として」鑑識官が口を出した。彼の周囲はグリーン・フォントは医療関係の会社広告ばかり。「これは『ナノチップ・キャンセラー』が関係している可能性がある」

 ナノチップ・キャンセラー。初耳だ。「どういう物だ」

「最近、医療機関で研究が始まった、血液内のナノチップを不活性化させる薬物だ。こんな物、実生活では害しかないのだが」

「ワクチン嫌いが喜んで使うかもよ」中藤が俺を見る。ちょっとした皮肉だ。俺も怒る意味を見出せない。

「ナノチップ・キャンセラーとやらは鑑識で検出出来るのか」

「専門の施設が必要だ。検出は時間がかかるかも」

「超特急でやってくれ」

 俺達がしばらく現場検分をした後、死体は安置所へと運ばれていった。

 雨も小降りになっていた。

「見立てとして」俺は高級紳士靴など洒落た高級品の広告がグリーン・フォントで展開している中藤を見ながら、遊具の前で電子煙草を取り出し吸った。ノー・テイストだ。蒸気を吸ってるだけで俺は落ち着く。「山本昂一郎はナノチップ・キャンセラーを体内に仕込んでいるとして、それを開発か横流ししている組織があるな。反社会テロリストかもしれん。多分、小さな組織ではないだろう。理由は解らないがこの公園で出会っている時、仲間割れで殺された」

「これは公安の仕事になるかもね」中藤は笑っているかの如く明るかった。

「……だな。殺した奴らも間違いなくナノチップ・キャンセラーを使っている。それ故の殺人衝動だろう。COVID-19禍においてワクチンを接種した世代が中心だな。昔を知っているから今の社会が面白くない……公安が出張ってくるだろうな」

 俺も今の社会が面白くない。

 だと言って、そいつらの考えを知ったとして、ただちに賛同するとは思わないが。

 正義感。

 俺にとってはナノチップに支配されている感情より、そちらの比重が大きい。……はずだ。

 現場は警察官が大勢たむろしている。一般人の野次馬も遠巻きに集まってきている。

 そしてその全員の頭上にグリーン・フォントの広告映像が浮かんでいる。

 フォントが緑色なのはそれが眼に優しい色だからだと聞いた事があるが、今の俺にはそうとは思えなかった。

 ジャングル。とにかく緑だらけ。優しいはずのそれに眼が痛くなっていた。

 押しつけがましい広告のアニメーションが、今日は段段と気に障ってきていた。

 洋服。デパート。スポーツ用品。食べ物。マンション。企業広告。その他、諸諸の商品。

 中には自分が出演しているAVの広告を浮かべている女性もいた。

 自分が頻繁に購買、利用している商品ほど広告のスポンサーとなってくれる傾向がある。グリーン・フォントの広告はその人のランクや嗜好を表しているとも言える。

 自分の出している広告は自分自身には見えない。皆は知らぬ内に自分のステータス、プライバシーをあけっぴろげにしているのだ。

「なあ」俺は電子煙草の蒸気煙を吐き出ながら、中藤に訊いた。「今、俺の頭上にはどんな広告が上がっている。どれが一番目立つ」

 中藤は笑いながら俺の吸っている電子煙草を指さした。

 俺の正義感は電子煙草ランクか。

 周囲の緑が雨ににじまずほの光っていた。

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