ゼロ・グラヴィティ

 私立極虹高等学校『ダンスパフォーマンス部』は、今日も部活を始める前に、部室の神棚に祀った『マイケル・ジャクソン』の肖像を拝んできた。

「とうとう夏祭よ! 特訓の成果を皆に見せるわよ!」

「はい! 部長!」

 夏休み中も登校して、ダンスパフォーマンス部は練習に燃えていた。

 雨上がりの蒸し暑い屋上で、水たまりを蹴散らしながら男女全員そろった美しいダンスを見せる。

 三日後に控えた夏祭で半年間、みっちり修行した成果を見せる時が来たのだ。

 神奈川県川崎市が行う『大極虹夏祭り』は元元は極虹神社という社が毎年八月に開催していた夏祭だったが、ここ数年は神社に近接する公園に屋外大ステージが設置され、プロアマチュアを含めた歌手やダンサーの為の大パフォーマンス大会として全国的に有名になっている。

 ここで世間的には入賞すれば超一流のお墨付き。

 今年もダンスパフォーマンス部はこの大会への出場が決まっている。

 自慢じゃないが、二〇人のこのダンスパフォーマンス部は全国制覇を争えるのでは、というくらいにレベルが高かった。

 それだけに普通のプロレベルのパフォーマンスでは自己満足さえ出来なかい。その為に今日も過酷なダンスの練習を行う。

 どうせ、やるのなら前人未到のパフォーマンスを!

 部員達には全員、実力がある。スムーズなムーンウォークやスピンや爪先立ちは出来て当たり前。今やマイケルが一九九五年のМTVビデオアワードで披露したブロークン・ムーンウォークという高レベル技まで部員全てがマスターしていた。

 しかし、それでもまだ足りない。

 アレに挑戦するのだ。

 極虹神社には芸能の神様『[[rb:天鈿女命 > あめのうずめ]]』も奉られている。

 パフォーマンス大会とは彼女に芸を奉納するというイベントでもあった。

 その天鈿女命にそのアレを成功させて奉納する。

 天井の楽園にいるマイケル・ジャクソンにも。

 それがダンスパフォーマンス部の今年の究極目標。

 その為に日日、レベルの高い練習を積んできたのだ。

 過酷な練習。

 それはダンス自体の技量向上に限った事だけではなく……。

「……見てなさいよ、超常現象ESP研究部に全面協力を願って部員全員で特訓して会得したこの力を……。アレを絶対成功させるわよ!」

 息が切れるほどひと汗かいて、雨と汗の香りの中でポニーテールの部長は銀色のスプーンを手に握り、観衆の前で自分達がアレを披露する姿を思い描いた。

 スプーンの首は触れてないのに、クニャッとひとりでに曲がった。

「部長!」二年生の男性部員が声を挙げた。「その様なものに頼るのは邪道ではないでしょうか! 我我は肉体的なパフォーマンスを極め、純然たるそれのみで表現するべきでは!」

 部長はため息をついた。その様な疑問に対する答は既に用意してあった。「あなたはこの部活動で肉体と同時に精神も鍛えてきましたね。肉体と同時に精神を鍛える、それはどの体育系部活動でも同じです。私達はその精神力を肉体補助する直接的な手段として発揮出来る様にした。ただ、それだけの事なのです。……他に意見のある人は」

 質問した男性部員に続く者はいなかった。

 部長は皆で滝に打たれたのを思い出しながら、スポーツドリンクを飲む。

「じゃあ、もう少し休んだら、本番のダンスをはなから通しでいくわよ! アー・ユー・OK?」


「マイケル・ジャクソンのダンスの中で最も難易度が高いのは、ショートフィルム『スムーズ・クリミナル』で初披露したゼロ・グラヴィティだろうね」

 大極虹夏祭り当日。

 勿論、小学校も夏休みだった。

 そのキザな蝶ネクタイの小学生は祭で神社境内に居並ぶ屋台を巡り、チョコバナナを皆に一本ずつおごりながら自分の知識を友達に披露した。

 父が会社の社長だというその小学生の十何人の友達というのは、いってみれば全て彼の取り巻きだった。

 彼は相づちだけの友達に自分の趣味話を披露して、今日も気持ちよくなっている。

 屋台を巡り、色色な出し物を皆におごる。

「ゼロ・グラヴィティ、つまり『無重力』というのは日本だけの呼び名で、正確にはアンチ・グラヴィティ・リーンという。スムーズ・クリミナルでのゼロ・グラヴィティっていうのは、マイケルとギャングに扮したダンサー達がこういう風に……」左の掌を上に向けて水平にし、右手の二本指を足に見立ててその上に垂直に立たせる。そしてその足をぐいっと前に傾かせる。「直立した姿勢のままで、靴底を床から離さず、足首だけを曲げて一斉に身体をぐいっと前に傾かせるのさ。その角度はほぼ四五度。そして同じく真直ぐの姿勢のままでゆっくり身体を元に戻す。まるで倒れさせようとする重力を無視するみたいに。……数秒のシーンだけど、これが物凄くかっこいい」

 彼は現金を払って、たこ焼き屋の屋台から自分も含めた全員分のたこ焼きをひと舟ずつ買う。

「尤もこのダンスにはトリックがある。スムーズ・クリミナルの撮影ではワイヤーで身体を吊って、倒れない仕掛けになっていた。後にコンサートのステージで観客の前で披露した時には靴に仕掛けがあって、床と靴をフックでつないで靴底が舞台から離れないようになっていた。……だからといって、このパフォーマンスが凄くないわけじゃない。たとえ、身体が固定されていたとしても、倒れた姿勢から自力で起き上がるのは、脊椎や腹筋、背筋など体幹が鍛え上げられてないと出来ないんだ。結局、トリックがあってもこれが出来るのはやはり一流のダンサーだけなんだ」

 彼らは極虹神社に隣接する大ステージにやってきた。

 今にも始まる大パフォーマンス大会の会場は既に観衆で混雑している。

 TVやネットで公開する為のプロ用の撮影機材を持ち込んでいる者もあちこちに見られた。

「マイケルに並べ、というわけじゃないが今年はどれだけのパフォーマンスを見せてくれる人達がいるかな。僕は心底楽しみだよ」

 そう言って彼はスポンサー用に確保されていた最前列の空席に取り巻きの皆を座らせた。


 午後二時。

 夏休みの熱い陽差しの下でパフォーマンス大会は始まった。

 汗が飛び散る広い舞台の上で、プロアマが混ざった様様な芸術表現があった。

 シンガー・ソング・ライティングやプログレっぽいロック、ギャングスタ・ラップ。

 ストリートダンスやチア・リーディング。

 ラテン系美女達によるサンバ・ダンス。

 空手の集団演武。

 戦隊物のコスプレイヤーの激しい武闘活劇もあった。

「次の演目がラストになります! 極虹高校ダンスパフォーマンス部!」

 МCの声で派手な白いスーツ姿の高校生男女が舞台に並んだ。

 特に眼を惹くのは皆、裸足だという点だ。

「行くわよ」という部長の小声が、大スピーカーから流れてきたサウンドにかき消される。

 インストゥメンタルの『スムーズ・クリミナル』が会場に鳴り響く。

 それを聴いた客席最前列の蝶ネクタイ小学生がおお?となる。

 二〇人によるマイケル・ジャクソン・リスペクトのダンスパフォーマンスが始まった。

 叩きつける様に刻まれるリズムの内で白いスーツが踊り、交差し、シャウトし、スピンし、キックし、滑らかなムーンウォークを披露した。

 プロ顔負けの見事なダンスが観客を魅了する。

 そのライブ・パフォーマンスは全員がマイケル・ジャクソンだった。

 凄い。

 本当に凄い

 しかし、こうなると俄然、アレに対して期待が高まってくる。

 果たしてゼロ・グラヴィティは演じられるのか。

 曲が進み、遂にその場面がやってきた。

 二〇人のマイケルが整然と舞台に並んだ。

 そして、裸足の足裏をぴったりと床につけたまま、ぐいんと一斉に身体が前に傾く。

 乱れのないその角度は四五度。

 転ぶ者などいない。

 観客席から感嘆のざわめきが響いた。

「バカな!」蝶ネクタイが観客席で叫ぶ。「ワイヤーも仕掛け靴もないのに?」

 二〇人は一斉に姿勢を元の直立に移した。ゼロ・グラヴィティを終えた次の瞬間に新しいダンスにとりかかっている。

(やった! 成功した!)

 踊りながら部長は心の中で叫んだ。

(やっぱりESP研に頼んで、超能力開発させてもらってよかった!)

 裸足での一斉ゼロ・グラヴィティを成功させたもの。

 それは念動力『サイコキネシス』だった。

 部員全員で超常現象ESP研の監修の下、ずっとサイコキネシスの訓練をしてきた。皆、このステージで見えない力で足を強力に押さえ込み、ゼロ・グラヴィティで身体が倒れないようにずっと押さえつけていたのだ。

 起き上がる力は自前の筋力だ。

 激しいビートで踊りながら超能力の為に精神を集中させるという凄まじい難易度。

 厳しい特訓のかいがあった。成果はこの大会で花開いた。

 繰り返されるマイケル流のシャウト。

 暑い陽射し。ステージの熱気。

 クライマックスのビートが終わる瞬間と、ダンスパフォーマンス部がキメのポーズをとるのは同時だった。

 観衆から放たれる大拍手。それは鳴り止むのに相当の時間を要した。

 この大会の最後に、出場者全員が並んだステージで名が呼ばれた。

「最優秀パフォーマー……極虹高校ダンスパフォーマンス部!」

 MCの声を聴いて、二〇人の部員全員が抱き合って喜んだ。それは前人未到のノーギミック・ゼロ・グラヴィティを成功させ、評価された喜びでもあった。

「この喜びを誰に伝えたいですか」

「天国のマイケル・ジャクソンと極虹神社に奉られている芸能の女神、天鈿女命に捧げますわ!」

 部長はMCのマイクに向かって叫んだ。

「ゼロ・グラヴィティは凄かったですね。あれ、どういう仕掛けなのか、教えてもらえますか」

「……それは秘密ですわ」

 部長は超能力については口をつぐんだ。再現可能のはずなのだ。喋ってもよかったかもしれない。

 でも、自分達以外の誰も同じ真似をしても身につかないような気がした。

 ダンスに青春をかけ、プロさえ超えようとする情熱。

 それが不可能を可能にしたのだ。

 これは極虹高校ダンスパフォーマンス部の秘伝にしよう、と部長は汗で顔に貼りついた前髪を手で払った。

 とにかく部員達のさわやかでうれしそうな顔。

 二〇人の男女は、今まで流した汗と等量の黄金を受け取ったのだ。

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