25 たった五人

 深いようで浅い眠りから覚めると、優しい花の香りがふわりと鼻孔をくすぐった。カーテンの隙間から漏れる朝日が眩しく、心地良い微睡に寝返りを打つと、その途端にレクスはぎょっとした。となりでキングが寝ていたのだ。

(前にもこんなことあったな……)

 一気に目が覚めて、レクスは起き上がる。嫌な予感がしつつベッドを降りようとすると、背後から抱きすくめられた。

「……やっぱり起きてたんですね」

「お前の寝顔を拝んでいたよ」

「そんなことだろうと思ったんです」

 呆れて溜め息を落とすレクスに、キングはおかしそうに笑う。

「どれ、傷を見てやろう」

 そう言ってキングが服の中に手を滑り込ませるので、ぎゃあ、とレクスは思わず声を上げた。背中を撫でられるのがくすぐったく、レクスはその手を払う。

「やめてください!」

 顔を真っ赤にしてレクスが怒ると、キングはからかうように小さく笑った。眉をつり上げて顔を背けたレクスは、ふと、手の力を抜く。

「……キング、僕は……」

「うん」

「たった五人の人間を退けることもできませんでした」

 魔族の王でありながら、様々な耐性を上げておきながら、あれだけの傷を負ってしまった。自分の弱さをまざまざと見せつけられた気分だ。強き王であったなら、たった五人の人間など簡単に退けることができただろう。

「……そうだね。私たちが駆けつけていなければ、お前は負けていた」

 たった五人の人間に負けるなど、王には許されないことだ。情けなくて涙が出てくる。キングは優しく慰めるようにレクスの肩を抱いた。

「だが、あれだけの傷を負ってなお戦い続け、民に被害が出ることを防いだお前は、立派な王だよ」

「……、……」

 そんなふうに考えることはできない、とレクスは俯く。キングは優しく彼の頬を撫でた。

「それより」と、キング。「アンチマジックを強制的に解いた痕跡があるとブラムが言っていたが」

「そうですね。強制的に解きました」

 目元を擦りながら言うレクスに、キングは呆れたような表情になる。

「アンチマジックの強制解除は、それだけで命に関わる。簡単に使っていいすべではない」

「必死でしたので……」

 南の町の神官がそうだったように、アンチマジックは自分では解けないというのが普通だ。誰かに魔法で治してもらう必要がある。それを自ら強制的に解除するというのは、言葉で説明しろと言われても困ることだった。

「……私たちが駆け付けたとき、なんの魔法を使おうとしていた?」

 静かに問うキングに、レクスは首を傾げる。

「なんの……? えっと……覚えてないですね」

 負けてはならないと、とにかく必死だった。二度目の吐血以降の記憶は曖昧だ。キングが「私たち」と言うのはキングの他にも駆け付けた者がいるということだが、誰がいたのかはまったく覚えていない。

 キングがふと、柔らかく微笑んだ。

「相変わらずお前は危なっかしいな。早く私がお嫁にもらわないとな」

 レクスは頬を染めつつ促すようにキングを見遣る。

「私がお嫁にもらえば、私の祝福をお前に授けることができる。それで守備力を強化できるんだ」

「そんなことができるんですね」

「うん。と言うか、ちょいちょい授けていたんだけどね」

 覚えがないレクスが首を傾げていると、キングは彼の頬に手を添え優しくキスをした。

「こんなふうにね」

「……したくてしているんだと思ってました」

「それはそう」

 キングはおかしそうに笑う。守備力を強化するキングの祝福をこうして受けていたということは、完全でなくともレクスは攻撃耐性がついていたはずだ。

「でも、僕はボロボロにやられてしましましたが……」

「私の祝福がなければ私たちが駆け付ける前に死んでいたということさ。あれだけの傷を負っても立っていられたのは、お前の魔力と相性が良かったってことだろうね」

「そうですか……」

「だから早くお嫁においでよ」

 愛おしそうに頬を撫でるキングに、レクスはその手を払う。

「無理だって言ってるじゃないですか。僕は現代王ですし、そもそも男同士ですし」

「嫌ではないってことでしょ」

 キングが悪戯っぽく言うので、レクスはきょとんと目を丸くした。

「レクス、いつも無理だって言うけど、嫌だとは言ったことがないじゃない」

 少しのあいだ呆けたあと、レクスは顔が真っ赤になるのを感じた。居た堪れなくなり咄嗟に駆け出す。部屋のドアに手をかけるより早く、キングがレクスの腕を掴んだ。逃げる術もないレクスは、壁際に追い込まれてしまう。レクスはキングの顔を見ることができず、俯いて顔を手で覆った。

「私はお前を愛している」キングは真剣な声で言う。「今回だって、血塗れのお前を見て心臓が止まるかと思ったよ。お前が眠っているあいだも、生きた心地がしなかった。私はお前が可愛くて仕方がないんだよ」

 顔を上げることができない。いままでどれだけ愛を囁かれても照れる程度で済ませることができたのに、いまはそれができない。

「……愛とか、僕にはよくわからないですし……」

「まだわかっていないのか?」

「だって、僕が王に選ばなければ、こうして話すことどころか、会うことさえなかったわけですから」

「だからお前を選んだんだよ」

 あっけらかんと言うキングに、レクスは思わず顔を上げた。

「お前を私のそばに置くためにね」

「私欲で選んだってことですか⁉ 急に王になれと言われたこっちの身にもなってくださいよ!」

 レクスが声を上げるも、キングは優し笑みを崩さない。

「お前は立派に王を務めているよ。私の期待以上にね」

「……なぜ僕なんですか?」

 レクスが俯くと、キングは彼の手を引いた。レクスを抱え、いつものようにソファに腰を下ろす。

「初めは興味本位だったんだよ。視察で初めて会ったとき、お前は挨拶すらしなかったんだ」

「え……」

 記憶になくてレクスが目を丸くすると、キングは柔らかく微笑む。

「そのあと母君にはたかれていたが、興味が湧いてね。お前の案内はわかりやすかったし、民からの信用も厚いようだった。それに、魔力も他の魔族と違う特性もしていてね。ただの民にしておくにはもったいないと思ったのさ」

「……僕より優れた者はもっと他にいたはずです」

 領地の案内も慣れていただけだし、魔力の特性など自分ではわからない。確かに領地の民はよくしてくれたが、それが信用なのかと言うと疑問が残る。

「それはそうだろうが、自分の勘を信じたんだ。お前を王にすれば国が良くなる。そう思ったんだよ」

 そんなことが有り得るだろうか、とレクスは考え込んだ。自分は明らかに弱いし、優れた能力を持っているわけでもない。しかし、キングが判断を間違えることはないように思う。勘という点は引っ掛かるが、キングはレクスに期待しているのだ。

 黙り込んだレクスに、キングは悪戯っぽく微笑んで頬を撫でた。

「これからは遠慮しないよ」

 レクスは、これまでだって無遠慮だったのに、とまた顔が熱くなった。これからどのようにして躱せばいいのだろう。そんなことを考えて、ひとつ溜め息を落とした。

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