第11話 向けられる刃

「なんだ、お前?」

 淡々とした声が塵と炎と共に闇夜に舞い上がった。

 せきはホウロウの外壁門をくぐった先にいた人物と街の様子に愕然とした。複数の魔物の襲撃を受け、外壁はもはや外壁の役目を負えていなかった。

 門のそば、支柱から遠く、強度が弱い部分の壁が山と積み上がっていた。空を飛べる魔物がそこを足掛かりに街に侵入したようで、そこから多くの魔物の侵入を許してしまったのだろう。

 屋根が落ち、家の内部をさらけ出している民家もいくつかある。皆逃げたのか、それとも襲い来る魔物の前に無力だったのか、人の気配はない。

幸いに周囲に魔物の気配はないが、所々に異邦のモノ魔物の死骸や人らしきものが倒れている姿もいくつか見えた。魔物は自警団か街の警ら隊が倒したのだろう。折れた剣や武器などが落ちているのも見えた。

 未だ遠くでは、魔物の咆吼や炎の燃え盛る音などが耳障りに木霊している。耳をふさぎたいのを堪え、隻は対峙する人物たちを見据えた。

 隻の前には二人の男がいた。

 一人は背格好も年齢も隻と同じほどの、黒い服を着た少年。両手に珍しい形の方刃剣を持っている。

 もう一人は、背が高く、二十代半ばの青年だった。肩当てだけの青灰色の甲冑と背負う大剣が、彼が戦う人間であることを告げている。

 落ち着いてきた呼吸とは裏腹に早鐘を響かせる心臓を隻は押さえた。彼らからすれば、隻は思わぬ闖入者であろう。殺気に似た視線が痛い。冷たい視線に射すくめられ、息を呑んだその時、青年の肩に担がれているものに目が留まる。

 一瞬、物か人形に見えた。だが、暗い中でも分かるほどには、紛れもなく人で、長い髪が青年の肩越しから背へと流れている。投げ出された両手足は何の抵抗もなく、青年が動くたびに揺れていた。庶民の女性が好んで着る黒のエプロンドレ肩にかけた薄桃色の絹のショール。闇夜にも鮮明に映える長い赤銅色の髪が風に揺れると、隻の心臓は酷く掻き鳴った。そんな特徴を持つ人物は一人しか知らない。

十五年間同じ屋根の下で暮らし、最も自分に親しい人物。

 花南かなんだ。

(………母さん!)

 確信に至ると、全身を戦慄に似た衝動が走った。

 気を失っているのか。青年にぞんざいに扱われても反応がない様子に不安が募る。街の現状も去ることながら、あずまと喧嘩したことから始まって、遊月ゆづき、花南のこと、すべてが嘘か夢であって欲しいと、未だに思っていたのかも知れない。

 このまま意識を手放して、次に目を覚ました時は自宅のベッドだったらいいのに。そう考えていれば気分が楽で、現状を軽く見ることができたのだ。なのに、隻の心境などお構いなしに、現実は持ち込まれる。

「おい、聞いてるのか?お前、街の奴か?」

 蕪村でどこか投げやりな言い方は、多少なりに不快な感情を産み、普段なら使いもしない言葉が飛び出してくる。

「……せ」

 咽の奥に冷たい物が詰まった感覚を拭えないまま、発した声は酷く重く、音にはならない。

「何か言ったか?」

「……っ母さんを放せ!」

 叫ぶと同時に隻は剣を引き抜いた。

「なるほど、そういう関係か」

 納得がいった様子で剣の切っ先で少年は笑う。

 実に黒が似合う少年だった。

 黒い短髪と瞳に誂えたかのように黒い服装が似合っている。丈長の裾や袖は翠色の糸で縁取りされ、黒に良く映えた。隻に負けず劣らずの小柄な体型だったが、細い身体に均等についた筋肉は服の上からも分かる。

 腰ベルトに下げられた二本の剣が伊達ではないことを容易く感じさせた。闇と炎の影に照らされた鋭い瞳が挑戦的に光っている。

「そういえば似てるな。なあ?涼水すずみ

「………」

 涼水と呼ばれた青年は答えず、静かに少年から目を逸らす。興味がないと言った所だろうか。

「だんまりかよ。ということは、俺の好きにしていいってことだよな」

 涼水はまた答えない。しかし、少年は勝手に結論を出していた。

「うん。そうだよな。ちょうど退屈してた所なんだよな」

 軽やかな口調は面白い遊びを見つけた子供のようだった。不可解な言動をする少年は隻と連れを交互に見、一人で結論付けて行く。

 一体どういう意味なのか、隻には解らなかった。口調とは裏腹に、挑戦的な瞳がとても友好的には見えず、警戒するしかなかった。同様に涼水も疑問を感じたようだ。

清高きよたか、何をするつもりだ」

「っは。決まってる」

 清高と呼ばれた少年は疑問を右手で薙ぎ払うと、隻へと近づいてきた。軽く歩測をはずませ、笑みを浮かべる姿はひどく幼かった。

「一応、剣の構えはできてるし、さっきのやつよりは楽しめそうだ」

「!まさか、遊月は……!」

 聞き捨てならない言葉の端に隻がしがみつく。

「ゆづき?ああ、そういえば、そんな名前だったけ?弱いくせに、こいつのために斬られた奴」

 今思い出したと言わんばかりに、動かない花南を肩越しに指差す。

「ばかだよな~。逃げようと思えば逃げられたのにさ」

「お前!」

 幼なじみを強いては母を侮辱され、血が逆流する。隻自信も驚くほどの低く暗い声が漏れる。

 命がけで何かを守ることの何がいけないのか。

 大切なのは守る"気持ち"と守るべき"もの"。"気持ち"と"もの"があれば自然と強くなってくるもの、と言ったのは誰だったか。はっきりと覚えてないが、その言葉にとても共感できたのは覚えている。彼の物言いには反発を覚えずにはいられなかった。

 瓦礫を蹴り退け歩き、二十歩ほど距離を空けて立ち止まると彼の顔がよく見える。

憶測通り、隻と同じ年頃の少年だった。

 黒曜石のような瞳が獰猛に隻を見つめる。

「弱いくせにさぁ。刃を向けるのは賢い生き方じゃないよな」

 独り言のように清高は続ける。

「でさ、お前は逃げねーの?」

「……え?」

 清高から発せられた言葉で、隻は背筋が凍った。同時に、目の前に少年の顔が迫った。地を蹴る音を置き去りにして、清高の剣が真左から隻の咽もとを狙う。

「っ!」

 いつの抜いたのか全く見えなかった太刀筋に驚く間もなく、剣で軌道を逸らし、後ろへと間合いを確保する

「へー、結構やるな」

 感嘆の声を上げながら、清高の攻撃は次の一手へと繋がった。

 言葉とは裏腹に相手が避ける時のことも考えていたに違いない。寸分違わず間合いを詰められ、隻は激しい剣撃をまともに受け止めるしかなかった。強い力にかかとが地を寄せ上げる。

 剣と剣を堺に紅玉と黒曜石の瞳がかち合う。

 清高は口笛を呑気に吹く。それが隻にはとても苛立たしかった。

 彼との力の差を知るには初激で十分だった。

 隻には攻撃を受け、避けるまでの力はあってもそれ以上の事ができないのだ。受け、避けるだけ。清高のように攻撃をくわえるだけの力がない。それは技術だけの違いではなかった。隻自身も分かっているのだ。彼との徹底的な違いを。

「お前さあ、人斬ったことないだろ」

 隻は答えない。事実なのだから。無言で剣を退く。

「やっぱりな!」

 勢いを生かして、何度も剣を斬り結ぶ。耳障りな音に合わせるように清高は笑った。心底、楽しいといったもの言いだった。

「刃先がためらってるぜ!」

「くっ」

 その通りだった。

 剣の技術を持ちながらも隻は一度も人に刃を向けたことがなかった。万が一のためにと護衛用に習った剣術では、実際にその時になると手が震えてしまっていた。

「斬るか斬らないか、で」

 悔やむ暇もなく、何度も夜空に剣激が木霊する。

「経験ない割りにはいい腕だなぁ。お前なんて名前だ?」

「………」

 間を計る瞬間に清高が尋ねてきた。唐突に生まれた会話に隻は眉間を険しくした。どうにも会話と行動が共合わない少年だ。他者と剣を結びながら―――命のやりとりをしながら、口調は明るい。

 隻に名を尋ねる口調も、遊月を斬ったという口調も、花南のことも、すべて同じなのだ。隻は煮え切らない腹の底でいらいらとする不快感の意味を悟った。

(日常会話のようだ)

 彼にとって人に名を尋ねるのも、戦いも、人の命を奪うのも、すべて同じ線の上にあることなのだ。

「なあ、なあ。教えてくれよ~」

 明るい声がいらだちを誘う。

「う、っ……さいっ!」

 遊月が己を省みずした懇願や、雷が自分を逃がそうした行為。

遊月のために、花南を救うために必死に剣を向ける行為、父との約束。大切なものを守るためにした行為。そのすべてが否定されたような気がした。沸々と胸の奥で何かが込み上げるのを隻は感じた。

 熱く鈍重で血流に紛れて、体中を熱くさせていく。剣を交えながらも目の前が暗くなるのを隻はなんとか押さえた。それは長くは保たなかった。

「早くしないと殺しちまうだろ?」

 切り返しに放った清高の言葉に一瞬目の前が今度こそ真っ暗になった。頭に血が上る。ぷつりと何かが切れた音が眩暈と共にした。耳の奥がざわざわと騒ぎ、背筋から血が逆流する。気が付くと隻と声を荒らげていた。

「うるさいっ!お前に名乗る名前なんて、ない!!」

 次の瞬間、隻は再び全力で地を蹴り、勢いまかせに斬りつけた。

「!」

 今までにない耳障りな音が周辺を支配する。何度目かも分からない程に交えた剣越しに清高を睨め付けた。初めて見る余裕のない表情が伺い知れ、さらに力を込める。

ぎりぎりと刃が擦れ鳴り、今にも折れてしまいそうだった。

「っぐ」

 踏みとどまる清高が小さなうめき声を上げた。両手で柄を押さえる隻に大し、片手で構えていた清高は辛いようだ。その隙を見逃さなかった。

 力を緩めできた反動で後ろへと退き、態勢を崩した瞬間をめがけ、隙の大きい左脇に剣を滑り込ませる。

「速い」

 誰かの声が聞こえた。

 後で考えれば涼水だったか。気に止める暇はない。言葉が示す通り、清高の脇へと躊躇なく刃が入り込み、衝撃音が上がる。

 しかし、上がったのは肉を切る音でも血しぶきでもなかった。

 刃の欠片達が舞い上がる感触と音。

 音を立てたのは隻の剣だった。

 剣は清高に届くことなく、清高の左手に握られた短剣によって、眼前で砕け散っていた。何本の武器を所持しているのか、よくよく見れば手に持つ二本の長剣の他に、腰に隠すように彼は懐刀のような小さな片手剣を二本下げていた。

 服装と同色の柄と鞘の片手剣はよほど近くにならなければわからないだろう。

内一本が今は抜かれ、隻の目の前で白い刀身をあらわにしている。剣が砕けるほどの衝撃を受けても、傷一つない。予想もしなかった武器に隻は目を丸くした。清高が薄ら笑うのが上目に見える。それでもなお、隻は引き下がらなかった。

 折れて刃先のなくした剣にもかかわらず、振り上げると、今度こそ赤いものが空を駆け上った。

 清高の胸から肩にかけて、一直線に引かれた線からから大量の血が噴く。更に清高の胸へと目掛ける。清高からも右手の片手剣が毒蛇のごとく隻の喉元へと伸びた。

『!』

 覚悟が過ぎったのは一瞬。

 今度こそ、自分の血を見ると直感した。

 そこへ絹を裂いたような冷たい音が脳の奥へ走り響いた。

「そこまでだ」

 無意識に目を閉じていたのか、隻が目を見開いた時には目の前にあったのは赤ではなかった。清高が着る服の黒でもない、真っ白な視界に目を見張る。

「…え?!」

 白い人。

 その表現が分かりやすいだろう。

 白装装束を纏った人物が隻と清高の間に割って入っていたのだ。

 流石に清高も驚いたようで、隻と同じように目を見張る。

 唐突に生まれた休戦に、隻は介入者を上から下へと観察してしまった。

 頭から顔、すべてを面で覆い、肩防具と下に纏った長い白装束は、地につくすれすれで風に揺れている。面には長い飾り羽根や天然石を連ねた紐がいくつも飾られており、白い装束によく映える様は南国の鳥にも、異教の儀式で使われる呪具にも似ていた。

 奇妙な衣装に阻まれ、肌や髪など露出部分はまったくなく、白い人の容姿は伺い知れない。隻の目線に肩がある程の身長と、くぐもった低音の声から男だとは分かる。

 今、その男の刀が隻の折れた剣を刃の腹で押さえている。歪な曲線を描く紅い刀の腹は清高の胸に触る寸前だ。

 清高へと向けた自分の剣は、届かなかったようだ。

 同時に気が付いた首元の小さく熱い痛みに隻は固まった。盗み見れば風読の右手からの伸びた刃先が首筋に触れているのだ。細い細い赤い糸が首筋から流れ落ちていく。少しでも動けば命はない。そう感じ、隻は静止した。ほんの少しだが、小さい故に感じる痛烈な痛みに声なき声が上がる。

「…つぅ」

 隻の様子を無視して、感情のこもらない声が訪れた沈黙を破る。

「何をしている。清高」

「んだと?てめえこそ、今までどこにいた!? 風読かざよみ!」

 血が流れ出る肩を庇いつつも、鼓膜に響く大声が響く。

 清高の剣も隻の後ろ側から伸びた手に腕ごと捕まれ、同様に己に達していなかった。隻のように剣は向けられておらず、捕まれていなければ今にも暴れ出しそうだった。

「おい、こら、何とか言えよ!」

「すまなかった。俺と風読は別件を済ましてきたんだ」

閑音かのん…」

 質問に答えない風読に代わって、口を開いたのは閑音と呼ばれる者だった。

 形の整った細い眉はほんの少し歪み、困惑する瞳は、緊張が張り付くこの場に不釣り合いだった。

 歳は二十歳前後。その表情は穏やかで憂いを帯びている。肩越しから聞こえる声と位置関係で隻に向けられた清高の狂刃を寸での所で止めている腕の主だと悟る。

青年男性にしては細い腕のどこにそんな力があるのか。清高の腕を強く掴む、白い手はぴくりともしない。

 そうやって順を追い、隻はやっと風読が隻の剣を紅い刀で、閑音が清高を素手で止め、二人の戦いを阻んだのだと把握した。隻へと向けられた刀から彼ら四人が仲間であることも分かる。

「ふんっ」

 何もかもが言葉も気に入らないのか、清高は息を荒くする。

「ま、いいさ。おかげで面白いのを見つけたから。ちょっと待ってろ。すぐに終わらせっから」

 嬉々として言う清高の眼差しは隻へと向けられていた。ぱたぱたと腕を血が伝い落ちる。痛みを感じないのだろうか。袖から出る手はすでに真っ赤だった。傷を負ってもなお、戦意を失うことなく放たれる殺気。剣を収めない姿勢に隻は心底冷える思いがした。

 今にも制止を振り払い、剣を突き出す恐怖。そして、虚脱感と罪悪感。

 初めて人を斬ったこと、大切なものを傷つけられたのに守れないこと。今さらになって、清高の傷口を見、刃を突き立てられ、それらを感じずにはいられなかった。守ることも、怖くて守るために人を傷つけることもできない自分がとても歯痒く感じる。

「清高、引け。十分に暴れただろう。これ以上の殺生は無駄だ」

「閑音の言うとおりだ。目的は"彼女"だけだ。無闇に殺しをする必要がどこにある」

 風読のくぐもった声が閑音の後に続き、言葉の通り、彼は両手の紅色の刀を下げる。一体どこにしまったのか。しゅるりと刀が白装束の中に消えていった。

「……あ」

 その反動で隻の手からも折れた剣が落ちる。

からりからりと剣柄を中心に回り、小気味よくも悲しく速度を落として足下で止まった。

(この人たち、一体……?)

 何が何だか。隻には今の状態がまったく分からなかった。

 彼らの言動からするとホウロウの事態と花南や自分が置かれている状況は無関係とは言い難い。何らかの目的で彼らが花南を連れ去ろうとしているのは分かるが、理由が何一つ思い浮かばない。彼らに問うわけにもいかず、ふらつく身体を叱咤し、様子を見た。

「剣の腕はあるが軍人と言うわけでもない。何も知らない子供のようだ」

 風読が冷静に言い当てる。面越しに一瞥される。

「こいつはオレと同じぐらいの歳だぞ。オレがこいつなら、喉を引き裂かれても大切なものを奪い返すね」

 暗に隻にと言わんばかりに、清高は吐き捨てる。力を込めたのか、閑音の腕を引きずったまま、剣の先がほんの少し隻へと近づく。

「お前と一般民を一緒にするのはどうかと思うが」

 閑音は苦笑いをし、風読はため息を吐いた。

「あっ!風読!今オレのこと、馬鹿にしたろ?!」

「した覚えはない」

「むっかつくっ!大体、命令すんな!ずっと国にいなかったくせに!」

「……ともかく、こいつは放っておく。大して問題にならないだろう? 閑音」

「おいっ。無視かよ」

「そうだな。ただでさえ予想外なことが多すぎる。これ以上の殺生も御免被りたい」

「くそっ。閑音まで!」

(これ以上の殺生……。街の事?)

 横目で見ると、辺りを見渡す閑音の瞳は酷く憂いを帯びており、半ば疑いながらもあながち間違いではないだろう。

 気が付けば夜は深まっていた。雷と別れ、街に来てから半刻近くは経っているだろう。

 月も星も見えず、炎と煙が街の凄惨な様を空にまで伝えていた。人も魔物の気配が彼らと遭遇した時以上にない。魔物の死骸や瓦礫、この街を構成していたたちが転がっているだけ。その中に幸いに、隻の知り合いの姿はないようだった。

 心の中にぽっかりと穴が空くのは否めなかった。知り合いはいないが、最も、誰もが知っているホウロウの姿がないのだ。あの古く歪つだが美しい煉瓦の街並みも、大通りを行き交う人々の賑わいも路地裏の静寂も、一体どこへ行ったのだろうか。隻の知るホウロウの街の姿がもう見る影もなかった。

(何で、こんなことになってるんだろう……。みんな……)

 今にも街へと飛び出して行きたい衝動に駆られた。

 相変わらず身動きは取れず、ただ目頭が熱く、立っているのがやっとだった。隻の様子なぞ、お構いなしに会話はなおも続く。

「急いだ方がいい。次期に街の警ら隊か下手すると騎士団が動いているはずだ。清高、とにかく剣を収めろ」

 閑音は清高が隻への敵意を消さない限り、腕を離すつもりはないようだ。再度強く少年剣士へと訴える。

「何でだよ?!今さら、一人死体が増えたって関係ないだろっ」

 対抗するかのように清高はますます敵意を剥き出しにした。

「こいつは殺す。オレが殺す。オレに傷を負わせた!だから、殺す!」

「清高」

「今殺せないなら、その女と一緒に連れて行けばいい!陛下に頼んで、許可が出たら殺す」

「だめだ」

「くそっ。何でだよ!」

 空いた手は左肩が傷口をつかみ、ぎりぎりと音を立てた。止まりかけていた傷口から血があふれ、黒服を更に黒く染める。先刻から流れた血も相まって、黒ずみ広がる血の染みと共に清高の逆上は手にとって見えるようだった。

 会話の間も清高の瞳はまっすぐと呆然とする隻を見つめていた。まるで手追いの猛獣だった。隻は心臓を捕まれたような気がした。今にも閑音の制止を振り切ってしまいそうな狂犬に背筋が凍る。よく分からないが、彼ら、少なくとも閑音と風読は自分を殺すつもりはないようだ。閑音と風読が清高を制止しようとする様が会話からよく分かる。

 早くこの状況が終わってしまないか、閑音が清高を説き伏せてくれないか。

 神頼みにも近い気持ちが、隻の心中を埋め尽くす。だが、唸る少年の制止は上手く行かず、堂々巡りである。

「清高、いい加減に……」

 始終穏やかな表情だった閑音にも、焦りがそう見え始めた時だった。

 思わぬ第三者が口を挟んできた。

「確かに。これ以上の殺生の必要はないな」

「涼水」

 小さく呟いたのは今まで沈黙を保っていた涼水だった。気が付けば、長身の騎士が隻の目前に迫っていた。風読よりも長身な灰色髪の男は隻を見下ろす。

「と、言って。閑音の意見にもすべて賛成しない」

 ゆっくりと吐く言葉は慎重で、その海色の双眸は隻を鋭く貫く。感情の抑揚のない表情は氷のようで、清高とはまた違った恐怖が押し寄せてきた。その肩には変わらず、花南が担がれている。近くで見ると上下にわずかだが揺れる背中を見、生きていることを確認する。内心で安堵したのも束の間。

「こいつはセレスレッドに連れて行くべきだ」

「!」

 聞き覚えのある単語が騎士から放たれ、隻の腹に衝撃が走った。

「っが、ぁ……」

 重い拳大の衝撃に堪らず隻は呻き、咄嗟に鳩尾に入った涼水の腕を掴んだ。

「涼水っ!」

 掴んだ、はずだった。

 なのに、力は思うように入らず、手が滑り落ちる。咽にわずかな血の味が意識の端を留めたが、それは長くは続かなかった。

 急激に視界は霞み、目の前にあった彼らの顔が遠くなる。耳の縁で閑音と清高の非難じみた声が聞こえる。 薄れゆく意識に従うままに、膝が折れ、地面に倒れていく。

「この子供、神宿しだ」

 その言葉を最後に、隻は意識を手放した。



 意識を失う瞬間、ぼやけた視界の最後に脳裏にあったのは空だった。

 すべてを亡くした街の夜空でも、メアの冷たい青空でもない。青く澄んだ空。どこまでも限りなく続く荒野。

(ごめん)

 いつか夢の中で見た少女が、教会で自分たちの帰りを待つ少女が、泣いている。


――そんな気がした。

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