第8話 幻の大陸

 槇村は薄暗い部屋で目を覚ました。

 天井に回るシーリングファンを眺めながら、ここが何処なのかぼんやりと考える。

 高い天井以外は、ベッド脇の点滴、医療用ベッド、真っ白なシーツ。

 槇村にとっては見慣れた風景。


 顔の横にぬくもりを感じて、ほんの少しだけ首を傾ければ、小粒の獅子があごを枕に乗せて眠っていた。

 微かに上下する赤毛に、手のひらで撫でようとして加減がわからず、指の先でたてがみをなでてやる。すると、パチリと目を開き、槇村の頬に擦り寄ってきた。

 

「夢じゃ、ないんだな…」


 目を瞑れば鮮やかにフラッシュバックされ、じっと寝ている事などできずにベッドから立ち上がろうとした時、ガラ…と、スライドされたドアから入って来たのは、白衣姿の市ノ瀬の姉火の女神ヘスティアだった。


「気がついたのね。よかったわ」


「……ここは?」


「うちの病院よ。南側の一部が壊されたけど、それ以外は無事だったから…」


 これ程の被害で、救急や消防の到着が遅れたのは、病院周辺が濃い霧に覆われていた為だったという。


 霧を発生させていた張本人は、彼女だろうに、救急隊員は壮絶な美人に『遅いわよ!』と憤然され、平謝りするしかなかったそうだ。


 槇村が丸1日寝ているうちに、菜々は東都医療センターへ戻り、市ノ瀬は代替え医師として姉に病院を任せ、ここを去るつもりでいるらしい。


『コ〜ゥ』


 小粒の獅子が、ぴょこんと跳ねた。

 布団の上だとせっかくの敏捷びんしょうさが発揮できず、時々シーツに埋もれそうになる。そのたびに、ぴょこんと赤毛の毛玉が跳ねて槇村の膝に移動した。


「すっかり、あなたに懐いたみたいね」


「コオが、守ってくれたんだな」


「コオ? 名前をつけてもらったの? 良いわね!」


『コーゥゥ…』


 コオが自分の主人に、上目遣いで何かを訴える。

 暫く耳を澄ませて小粒の獅子を眺めていた彼女は、柔らかく笑いコオのたてがみを撫でた。


「…ふ〜ん。知りたいなら教えてあげるけど、凄く単純なことよ?」


 槇村に「弟を泣かせたら燃やすから!」と…、よく分からない事を言ってから、彼女はゼウスと一族の因縁を話しだした。


「ゼウスは、今も昔も一族の上に立つ事しか考えていないの。邪魔する存在は、生きる価値がないと思ってる。そんなゼウスは、上に立つ器じゃないわ。現世であろうと、前世であろうともね…。でも神世、圧倒的な力で自分の帝国を築いてしまった。自分中心の帝国をね…。そのせいで、たくさんの人が苦しんでいるのに、そんなことあのゼウスが気にするはずもなく…」


 彼女は肩を落として遠くを見つめた。その先には、星の数ほど尊い命が散ったのだとわかる。


 だが、槇村が悲しみに同調する前に燃えるような赤い髪をふって穏やかに笑った。


「まあ、そんなゼウスの誇っていた帝国を、エーゲ海の海底深かいていふかくに沈めたのが、ポセイドンなの」


 帝国を海に…、沈めた…?

 海に沈んだ帝国として、思い当たる伝説は…。


「まさか…、伝説のアトランティス?!」

 

「ふふふ。そうね。呼び方は色々だけど、まぁ、海に沈んだという意味では同じね」


「はぁ……」


 もう、深く考えるのはよそう。


「それで…、市ノ瀬…いや、あの、弟さんは?」




 朝焼けが、海を照らしていた。

 波と波がぶつかった先は虹色に輝き、潮風は、佇む市ノ瀬を抱き締めるよう、彼の服と髪をなびかせている。


 そのまま景色に溶け込んで…、消えてしまいそうだった。

 

「まったく……」 


 槇村に気づいた市ノ瀬が、フッと形の良い眉をあげて笑う。


「起きたんだな? 身体は平気か?」


 槇村は、火の子が放った力の波動に、アナキラフィシーショックに近い症状で倒れたらしい。


「…俺のことより、お前は?」


 市ノ瀬は、問題ないと穏やかに答える。


「この先、病院はどうするんだ?」


「姉がいる。何も、心配ない…」


 市ノ瀬の全て整理できている様子が苛立たしい。


「…戻ってくるのか?」


「…わからない」 


 市ノ瀬が波際の海を指差すと、宙に舞い上がった水は、水鉄砲のようにツイーと槇村の顔を濡らした。


「記憶で水が操れる…。それは、もの凄く、特殊な事だろ?」


 水鉄砲は二度、三度と槇村の顔を濡らす。市ノ瀬のふざけた振る舞いは、自分の神力しんりきさげすんでいるようで好きになれない。 


「何かを、変える必要は無いんじゃない?」


 振り返ると、菜々とヘスティア市ノ瀬の姉が意味ありげに笑いながら立っていた。 


「そのまま抱き合って、海に消えるのもロマンチックで良いけど…」


「私は二人の濃厚なキスが見たかったわ!」

 

 どうしても市ノ瀬と槇村を恋人同士だと思いたい姉君あねぎみと菜々。


「「……だから、そんなんじゃないって」」


 二人同時に答えるが、槇村は市ノ瀬の事を、これ程刺激的で興味深い男はいないと位置づけている。

 だが、自分の人生を捧げると言うには勇気がいった。


「俺は…、お前の何もかも一人で抱えているような顔は嫌いだ。でも…俺には、力も記憶とやらも無い。それでも共に同じ時間を、生きたいと思う。…俺は、無責任な事を言ってるのか?」


 槇村の子供みたいな拗ねた顔に、驚いた市ノ瀬が「どうせなら、もう少しカッコつけたらどうだ?」と、あの挑発するような顔で笑った。

 

『コ―――ゥ!』


 槇村の肩にくっついていた小粒の獅子が、何を思ったのか、嬉しそうに海へ跳んだ。


「あー、ダメダメダメダメ! その子泳げないの!!」


 ヘスティア市ノ瀬の姉の焦りに、全員が腕を伸ばしてコオの落下先にダイブする。結果…、浅瀬とはいえ四人ともずぶ濡れだ。

 槇村は焦って足を絡ませ、尻もちをついた状態で海に浸かっている。


 四人が顔を見合わせ…、吹き出した四人の笑い声は、美しい朝の浜辺に響きわたった。


 海のさざなみも、楽しげな笑い声と調和して穏やかなハーモニーを奏でて潮風にのせた。 






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