第14話 旅立ち(2)


 その年の冬は、長いようでも、短いようでもあった。

 わたしは毎日、ロザンナさんの家に通い、裁縫仕事をして夕方までを過ごした。仕事が長引いて暗くなると、アルベルトさんが、ロザンナさんの家まで迎えに来てくれることもあった。ロザンナさんは時々、わたしをからかった――驚いたねぇ、あの朴念仁が、こんなにあんたの世話を焼くとは思わなかったよ。

 奉献日が過ぎ、灰の日が過ぎ、季節はゆっくりと移り変わっていった。

 少しずつ寒さが和らぎ、雪の下から地面が表れ、白いクリスマスローズが咲いた。徐々に日が伸び、陽光が温もり、やがて、樹々のこずえに春の芽吹きが現れ始めたころ――それは起こった。



「おおい、マルティナ! マルティナ! ――アルベルト!」

 その日、トニオお爺さんが駆け込んできたのは、まだ、朝も早いうちのことだった。

 わたしは慌てて小屋の戸を開けた。何があったのだろう?

「おお、おったのか、マルティナ。良かった。……良かった」

 わたしの顔を見たトニオお爺さんは、ほっとしたように息をつき、そのまま敷居にけつまづいた。

 わたしとアルベルトさんは、慌ててトニオお爺さんの体を支えた。ベッドの縁に座らせる。

「一体どうした」

「どうしたもこうしたも――」

 トニオお爺さんは荒い息をつき、しわの寄った手で顔をなでた。

「――大変なんじゃ。マルティナ、あんた、今すぐどっかに隠れた方がいいかもしれん」

「え?」

「農園の連中に聞いたんじゃが、今さっき、お屋敷に憲兵が来よって」

「憲兵?」

 アルベルトさんが眉をひそめる。わたしを見る。

「そうじゃ。なんでも、お前さんらのいた修道院の院長が――」

「尼僧院です」

「尼僧院の院長が、どこだかの国境で捕まったらしい。隠れて黒魔術をやっとったのが、ばれたんじゃと。それで今、憲兵が、関係する人間をかたっぱしから捕まえとる」

「…………!」

 わたしは思わず、その場に座り込みそうになった。

 そんな。

 そんな。

「そんな……そんなはずありません」

 どうにか声に出して、わたしは言った。あまりのことに、目の前がふらふらする。

「アレンデ尼僧院長は、そんな人ではありません。そんな――」

 効くかどうかも分からない魔術になど、頼る人じゃない。

 前の院長が亡くなったあと、新しく王都から着任したアレンデ尼僧院長は、貧乏な村人ではなく、お金持ちや貴族と付き合うのが好きな人だった。豪華な毛皮をまとい、髪粉の匂いをぷんぷんとさせたお客様の前で、わたしたちは聖歌を歌ったり、聖典を暗唱したりした。 

 ――けれど、彼らが本当は、別の目的で集まっていたことを知っている。テーブルの上でかわされる、賄賂や贈り物や秘密の約束。アレンデ尼僧院長は、お祈りや聖句より、お金や権力が好きな人だったのだ。

 その院長が、捕まった? 

 だとすれば、彼女が通じていたのは、いるかいないかもわからない、邪教の悪魔なんかじゃない。彼女のもとの主である、旧教の司教や貴族や王族たちだ。黒魔術の罪で捕らえられたのは、その方が手っ取り早いからだ――魔女の断罪に、裁判は要らない。

 けれど、一つ問題がある。彼女が『邪教に通じていた』のなら、同じ院にいたわたしたちも、全員同罪になってしまう。わたしたちはみんな、同じ聖堂で祈り、寝起きしていたのだから。

「……ともかく、まあ、お前さんが無事で良かった」

 ぽつりと、トニオお爺さんがわたしに言った。

 悲しげに。 

「……その憲兵どもがな、ついさっき、屋敷の二階に押し入って、連れていったそうじゃ。お前さんの仲間たちを、全員」


 

 ――絶対に逃げてやる。そうして、新しい人生を始めるの。

 

 ……カーラ!


「つ……連れていったって」

 かすれた声で、わたしは言った。

「連れて行ったって、どこに」

「どこだかは、儂にもわからんよ」

「どうして。ど、どう……どうなるんですか、みんな」

 たずねる声に、答えは返らなかった。

 けれど、そう。昔から、魔女に与えられる罰は決まっている。

「……まさか……火刑……」

 つぶやいた言葉が、自分のものとはとても思えなかった。

「――そんな、大げさな!」

 トニオお爺さんが、慌てたように言う。

「何十年も前ならともかく、若い娘をそんな、いっぺんに何十人も、火刑になんてするもんかい」

 わたしはトニオお爺さんを見返した。本当に? 本当に、そう言い切れる?

 言い切れるわけがない。

 だって本当は、わからないんでしょう? トニオお爺さんだってわからないんでしょう。わたしを落ち着けるために、そう言っているだけなんでしょう。

 だって――だって、誰にもわからないじゃない。生かすも殺すも、この国の王様次第なんじゃない。

 わたしたち旧教徒を、ひどく憎んでいるという王様の――

「――――……」

 わたしは顔を上げた。

 止めなくちゃ。

「――カーラ」

 止めなくちゃ。止めなくちゃ。カーラ。アンナマリア。ベッラ。フィオ。

 気がつけば、わたしは走りだしていた。小屋の外へ。けれど、誰かがそれをはばんだ。ぐいとわたしの腕をつかんだ。

「――放して!」

 わたしは腕を振り払った。

「だめだ」

「放してっ!」

「だめだ」

 アルベルトさんが、わたしの腕をつかんでいた。  

「あんたが行っても何にもならない」

「――嫌っ!」

 わたしは顔を上げてアルベルトさんをにらみつけた。わたしの腕をつかむアルベルトさんを、憎いと、本当に憎いと思った。

「嫌っ! 放してよ!」

「だめだ」

「……放してっ!」

 わたしは腕を振り回した。アルベルトさんは手を伸ばしてわたしを捕らえた。その腕を振り払おうとわたしはもがき、歯を食いしばって小道の向こうをにらんだ。泣くものか。助けないと。絶対に助けないと。

 そうしないと、みんな死んじゃう。

「――はなしてっ!」

 アルベルトさんはわたしの腕を放すと、その手でわたしの口をふさいだ。もう片方の手をわたしの体に回すと、わたしの足が地面から浮いた。わたしは暴れ、アルベルトさんを蹴った。すると、耳元でアルベルトさんが言った。

「だめだ。あんたまでつかまるだけだ」

「…………っ」

 ぼろぼろと、わたしの目から涙がこぼれる。

 どうして。

 どうして。

 どうして。わたしたちが何をしたの?

 親のいないわたしたち。たしかに、いつも仲が良かったわけじゃない。嫌いな子もいた。いじめもあった。それでも、誰も助けてくれないこの世界で、わたしたちにはお互いしかいなかった。何も持たない者どうし、運命を分け合って生きてきた。

 なのに。

 どうして。

 どうしてわたしたちがこんな目に合うの? 誰も傷つけていないのに!

 憎い。誰も彼もが憎い。戦争を始めた王様が憎い。みんなを売り渡したお屋敷の人たちが、それを気にもとめない周りの人たちが憎い。わたしたちから人生を奪う人みんなが、どうしようもなく憎い。

「うっ……あ……っ」

 アルベルトさんは何も言わなかった。ただ、わたしを捕まえ、抱え上げていた。

 それでも、意思は伝わってくる。わたしを死なせる気はないという気持ちが、はっきりと伝わってくる。

「っ…………!」

 歯を食いしばり、体を震わせて、わたしは泣いた。悔しくて苦しくて、体が壊れそうだった。けれど、同時に、わたしは感じていた。少しずつ、思い出していた――今のわたしを生かしているのが、アルベルトさんであることを。

 アルベルトさんが買って下さったパン、アルベルトさんが買って下さったチーズ、そういうもので、わたしは出来ている。そのために支払って下さったお金、そのためにして下さった力仕事、そういうもので、わたしは生きている。

 背中に覆いかぶさる大きな体、わたしを捕まえるがっしりとした腕は、そのことを、否応なしに、わたしに思い出させた。今のわたしを生かして下さっているのが、アルベルトさんであることを。

 つまり――

 つまり。

 わたしとアルベルトさんは、もう、家族なのだ。

 だから。わたしはカーラを、みんなを、追いかけることはできない。

「…………っ」

 でも、そんな。

 こんな――わたしだけ救われるなんて。



「マルティナ!」

 ふいに声が聞こえ、わたしとアルベルトさんはふりかえった。

 松林のほうから、ロザンナさんが走ってくる。

「マルティナ……っ、ああ良かった、いたんだね!」

 ロザンナさんが走ってくる。息を切らし、分厚いスカートを、ばさばさと揺らしながら。

「ああ良かった、ほんとに良かった、まったく」

 わたしたちのそばまで来ると、ロザンナさんは膝に手をつき、荒い息をついた。

「つ、ついさっき、うちの前を荷馬車が通ったんだよ! それにあんたの知り合いの、旧教徒の子が乗ってるって――ざ、罪人みたいに手を縛られてたって、マルコが!」

 わたしは体を震わせた。血の気が下がるのが自分でもわかる。

「だから、あ、あたし、もしかしてあんたも連れていかれちまったかもって――」

「――母ちゃーん!」

 そこに、小道を全力で走って、マルコが追いかけて来た。

「父ちゃん、やっぱり出てっちまった! いい方の帽子、かぶってた!」

「ああもう、まったく!」

 その言葉に、ロザンナさんは顔をゆがめた。わたしの肩を捕まえ、アルベルトさんに向きなおり、焦ったように言う。

「アルベルト、悪いけどこの子、すぐに逃しておくれ」

「どういうことだ」

「馬車がうちの前を通ったとき、フランコも一緒にいたんだよ! ちょうど庭にいたもんだから、一緒に見てたんだ、娘たちが運ばれてくのを! そんで言ったんだ、この子がいないって。――馬車に乗ってないって!」

 アルベルトさんの顔が険しくなる。

「そんであの人、言うんだよ、それを憲兵隊に教えたら、報奨金がもらえるだろうって。だから今から、街の詰め所まで行くって。もうあたし腹が立って腹が立って、そんなはした金のために子供を売るのかって、こんな小さな子を、み、密告するのかって――」

 アルベルトさんは、それ以上聞かなかった。わたしの腕をつかみ、小屋へと向かう。

 つまり、わたしがここに残っている事に気づいたロザンナさんの旦那さんが、そのことを密告しに行ってしまったのだ。街の、憲兵隊の詰め所まで。

「すまないね……情けないよ、ほんとに」

 顔に手を当て、うなだれながらロザンナさんが言う。

「別にあんたのせいじゃない」

 アルベルトさんが答える。

「マルティナ、どっかに逃げるのか?」

 わたしのそばをうろつきながらマルコがたずねる。

「そうだね、急いだほうがいい」

 トニオお爺さんがうなずく。

「そんならマルティナ、俺と服、とっかえっこしようぜ! その真っ黒は目立つだろ――」

 そんな事を言い出すマルコをよそに、アルベルトさんは小屋に入ると、壁際のベッドを押し上げた。壁に立てかけ、その下の床石を持ち上げると、小さな土の穴の中から、陶器のつぼが現れる。

 皆がぐるりと取り囲む中で、アルベルトさんはそのつぼを取り出した。蓋を開け、傾けると、銀貨と銅貨が転がり出てくる。

「……驚いたね。あんた、いつの間に貯金なんかしてたんだい」

 ロザンナさんが目を丸くする。

「てっきり借金で首が回らないんだと思ってたよ」

「あれは二年前に返し終わった」

 言いながら、アルベルトさんがお金を自分のポケットに入れる。その仕草の意味に気づいたロザンナさんが、驚いたように言った。

「――まさかあんた、一緒に行くってのかい?」

 すると、その場の全員がアルベルトさんを見た。次に、わたしの方を向く。わたしはアルベルトさんを見上げた。アルベルトさんは小さくうなずいた。

 ロザンナさんは呆気にとられたように黙り込んだ。けれど、やがて気を取り直し、緩く首をふって、うなずいた。

「そうだね。あんたがその気なら、その方がいいかもしれない」

 だって――でも。アルベルトさんの暮らしは、ここにあるのに。

 当たり前のように旅支度を始めるアルベルトさんに、わたしは何かを言おうとした。けれど、言うべき言葉が見つからない。

「なあ、そんならやっぱ、服、とっかえっこしようぜ!」

 かわりに声を上げたのはマルコだった。せがむようにわたしの腕を揺さぶる。

「俺がマルティナの服着てここにいてやるから、マルティナは俺の服着て逃げろよ!」

「……え? ええっ?」

 ゆさゆさと体を揺さぶられながら、わたしは少しばかり混乱した。ちょっと待って、とにかくまず、アルベルトさんにお礼を――まず、アルベルトさんにお礼を――……っていうかマルコ、あなたわたしの代わりにここにいて、憲兵隊が来たらどうするつもりなの?? 

 けれど、わたしが口を開くよりも前に、ロザンナさんがマルコを叱り飛ばした。

「ったく、馬鹿だねこの子は! あんたがマルティナと入れ替わってどうすんのさ? ったく、騒ぎと見たらすぐ首つっこみたがるんだから!」

 べちん、とマルコの頭をはたく。

「大体、着替えなら、あたしがちゃんと持ってきてるよ!」

 そう言うとロザンナさんは、手に下げていた籠から、茶色い服を取り出した。白いボタンと丸いえりのついた、アイロンのかかったワンピース。それから、村の女の子のような布帽子。

「ロレッタが、あんたぐらいのときに着てたんだ。エレナが大きくなったらあげようと思ってたけど、あんたにあげるよ」

「でも……そんな」

 服一枚の値段は、決して安くはない。仕立て代まで入れると、わたしの働きの三ヶ月分はするだろう。受け取れずにいるわたしに、ロザンナさんが服を押し付ける。

「イルマが書いて寄越したんだよ。エレナが、山羊の乳なら飲めるみたいだって。下痢のせいで痩せて、このまま死んじまったらどうしようって怖かったのが、また元気になってほっとしたって」

「…………」

「だから、遠慮しなくていいよ。マルコじゃないが、その黒づくめじゃ、外に出た途端に見つかっちまう」

「――トニオ」

 と、荷物をまとめ終えたアルベルトさんが、トニオお爺さんに声をかける。

「あんた、残りの林檎を週明けにでも、醸造所に運ぶって言ってたな」

「あ? あ、ああ、そうじゃな。そろそろ老けてきよるからな」

「それ、今日にならないか。馬車への積み込みは手伝う」

「ああ? わしゃかまわんが、お前さん、林檎など運んどる場合じゃないじゃろ」

「――ああ!」

 と、ロザンナさんが手を打った。わたしを見て、にやりと笑う。

「なるほど、一緒に積み込もうってんだね?」

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