第10話 手紙(3)

 次の日。

 朝、起きるのはつらかった。

 寝床から出るのもつらかったし、アルベルトさんと二人でご飯を食べるのは、もっとつらかった。

 黙ったまま食事を終え、黙ったまま仕事に出る。畑の横でアルベルトさんと別れ、小雪の降る小道をとぼとぼ歩く。

 昨夜、寝る前に、アルベルトさんが怒った理由を、いくつも考えた。皆に疎まれる旧教徒のくせに、ちょっと態度が大きかっただろうか。字なんか書いてみせたのも、見せびらかしたみたいで良くなかったろうか――散々ぐるぐる考えたけれど、結局、判らなかった。

 でも、それでは困るのだ。判らなければ、謝ることができない。謝ることができなければ、許してもらうことだって、きっとできない――。

「……っ」

 じわっと涙がにじみ、わたしはぎゅっと目をつぶった。こんなところで泣き出す訳にはいかない。仕事だもの、行かなきゃ。



 ロザンナさんの家につく。

 ひさしの下で雪をはたき、いつものように、扉を押し開ける。

「おやまあ、あんた、一体どうしたんだい」

 わたしの顔を一目見て、ロザンナさんが言った。

「ひどい顔だね。目が真っ赤だよ」

「…………」

 昨日までのわたしだったら、ここで、あっさり打ち明けていただろう。アルベルトさんに言われたこと。そのせいで悲しくなったこと。不安になったこと。

 けれど、アルベルトさんのことを信じきれなくなったわたしは、ロザンナさんのことも怖かった。

 だって、ロザンナさんだって本当は、わたしなんかと関わり合いたくないかもしれない。

 でも、わたしを可哀想に思って、気にしないふりをしてくれているのかもしれない。

「……な」

 なんでもないです。

 そう言って、顔をそらそうとして――けれど、わたしは途中で動きをとめた。こんなふうにしてはいけない気がした。

 だって……これじゃ、自分からドアを閉めているようなものだ。それは、やめよう。それは、よくない。こんなにお世話になっているのに、勝手に逃げては駄目だ。

 わたしは顔を上げた。無理にでも笑う。

「なんていうか……その。アルベルトさんと、喧嘩しちゃって」

 そういうことにしておこう。

「喧嘩あ? ――ああ、あいつ、あんたにもなんか言ったんかい!」

 そう言うと、ロザンナさんは大きく口をへの字にした。

「手紙なんか書くなって叱られたんだろ? 字も教えるなってさ。あたしは気にしすぎだと思うけどねぇ、でもまあ、あんたの面倒見てんのはあいつだから……――にしたって、泣くほど叱ってどうするんだよ。まったく、これだから男は」

 腹立たしげに、ロザンナさんは首を振る。

 わたしはなんだかぽかんとした。ええと――つまり、どういうこと?

「帰ったらあいつに言っておやり。あの手紙はちゃんと、坊主に見せたって。返事も書いてもらったって。あんたの名前は出さなかったから、これで文句はないだろうってね」

 まったく、頭が固いんだから、と続ける。

 ええと。

「……手紙?」

「あんたの書いた、あの手紙だよ。せっかく書いてもらったのにさ」

「――あれ、出さなかったんですか?」

 行商人に預けて、街まで届けてもらうと言っていたのに。

「そうだよ、アルベルトが出すなっていうからさ。……もしかして、何も聞いてないのかい?」

「き、聞いてません……」

 何一つ。

 わたしがそう言うと、ロザンナさんは呆れたような顔をした。

「そうかい? ……なら、一体何を喧嘩したんだい」

「ええと……」

 つまり。

 それが判らないから困ってるんです……。



 ことの次第はこうだった。

 おととい、わたしがイルマさんに手紙を書いた日のこと。夕食のあと、突然、アルベルトさんがやってきて、ロザンナさんに言ったそうだ。

 わたしに手紙を読ませたり、書かせたりするなと。

 はあ、なんでさ? とロザンナさんは言ったそうだ。読めるんだから、読んでもらえばいいだろう、と。でもアルベルトさんは聞き入れなかった。目立つことはさせるな、の一点張りだ。

 次の日、わたしがマルコに字を教えたときも、同じだ。アルベルトさんは再びロザンナさんの家に行って、二度とさせるな、と言ったらしい。マルコにも、わたしに習ったことは誰にも言うな、と念押ししたそうだ。

「だもんでアルベルトのやつ、てっきり、あんたにもそう言ったもんだと思ったけどね」

 とロザンナさん。

「あれだけしつこく言っておいて、そうじゃなきゃ話が通らないよ」

「……えっと……」

 わたしは言葉に詰まった。アルベルトさんに言われたことを話すのは、やはり抵抗があった。とは言え、仁王立ちで腕組みをしたロザンナさんを前に、嘘などつけるものではない。言いたくなかろうが何だろうが、大人しく白状するしかなかった。

「アルベルトさんは、ただ……こんなことは、二度とするなって、あんたは旧教徒だろうって。だからわたし」

 言っているうちに、涙が出てきてしまった。いやだ。こんなに動揺してどうするの。

「……わたしが旧教徒だから、怒られたんだと」

 というか、嫌われたんだと。

 目をこすりながらそう言うと、ロザンナさんはむつかしい顔をした。そのまま黙り込み、部屋の壁から壁へと、視線を動かす。

 ややあって。

「……それはもしかすると、あれじゃないのかい」

 ロザンナさんは、ぼそりと言った。

「あいつなりに、あんたに気を使ったんじゃないのかい」

 え。

 わたしは思わず顔を上げた。ロザンナさんはため息をついた。

「わからないけどさ。多分、そうなんじゃないかね。目立つことをするなってのは、人の噂になるなってことだもの。旧教徒に立つ噂なんて、どうせろくなもんじゃないしさ」

「…………」

「手紙の件だってそうさ。あんたが字が書けるなんて知ったら、聖堂の坊さんどもはいい顔しない。読み書きなんてのは、坊さんの特権だからね。長年続けてきた小遣い稼ぎを、あんたみたいな旧教徒の子供に取られたとなったら、難癖つけてこないともかぎらない。アルベルトはそれを心配したのさ」

「…………そ」

「――そんならそうと言やあいいのに、だろ? あたしもそう思うけどさ、あの男のことだ、変なぐあいに気を使ったんじゃないのかい? 村の連中に悪く言われるからやめろ、なんて言ったら、あんたが怖がるんじゃないか、とかさ。……それであんたを泣かせたんじゃ、元も子もないってのに、まったく」

 そう言って、やれやれと首を振る。けれど、わたしは安心などできなかった。重ねて聞かずにはいられない。

「ってことは、わたし……嫌われてないんでしょうか。アルベルトさんに」

「そらべつに、嫌ってやしないだろ。嫌ってる人間を、誰がわざわざ心配するかね」

 そう言って肩をすくめる。

「むしろあたしは、感心してたんだよ? あの無愛想な男がさ、あんたのことはずいぶんと、ちゃんと気にかけてるようじゃないかって。……まあ、それにしちゃ態度がなってないけどさ」

「…………」

 わたしは思わずうつむいた。本当に……本当にそうなんだろうか。

 そんなわたしの様子を見て、ロザンナさんはため息をついた。椅子を引き寄せ、暖炉の前に座る。

「――アルベルトも、ああ見えて不運な男でね」

 言いながら、仕立て物をひざにのせ、針に糸を通す。

「たしか、三つだか四つの時に、おっかさんを病気で亡くしたんだよ。おまけに、十のときだったかね。親父さんが借金こさえてね。土地も家畜もいっぺんに失っちまった。父ひとり子一人で、住む家もなくなって往生してたところを、前のご当主に拾われてね」

 息をつく。

「でも、そのうちに、親父さんも亡くなっちまって、一人になっちまってね。それからは仕事一筋さ。残った借金返すばっかりで、嫁もとらずにきちまった。誰か探してやろうかって話も出たけど、何しろ貧乏暮らしだろ。わざわざ苦労させることもないって、自分から断っちまった」

「…………」

「そんなこんなで、ずうっと一人だからね。野菜のことはわかっても、あんたみたいな若い子のことは、ちっとも判らないんだろ。村の奴らに噂されるより、あいつに怒鳴られるほうが、あんたにとっちゃつらいってことも、さっぱり判っちゃいないんだろうさ――ああほら、手を動かしな。働いた働いた」

「――あっ、はい」

 わたしは慌てて針に糸を通した。

 ロザンナさんはそれからも、いろいろな話を聞かせてくれた。

 さんざん話し込んだせいで、その日の仕事は遅くまでかかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る