荒野の中のバギー
オレは四輪バギーのアクセルをゆっくりと回す。バギーは荒い音と砂埃を立てながら前進しはじめる。そして、次第にスピードをあげていく。
時速60キロくらいだろうか。大したスピードではないが、オレには丁度いい速さに感じられた。
何故、ここで今自分がバギーに乗っているのかは覚えていない。時間の感覚も鈍く、まるで夢を見ているような気分だった。
覚えていることと言えば、自分は地方の何処かにある会社に勤めていたこと。そこへ電車で通勤していたということ。そして電車の中で、いつものようにウトウトとしてしまったということくらい……。
オレは改めて、目の前の状況を確認する。
広大な荒野が、眼前に広がっていた。周囲にはごつごつした岩と、僅かな雑草がみられた。
遥か向こうの方には、光が差していた。それは夕陽が沈もうとしているのか、朝陽が昇ろうとしているのか、オレには判断できなかった。
オレはただ、バギーをその光の方向へ向けて走らせた……。
小一時間ほど経った頃、前方に誰かの人影がみえた。オレはバギーを停めておりると、人影に近づいた。
その人影は、少女のようだった。
少女は、ボロボロの服を着てこちらに背を向けて立っていた。
「おい! ここは何処なんだ? おまえは誰なんだ?」
オレは思わず大声を出して、少女に問うた。
何となくこれが夢なんじゃないかと感じていたため、口調がいつもより少し強気になっていた。
少女の後ろには、太陽の光が広がっていた。
少女は、背を向けたまま返事をしない。
「おい! 聞こえているんだろ? おい!」
オレは少女の肩を掴むと、無理矢理振り向かせようと力を入れた。
すると少女の顔が、丁度オレの眼前に現れた。175センチのオレより明らかに低いはずの少女の顔が眼の前にある事実に、オレは一瞬恐怖した。
「うわっ」
少女の顔は、いつの間にかオレと同じ年くらいの女性へと変わっていた。
「私のこと、覚えてないの?」
女は突然そう呟いた。
女の表情は穏やかだったが、瞳だけは激しい感情を発していた。
それが、憎しみなのか悲しみなのか、オレには判断できなかった。
「オレは、おまえを知っているのか? おまえは誰なんだ? いや、オレは誰なんだ? そして、ここは何処なんだ?」
オレは、一息に女に問うた。息が少し上がっているのが自分でもわかる。
女はそんなオレをみると、口元を緩めた。
「何も覚えていないようね。じゃあ、教えてあげる……」
そう言い終えると同時に、女はそっとオレの頬に触れた。そして、そのまま人差し指を眉間の間に滑らせた。すると……。
「こ、これは……」
突然、凄まじい量の記憶が、まるで滝のようにオレの脳裏に流れ落ちてきた。
「そう、あなたはあの日、通勤中の電車の中で眠ってしまった。そして……」
驚き言葉を失っているオレに、言葉を被せるように女は続けた。
——ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトンとお馴染みのリズムを刻みながら揺れる電車。
オレはいつの間にか、眠ってしまったらしい。
ふと物音が聞こえて目を覚ます。オレの席から少し離れたところで何やら声が聞こえた。
左腕に嵌めている腕時計は夜の十時を過ぎていた。
「ちょ、ちょっと、やめてください」
「いいじゃん、いいじゃん、別にー。オレら何もしてないしー」
オレの席から少し離れた奥の席で、スーツを着た女性が二人の男に絡まれているようだった。ひとりは背が高く、もうひとりは少し小太りだった。
「いや、だから別に何かをしようって言ってるわけじゃないでしょ? そっちがこっちを見ているから、何か用ですかって聞いてるの?」
そう言いながら、男の一人が女性の肩を掴んでいる。
「は、離してください」
女性は泣きそうな声で必死に抵抗する。男たちはそんな彼女に対して厭らしい笑みを浮かべていた。
オレは溜息をつきながら立ち上がると、彼らの方へゆっくりと歩を進めた。
「何だ、おめぇ?」「何か用?」
男たちはオレに気付くと、こちらを向いて近づいてきた。
「そこのお姉さん、困っていますよね……。止めた方が良いんじゃないですか……」
オレは、溜息をつくようにそう言った。
「はぁー?」
背の高い方が、オレの顔ギリギリまで近づくと、深い息を吹きかけてきた。
オレはその息のあまりの臭さに、思わず咄嗟に顔を背けてしまった。
「おい、こいつみろよ。ビビってるよ」
「ショウちゃんのメンチの切り方、ハンパねぇー!!」
小太りの方は、嬉しそうにはしゃぎ始めると、今度はオレの方に顔を近づけてきた。
「おめぇ、もう遅せぇよ」
「!?」
小太りはそう言うが早いか、オレの顔に素早くジャブを見舞った。
不意を突かれたオレは、そのあとの追撃のフックを視界に収めることもなく、呆気なく床に沈んだ。
——次の瞬間眼を覚ますと、オレは電車の席で項垂れていた。
ふと物音が聞こえてその方を見遣る。オレの席から少し離れたところで何やら声がしたのだ。
左腕に嵌めている腕時計をみると、夜の十時を過ぎていた。
「ちょ、ちょっと、やめてください」
「いいじゃん、いいじゃん、別にー。オレら何もしてないしー」
オレの席から少し離れた奥の席で、スーツを着た女性が二人の男に絡まれているようだった。ひとりは背が高く、もうひとりは少し小太りだった。
「こ、これは、一体……」
SF映画なんかによくある展開だった。時間が、戻っていた。
普通の人間なら、もっと長い間混乱していることだろう。しかし、オレは違った。
オレは溜息をつく代わりに、力の限りに叫びながら二人の男に飛び掛かった。
「人生を独りよがりで終わらせないためにも、誰かのために何かをしなけりゃいけないんだよぉぉおお!!」
——気が付くと、周りは荒野に戻っていた。しかし、目の前に立っていた女性はもういなかった。
女性の後ろにあった光。それが今、ゆっくりと昇っていく。
「そうか、朝陽だったのか……」
オレはひとりそう呟くと、バギーに跨りアクセルを回した。
バギーはメーターを振り切って、時速100キロ以上は出ていただろうか。オレには丁度いい速さに感じられた。
「オレはもう迷わないし、悩まないよ……」
オレはまた呟いた。ひとり荒野に向かって……。
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