生贄の儀式

 中華において死後の世界と言うのは、この世と地続きであり、子孫によって祀られる事で死後にも裕福な暮らしが出来ると信じられています。これは古代から現代に至るまで本質は変わっていません。

 そんな祖霊を祀るための儀式こそ、古代においては生贄いけにえが必須だったわけです。


 殷王朝においては、そうした生贄の儀式に大勢の奴隷を使っていた事で、周囲の諸部族から恐れられていたわけです。

 そんな生贄の儀式の習慣を変えようとしたのもまた妲己だっきだったと思います。何しろ一歩間違えば自分自身も奴隷になっていた可能性もありますし、奴隷に落とされた者たちの中には自分と同じ部族の者たちもいるのですから。


 実際に出土した殷代の青銅器の金文に、この紂王ちゅうおうと妲己の代で生贄の習慣を止めた事が書かれている物もあります。



   *****



「先祖代々続けられている物を、女一人の言葉で止めるのか!」


 殷の臣下たちの間に、そうした声が出ていた。

 特に王の前で猛烈に批判したのが先代殷王の弟に当たる比干ひかんであった。


「生贄の儀式は廃するべきではありません。先祖代々の祭祀を疎かにするなどあってはなりませぬ!」


 子受しじゅは元よりまじないの類は半信半疑な人間であった。そうした旧習にこだわった結果、毎年のように生贄として多くの周辺部族を連れてこなければならず、殷の人狩りとして恐れられてしまったわけなのだ。

 特に三公であった九侯きゅうこう鄂侯がくこうが謀反を企むほどに、殷から民心が離れていると知ったばかり。

 だが周辺部族に恐れられている人狩りを廃止するには、その根本の理由である生贄の儀式を廃するより他はない。


 比干の言葉に無視を決め込んだ子受であったが、比干は諦める事は無く、「生贄! 生贄!」と、ずっと食い下がってくる。

 いくら相手が叔父と言えど、子受も我慢の限界であった。


 そうして子受は比干に対して死を賜った。その方法は心臓を抉りだすという、と言えるやり方で。


「そんなに生贄の儀式がやりたいのなら、そなたが生贄となるがよい。本望であろう!」



   *****



 後に周王室から比干が忠臣として讃えられ、紂王と妲己は何と酷い奴らなんだと言わんばかりに貶されました。


 しかし野蛮な生贄の儀式を止めましょうと提案した妲己と、それを受け入れた紂王。そして生贄の儀式は続けるべきと猛烈に主張した比干という構図は、現代的な価値観で観れば印象が逆になってしまいます。


 周王室は生贄の儀式にこだわった比干の肩を持っているわけですが、その最大の理由が、周王室も生贄の儀式をやっていた事が考古学的に判明しているからですね。西周時代の遺跡からも儀式として人間の生贄を使っていた痕跡が見つかっているのですから。

 聖人と言われた文王ぶんおう姫昌きしょう)や太公望たいこうぼう呂尚りょしょう)、そして武王ぶおう姫発きはつ)、周公旦しゅうこうたん姫旦きたん)なども、みな「祖霊祭祀=生贄の儀式は、やるのが当たり前。廃止なんてとんでもない」という考えなわけです。


 後世に生贄の儀式は野蛮だとして次第に規模が縮小され、結局は完全に廃れていったわけですが、そう考えれば紂王と妲己は、あまりにも時代を先取りしすぎていたのでしょう。





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