四十六話 芹崎有香猫の本当の秘密

「――祐也君」

「マスター……!?」


 病室で眠っているマスターを眺めていると、ゆっくりと、俺を呼ぶ声が聞こえると同時に、マスターの目が開いた。


「……心配かけたね。すまなかった」

「マスターが謝ることじゃないですよ! それよりも、どこか具合が悪かったりとか、痛いところはありませんか!?」

「今のところ……特にはないかな」

「……よかった」


 俺は胸を撫で下ろす。


 有香猫の話によると、彼女がCATSに帰ってきたときにはもうマスターは倒れていたそうだ。

 焦ってしまった彼女は、とりあえず俺に電話をかけたらしい。


「有香猫は?」

「今、買い出しに出かけています」

「そうか……修学旅行は、どうだった?」

「修学旅行……そう、ですね」


 俺は歯切れが悪くなってしまう。


 事が落ち着いたとき、俺は有香猫にどういう顔をして会えばいいのだろう。

 さっきまではいろいろバタバタとしていたのでそこまで気が回らなかったが、いざ顔を合わせるとなると……。


「……何かあったのかい?」


 心配そうに見つめてくるマスターに、俺は胸の前で両手を振った。


「い、いえ。特に何もないですよ」

「……有香猫とのことかい?」

「うっ……」


 鋭く言い当ててくるマスター。

 なんで……分かっちゃうかな。


「ということは、彼女も決意したということか」

「な、何のことですか?」

「ん? 有香猫から何も聞かされてないのかい?」

「……生憎と。自分の口からは言い出せないみたいで」


 彼女が言っていたこととマスターが認識していることが同じかどうか分からなかったが、多分合っているのだろう。

 何となく、そんな気がした。


「そうか。じゃあ私から言わないといけないみたいだね」


 そう言って、マスターは窓の向こうにある空を眺めた。

 そうして、話し始める。


「……まずは、私がずっと前に飼っていたメス猫の話をしよう。前に、その猫が人間になったことは、祐也君に話したね?」

「はい」

「そうなんだ。その猫は人間になってしまったんだ……そして、ある一人の男に恋をしてしまってね。猫とその男は付き合って、幸せな人生を謳歌していたよ」


「でも……」と言葉を置いて、マスターは眉をひそめた。


「猫が人間にならなくなって、その幸せは終わってしまった。完全に、猫に戻ってしまったんだよ。猫が人間になってから、実に一年後のことだった」

「えっ……」


 俺は唖然とする。


 マスターの伝えたいことが……分かってしまったかもしれない。

 もしそれが合っていれば、全ての辻褄が合う。

 彼女の言動も……何もかも。


「……もう、分かったようだね」


 見ると、マスターは俺に微笑みかけていた。


「そんな……」

「薄々、祐也君も気づいていたんじゃないのかい?」


 それは、そうだった。

 おかしかったんだ。

 猫が、人間になるなんて。

 そんなの、この世界のイレギュラーだから。

 だからいずれは、正しき、あるべき姿へと戻らないといけない。


「そのメス猫は、ミーシャの血族の可能性が圧倒的に高い」

「そうだ。そして、ミーシャが有香猫になり始めたのは今年の四月一日。そして、今は十月の一日だ。つまり……」

「……後六ヶ月で、有香猫はミーシャに完全に戻ってしまう」

「……そういうことだ」


 バラバラになっていたピースが、全て埋まっていくような気がした。


『自分の欲望に忠実になってしまう。それだと、相手が傷ついてしまうのに』


 きっと、彼女も俺と一緒にいたかったのだろう。

 でもそれだと、時間が来たときに俺が傷ついてしまうから、今のうちに別れることを決意した。


『本当は助けてほしいのに、それすらも叶わない。叶っちゃいけない。じゃないと、迷惑をかけてしまうから。どこか遠くに行ってしまうかもしれないから』


 この、有香猫が消えてしまう秘密を、多分俺にも知ってほしかったのだろう。

 そして、あわよくば助けてほしかった。

 でもそれは叶っちゃいけない。

 でないと、俺に迷惑をかけるから。

 俺が有香猫が消えることを怖がって、彼女から身を引いてしまうかもしれないから。


「……全部、俺のために……」


 なのに俺は、有香猫に酷い言葉を浴びせた。

 ……これも有香猫の策略のうちだったのかもしれない。

 理不尽に俺を突き放して、俺の怒りを買って、俺に嫌われるような立ち回りをして。

 そのほうが、後腐れがないと思って。


 本当……馬鹿だな。

 俺も、有香猫も。


「――マスター……!」


 その時、鈴の音のような声が病室を響かせると同時に、何かが落ちる音がした。

 見ると、色々入った買い物袋を床に落としながら、有香猫が目を見開いていた。


「あ……ぁ……」


 そうして、彼女は目尻にどんどん涙をためていったかと思うと、急に病室を飛び出してしまった。


「有香猫!」

「祐也君!」


 俺が有香猫を追いかけようとすると、後ろでマスターが俺を呼んだ。

 ゆっくりと、俺はマスターの方に振り返る。


「祐也君……頼む。あの子を……孤独から、救ってあげてくれ。今、あの子を救えるのは……祐也君しかいない」


 途切れ途切れに言葉をこぼすマスターに、俺は決意を瞳に込めながら言った。


「任せてください。何せ俺は……有香猫の彼氏になる男です」


 するとマスターは、ゆっくりと目を閉じながら……


「……頼もしいね」


 そう言って、安心したように寝息をたて始めた。


「……ゆっくりと、休んでいてください」


 最後にそう言葉をかけると、俺は病室を飛び出した。


 ……有香猫を救いに行こう。

 もう二度と、独りにはさせないように――。

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