四十五話 ごめん

『――おかえり……って、どうしたんだよ!? お前、ずぶ濡れだぞ!?』

『……話しかけないでくれ』

『そういうわけにもいかないだろ! とりあえず、何か拭くものを――』

『いいから』

『っ……』

『……俺、シャワー浴びてくる』

『えっ? でももう夕食の時間で……』

『いらないって、先生達に伝えて来てくれ』

『おい、何かあったのかよ。まさか、猫がいなくなったことが関係してるのか?』

『猫……』

『昨日お前が連れてきた猫だよ。帰ってきたらいなくなってるから、どうしたもんかと――』

『もう喋らないでくれ』

『喋らないでくれって……おい!』

『さっさと夕食会場行けよ――』










『――おはようございます、白銀さん』

『……おはよう。どうしたの、昨日は。芹崎さん一人で帰ってきて。しかもずぶ濡れだったし』

『ちょっと色々あったんです。それよりも白銀さん』

『何?』

『貴女に、お願いがあるんです』

『お願い……?』

『祐也君のことを、助けてあげてください』

『助けてあげる、って……何よいきなり』

『私はもう祐也君のそばにはいられないから……だからお願いします』

『ねぇ、何かあったの? どうして急にそんなこと言ったの?』

『私、ちょっとシャワー浴びてきますね』

『シャワーって……もうちょっとで朝食の時間だよ? 早く行かないと――』

『いらないって、先生方にお伝えください』

『貴女、何かおかしいわよ。どうしてそうなったの?』

『……もう、話したくありません』

『ねぇ、ちょっと芹崎さん!』

『祐也君のこと、頼みます――』










『――ねぇ祐也。芹崎さんと何かあったの? 彼女、なんか様子がおかしいんだけど』

『……今は、その名前を出さないでくれ』

『ちょっと、大丈夫? くますごいわよ?』

『大丈夫……大丈夫だから』

『ねぇ、ちょっと……』

『俺はもうバスに戻る。有紗もさっさと戻れよ――』











 ――頭を、空っぽにしたかった。

 全部忘れて、新しい気持ちで修学旅行を楽しみたかった。

 組対抗ドッジボール大会も、キャンプファイヤーも。


 ……でも、出来なかった。


 ことあるごとに有香猫の涙を流しながら叫ぶ姿がフラッシュバックして、それが俺の脳裏にくっきりと焼き付く。

 忘れたくても全ては忘れられなくて……そうしてまたフラッシュバックする。


 そんなことを繰り返しているうちに、いつしか修学旅行は終わっていた。


 ……俺は、なんのために修学旅行に行ったのだろうか。

 有香猫に振られるため?

 いや違う。

 俺は、有香猫に告白するために修学旅行に行ったんだ。


 告白をして、しっかりとけじめをつけて、ずっと二人でいたいって……そう思ってたのに。

 二人になるどころか告白すらも叶わず、振られて、一人になって、一人にさせて。


 修学旅行に行かなければ、こんなことにはならなかったのだろうか。

 ……いや、それも違うな。

 遅かれ早かれ、結局有香猫にはああやって振られていたのだろう。


 全ては……俺が有香猫のことに何も気づいてあげられなかったから。



 ――重たい足取りで、俺は帰路をたどる。

 CATSには……もう行きたくなかった。

 あの場所は、俺の居場所だったのに。

 それを自ら放棄して、こうやって悲しみに打ちひしがれている。


 あまりにも無力だった。

 彼女はきっと、何気ない素振りにヒントを隠してくれていたのだろう。

 でも、それを俺は見つけることが出来なかった。


 彼女のことをちゃんと見ていれば。

 彼女のことをちゃんと理解していれば。

 彼女に……信頼されていれば。


 そんなタラレバばかりが、俺の脳内を駆け巡っているうちに、俺は自宅へと辿り着いていた。


「――ただいま」


 誰もいないしんとしきった部屋に、俺は一人つぶやく。


 ……嫌われてしまったのだろうか。

 お互いのためと言って離れたのは……最後の彼女の愛情なのだろうか。


 今あるのは、彼女に振られた悲しみと、ショックと……それを引き起こしてしまった自分への憤りだった。


「クソッ!」


 俺は居間にあるテーブルを思い切り叩く。


 なんでもっと早くに気づいてあげられなかったんだろう。

 そうすれば、こんな結末になんかならなかったはずなのに。


 俺は……有香猫が好きだ。

 大好きだ。

 愛しているんだ。


 だから……辛いんだよ。


 また俺は口先だけで、彼女を独りにさせて。

 そんな自分に反吐が出て、俺は彼女がいないと何も出来なくて。


「……好きなのに」


 一緒にいることすらも、叶わない。

 叶っちゃいけない。

 それは、有香猫が望んでいることだから。


 俺はスマホを手に取る。

 つい先日交換した彼女とのLINE。

 彼女がLINEを打てるときは大体一緒にいるからまだそれほどやり取りは多くない。


 そこに何かを打とうとして……手を止める。


「……ごめん」


 気づいてあげられなくて。

 そばにいてあげられなくて。

 有香猫を……好きになってしまって。


 その時、いきなりスマホが音を立てて震えだした。


「うわっ!?」


 あまりにも急な出来事だったので、俺はそんな情けない声を出してしまう。


 スマホに映っていたのは……「有香猫」という文字と、応答ボタンと拒否ボタンだった。


「っ……」


 なんで……またいきなり。


 息が荒くなる。

 動悸が激しくなる。


 でも、拒否するわけにはいかない。


 俺は応答ボタンに恐る恐る指を置いて、スマホを耳にかざした。


「……もしもし」


 声が震える。

 でも、それ以降俺の耳朶を叩く音は聞こえなかった。


「……有香猫?」


 違和感を覚えた俺は、思わず彼女の名前を呼ぶ。

 すると、今にも崩れてしまいそうな声がスマホから聞こえてきた。


『祐也……君』

「どうしたんだ?」


 俺が尋ねると、彼女は……


『マスターが……マスターが!』

「っ……!」


 その声で、何か良からぬことが起きたのだとすぐに分かった。


「……すぐ行くから、待ってろ」


 そう言って、俺は通話終了ボタンを押した。


「……クソが!」


 俺はそう吐き捨てながら、勢いよく玄関を飛び出すのだった――。

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