四十四話 終わり

 ――あの夜の後、修学旅行は何事もなく進んでいった。

 ただ一つ気がかりだったのが……有香猫だ。


 二日目の自由行動。

 予想通り、俺たちは他の班員にそそのかされて二人きりにさせられた。

 そこまではよかったんだ。

 でも……彼女の様子は、昨日から一変していた。


 甘えてこなくなってしまったのだ。

 距離も昨日はゼロだったのに、今日の自由行動時は数十センチくらい離れてしまっていた。

 会話もどこかぎこちなくて……なんで変わってしまったのかを聞けるような状況でもなくて。


 そうして、自由行動の時間は終盤に差し掛かっていた。



「――どこか他に行きたい場所はあるか?」


 厚い雲のかかっている空が見える外を歩きながら、俺は隣りにいる有香猫に尋ねる。

 しかし……。


「私は……特にないです」

「そうか。じゃあ、どこに行こうか」

「そうですね……」


 そこで会話は途切れる。

 いつもみたいに「祐也君はどこか行きたいところはありませんか?」と聞いてくることもない。


 今は……ゆーくんだけど。


 とりあえず、そんなことを考えている場合ではない。

 俺は腕時計に視線を落とす。

 時刻は午後四時三十分。

 そろそろ有香猫がミーシャに姿を変える時間だ。


「……人気のない場所に行こう。もうそろそろ時間だ」

「そうですね」


 人が行き交う中、俺たちは歩く。


 ……やっぱり、聞くしかない。

 聞かなければ何も進展しない。

 この状況を少しでも変えないと……有香猫は笑顔になってくれない。


 だから俺は彼女に聞くため、覚悟を決めるのだった。



         ◆



「――なぁ、有香猫」


 薄暗い路地裏に入ると、俺は有香猫の名前を呼んだ。


「なんですか?」


 彼女は優しく俺に微笑みかける。

 しかし、どこか無理をしているようにも感じた。


 ……この問いで、何かが大きく動くような気がしていた。

 胸騒ぎがして、とてもじゃないが落ち着けない。

 でも、聞かなくちゃならない。

 このまま事を進めるわけにもいかないから。


 だから、俺は尋ねた。


「……何かあったのか?」

「何かって、何がですか?」


 まるで何も分かっていないような聞き返し方をする有香猫。


「今日はいつもと様子おかしかったから、何かあったのかと思ったんだけど……」


 何もなかったら、こんなあからさまな変わり様にはならないはずだ。

 俺は自分の言った言葉に確信を持ちながら彼女の反応を待った。


 ……何分たっただろうか。

 今時間が経過しているのかすらも分からないような静寂の中、ぽつりとつぶやく声が辺りを震わせる。


「……どうしたらいいのか、わからないんです」


 それは、不安。

 先が見えなくなって、くべき場所が消えてしまったかのような、恐怖。


「本当はダメなのに、自分の欲望に忠実になってしまう。それだと、相手が傷ついてしまうのに。でも、我慢するのは嫌なんです。苦しいんです」

「有香猫……?」


 意味深なセリフを声を震わせながら淡々と言う有香猫。

 どういう反応を示せばいいのか分からず、俺は彼女の名を呼んでしまう。


「本当は助けてほしいのに、それすらも叶わない。叶っちゃいけない。じゃないと、迷惑をかけてしまうから。どこか遠くに行ってしまうかもしれないから」


 助けてほしい……有香猫は、助けを求めてるのか?

 それすらも叶わないということは、俺が気づいてあげられていなかったということ?


「だから私は……貴方に言葉をかけられる前に、貴方から離れることにした」

「有香……猫……?」


 俺は、再度彼女の名を呼ぶ。

 だが、その声は上手く喉から出てはくれなかった。


 嫌な予感がする。

 さっきと同じ、胸騒ぎがする。


「貴方に言葉をかけられた後じゃ、あまりにも残酷過ぎるから……だから、言います」


 そうして有香猫は告げた。

 衝撃の一言を。



















「祐也君。私は、貴方と付き合えません――」



















「……はっ?」


 最初に出てきた言葉は、それだった。

 というか、もはや言葉ではなかった。


 有香猫は……今なんて言った?

 俺と、付き合えない?


「どうして……どうして、付き合えないんだ?」


 頭の整理がついていなかった俺は、とりあえず理由を問い質すことにした。


 一見冷静そうに見えているかもしれないが、実際頭の中はぐちゃぐちゃで、何を言っているのかよく分からなくて。

 問い質す声も不安定で、もう何が何だかよく分からなかった。


「……すみません。理由は、言えません。私の口からは、言うことが出来ないです」

「なんで……どうして……」

「こんなに深く関わらなければよかったんです。そうすれば、貴方を裏切ることも、傷つけることもなかったんです」


 困惑していた。

 それと同時に出てきた感情が……怒りだった。


「……どうして! 有香猫は俺のことが好きだって言ってくれた! 俺も有香猫のことが好きだ! なのに、なんで付き合えないんだよ!」


 そこまで言って、俺は気づく。

 そうか……有香猫はあの時、こういう気持ちだったのか。

 どうしようもない憤りを感じて、俺は今、それを全て吐き出そうとしている。


 でも、有香猫はそうじゃなかった。

 だから、俺もここで――。


「吐き出してください」

「っ……!?」


 そう言って、彼女は両手広げる。


「全部受け止めますから、貴方の今の気持ちを吐き出してください!」

「ふざけるな! なんだよその態度! それがあんたに言えたことかよ!」

「吐き出さないと、苦しいままです!」

「いい加減にしろ!」


 俺は、有香猫の胸ぐらを掴む。

 正直、今自分が何を言っているのかもよく分からなかった。

 ただ、俺が有香猫に酷い言葉を浴びせていることだけは分かった。


 有香猫の顔を、眉をひそめながら見つめる。

 少しでも気を抜くと今にも顔が崩れてしまいそうで。

 だから、俺は彼女を睨み続けることしかできなかった。


「……今日で、関わるのはおしまいです。お互いのために、これ以上関わらないほうがいいんです」

「さっきっから何言ってんだよ! 意味が全く分かんねぇよ!」

「……分からないままでいいんです」

「分からなかったら俺が納得出来ねぇんだよ!」


 俺は押し出すように有香猫の胸ぐらから手を離す。

 彼女は苦しそうにしながらも、瞳はしっかり俺を捉えていた。


「……猫になった後のことは、白銀さんにお願いします」


 そう言って、彼女は俺の横を通り過ぎて行く。


「おい! 何勝手にここからいなくなろうとしてんだよ!」

「お願いですから分かってください! 私と貴方は離れなくちゃいけないんです!」

「だからそれは何でだって聞いてんだよ!」

「だから、言えないって言ってるじゃないですか!」

「っ……」


 俺が言葉を詰まらせている間に、有香猫はどんどん遠くなっていく。


「有香猫!!」


 俺は、彼女の名前を叫んだ。

 でも、彼女の後を追いかけることは出来なくて。

……とうとう彼女は見えなくなってしまった。


「どうして……意味が、分かんねぇよ。なんで……泣いてたんだよ」


 そうして俺はその場に跪く。

 それと同時に、ぽつぽつと雨が降り出した。


 どうしようもなくなってしまった俺は、空を見上げ、雨で涙を目立たなくさせることしか出来なかった――。




















「……ごめん、なさい。ゆーくん――」

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