四十三話 愛と亀裂と

「――くん……ゆーくん」


 誰かの声がする。

 この呼び方は……。


「……芹崎、さん?」


 目を開け、段々と目が暗闇に慣れてくると、俺の横に芹崎さんがいた。

 布団に身を包みながら、俺の横で寝っ転がっている。


「……私は有香猫です」

「あっ、ごめん。つい……」


 ぼんやりだが、有香猫が頬を膨らませているのが見えた。

 そういえば、呼び名を変えたんだったな。


「おはようございます、ゆーくん」


 微笑んで、有香猫は俺のことを呼ぶ。


「あぁ、おはよ――」


 言いかけて、俺はあるものを見てしまった。

 布団の影で分かりづらいが、有香猫についている二つの綺麗な膨らみが見える。

 それはまるで――。


「ばっ!? 有香猫!」


 俺は咄嗟にそこを布団で隠した。

 そうだった、有香猫はさっきまで猫だったんだ。

 道理でなわけだ。


「……私は、別にゆーくんにだったら見られてもいいですよ?」

「馬鹿っ、そういう問題じゃない。というか、隣には他の男も寝てるんだぞ。有香猫のそんな姿……他の男に見せられるわけがないだろ」

「ゆーくん……」

「っ……」


 余計なことまで言ってしまった気がする。

 やめてろ、そんな熱っぽい瞳で俺のことを見つめないでくれ。


「と、とりあえず早く服を着ないと……」


 そう言って布団から出ようとする俺を、すかさず後ろから抱き締める有香猫。


「ちょっ、有香猫!」

「まだ、もう少しこのままでいましょうよ……」


 ダメだ、明らかに深夜テンション……というか、昨日は元からこうだったか。

 何なんだ?

 修学旅行に来てから、明らかに有香猫が俺に甘えることが多くなった。

 何がトリガーで……って、原因は俺か。

 昨日の彼女とのやり取りがフラッシュバックする。


 がっくしと、俺は頭を落とした。


「……いつまでこのままでいたらいい?」

「あともうちょっと……」


 寝起きのせいか、俺には抵抗する力がなかった。

 とりあえず、有香猫が満足するまでこのままでいることにしよう。


 ……それにしても、さっきから背中に柔らかいのが当たる。

 しかもそれが直に当たっていると思うと、更に意識してしまう。


 クソッ、どうして男ってこうなのだろうか。

 子孫を繁栄させるためには仕方のない性なのだろうが、少しは自重してほしいのが正直なところである。


「……ゆーくんっ」


 どうやらご満悦のようだ。

 まぁ、その声を聞いて頬を緩めてしまう俺も俺なんだけどな。


「……ほら、有紗もきっと待ってるだろうから、今はここまでにするぞ」

「今はってことは、後でまたいいんですか?」


 期待のこもった声が俺の耳朶を叩く。


「……時間が出来たらな」

「はいっ! ありがとうございます!」


 そうして、有香猫はようやく俺のことを離してくれた。

 布団から出た俺は、畳んであった有香猫の服を持ってくる。


「ほら、バスルーム使っていいから」

「私、身体洗いたいです」

「自分の部屋に戻ってから。今はとりあえずこれを着て」

「……分かりました」


 唇を尖らせながら布団を剥ぐ有香猫。

 俺は咄嗟に後ろに振り向く。

 少し待つと、やがてバスルームの扉の開く音、閉まる音がした。


「…………」


 有香猫には、羞恥心というものはないのか?

 普通女の子は、男に自分の身体を見せたくないだろう。

 それだけ、信頼されているってことか?

 ……そういえば有香猫は猫だから、そもそも裸を見せることにはもう慣れているとか?


 そんなことを考えているうちに、再びバスルームの開く音がした。


「着たか?」

「はい。なので、もうこちらを見ても大丈夫ですよ」


 そう言われたので、俺は振り向く。

 有香猫は、ちゃんと服を着ていた。


「よし、有香猫の部屋に向かうぞ。有紗が置いていったルームキーはあるか?」

「はい、ここに」


 そう言って、ポケットからルームキーを取り出す有香猫。


「……じゃあ、行くか」


 俺は自分の部屋のルームキーを手にすると、音のならないようにゆっくりと廊下へ続く扉を開く。


 廊下には……流石に先生もいないか。

 そりゃあニ時過ぎだもんな。


「……おいで」


 後ろにいる有香猫に手招きして、近づいてきた有香猫の手をそっと握る。


 そうして、俺たちは有香猫と有紗の部屋を目指すのだった。



         ◆



 ――ピンポーン。


 重いまぶたを擦りながら待機していると、ふと部屋のチャイムが鳴った。


「ようやくね」


 つぶやいた私は、ベッドから腰を上げて、廊下へと続く扉を開く。

 そこには、祐也と芹崎さんがいた。


「ごめん、遅くなった」

「本当よ。全く、一体何をしていたんだか」

「何もしてない。ただ単に俺が起きるのが遅かっただけだ」

「……あっそう」


 絶対嘘だ。

 付き合ってる二人なら、何かしていてもおかしくない。


「とりあえず……ほら、芹崎さん」

「あっ、はい」


 そう言って、芹崎さんは私の方に歩み寄る。


「あの……ありがとうございました」

「気にしなくていい。それよりも、早く中に」

「はい」


 祐也は芹崎さんに言葉をかけたあと、私に視線を移した。


「じゃあ、後はよろしく頼む」

「うん、分かった」

「……迷惑かけて、ごめん」

「祐也が謝ることじゃないから」


 私が祐也に向かって微笑みかけると、祐也も微笑み返してくれる。


「そう言って貰えると、助かる」


 その言葉に、私はコクリと頷いた。


「じゃあ、おやすみ。芹崎さんも」

「おやすみ」

「おやすみなさい」


 そうして挨拶を済ませると、私は扉を締めた。






「――芹崎さんって、猫だったのね」


 彼女がシャワーを浴びて、バスルームから出てくる。

 それと同時に、私は彼女に話しかけた。

 すると彼女は、突然申し訳なさそうな表情をした。


「今まで黙っていて、すみません」

「きっと、何か黙っていなきゃいけない理由があったんでしょ? そもそも、芹崎さんが猫になるなんて、にわかには信じられない話だし。周りに言いふらさない方が妥当な判断だわ」

「ありがとうございます。それと、もう一つ謝りたいことがあるんです」

「もう一つ?」


 芹崎さんは、髪を濡らしたままベッドの上に腰を下ろした。


 謝りたいことって……なんだろう。

 いや、予想は出来ている。

 出来ているのだけど……認めたくない。

 だって認めてしまったら、また泣きそうになってしまうから。


 でも、私の願いも虚しく芹崎さんは口を開いた。


「……祐也君のことです」

「っ――」

「薄々、気づいてはいたんです。あれ程までに強かった白銀さんが、いきなり――」

「その話はやめて」


 私は芹崎さんの言葉を遮る。


「……もう、いいから」


 自分の中で、ちゃんと噛み砕いて飲み込んだから。

 もう、受け入れてるから。


「……私、ずっと白銀さんが心配だったんです」

「心配って……」

「好きな人を他の人に取られる気持ちが私には分かりません。でも、想像することなら出来ます。……絶対、苦しいはずです。だから――」

「もういいって言ってるでしょ! 私は、もう大丈夫だから!」


 叫ぶ。

 ただひたすらに。

 芹崎さんを突き放す。

 認めないように。


「っ……すみません」

「……私、もう寝る。芹崎さんも早く寝ないと、明日起きられないわよ」


そう言って私は布団を頭から被る。


……なんで、こうなっちゃうんだろう。

私だって、突き放したくはないのに。

こんないざこざ、起こしたくないのに。


芹崎さんの声を聞くと、どうしても普通じゃいられなくなってしまう。


……もう寝よう。

このまま色々考えてても、苦しいだけ。

そう思ってたのに、今日の夜はなかなか寝付けなかった――。

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