〔番外編2〕二人のある一日

「――おはよう」


 朝。

 いつも通り、俺は登校中にCATSに寄っていた。

 なぜ寄っているのかというと……


「おはようございます」


 俺の声に、鈴のような一つの声が呼応する。


 そう、芹崎さんを迎えに来るためだった。


「おはよう、祐也君」

「おはようございます、マスター」


 カウンターから声をかけてくるマスターに俺は応える。


「今日はちょっと早いんですね」


 芹崎さんの声に、俺はつけていた腕時計に視線を落とす。

 いつもであれば七時半に来ていたところを、今日は七時に来てしまったらしい。


 ……というか、ちょっとどころじゃないな。

 いつもよりも全然早く来てしまったらしい。


 まぁ、そうなってしまうのも仕方ないか。


「今日はいつもより早く目が覚めちゃったからね。うちで特にすることもないし、早めに出てCATSに来ようと思ってたんだ」

「そうだったんですか」

「それよりも……」


 俺はそう言って、芹崎さんの服装に目を向ける。


「芹崎さん、仕度早いね。いつもより三十分も早く来ちゃったのに」

「あっ……こ、これは……」


 視線を俺から外して顔を赤くする芹崎さん。


 急に、どうしてしまったのだろうか?


 彼女の様子に俺が疑問符を浮かべていると、いつもの如く洗い物をしていたマスターが口元に笑みを浮かべながら言った。


「有香猫はいつもこうなんだよ。祐也君がくる三十分前くらいには準備を終わらせて、そわそわしながら祐也君を待ってるんだ」

「ちょ、ちょっとマスター!」


 頬を更に赤くしながら芹崎さんが口を挟む。


 何故か俺は、俺が来る前の芹崎さんの様子が容易に思い浮かべられた。

 早くに準備を終わらせ、席に座り、時々立ち上がって窓から外の様子をうかがう芹崎さん。


 ……なんというか、身悶えしてしまうな。


「祐也君! 何笑ってるんですか!」


 突然放たれた芹崎さんの怒号に、俺は思わず身体を震わせてしまう。

 どうやら、無意識のうちに頬が緩んでしまっていたようだ。


「ご、ごめんごめん。芹崎さんがそわそわしているところを想像すると、なんか笑っちゃって……」

「そんなこと想像しないでください!!」

「いや〜、まさに『恋する乙女』って感じだったよ」

「マスター!!」


 ……何やかんやでいつもより騒がしい朝になってしまった。

 朝はなるべく穏やかなのがいいんだが……まぁ、たまにはこういう騒がしいのもありだな。


 そんなことを考えながら、俺は未だに可愛らしく頬を膨らませている芹崎さんと一緒にCATSを後にするのだった。



         ◆



「……あっ」

「どうかしましたか?」


 授業中、思わず漏らしてしまった俺の声に気づいたのだろう。

 隣の席に座っている芹崎さんが、俺に声をかけてきた。


「……教科書を忘れたっぽい」

「ありゃ、それは困りましたね」

「…………」


 ……あれ、会話終わった?

 見ると、芹崎さんは黙々とノートに板書を移していた。


 ここは芹崎さんが「よかったら、私の教科書見ますか?」とか言ってくれるところじゃないのか?

 芹崎さんは優しいから、普段であれば絶対と言っていいほどそう言ってくれるはずだ。

 実際、俺が前に教科書を忘れたときも芹崎さんに見せてもらったしな。


 にも関わらず芹崎さんがそう言ってこないってことは……


「……あの、まだ怒ってらっしゃいますか?」

「何のことですか?」


 俺の声に答えはするものの、芹崎さんがこちらに視線を移す気配は一向にしない。


 ……やっぱり、朝のことを怒ってるっぽいな。


「ご、ごめんね? 怒らせるようなことしちゃって」

「そう思うんだったら、最初からやらないでください」


 ……いや、怒ってるんじゃん。

 さっきは「何のことですか?」って白を切ったくせに。

 でもまぁ、これに関しては俺が悪いか。


「分かった。もうやらない、やらないから……教科書見せてくれない?」

「どのタイミングで言ってるんですか……」


 ごもっともである。


「……全く、しょうがないですね。先生には言ったんですか?」

「評価下げたくないから、言ってない」


 隣からため息が聞こえてくる。


「じゃあ、見せてほしかったら私のお願いを一つ聞いてください」

「お願い……?」


 俺が言葉を反芻させると、芹崎さんはようやくこちらを見て、ある「お願い事」を言うのだった。



         ◆



「――ここが、図書館ですか……」


 目をキラキラと輝かせながらつぶやく芹崎さん。

 その視線の先には、沢山の本が並んでいる。


 彼女が俺に言った「お願い事」とは、「町にある図書館に連れて行ってほしい」というものだった。

 彼女が本好きだということは前から知っていたから、図書館に来たいと言うのも納得出来る。


「ここでは自由に本を取って読めるから、芹崎さんの好きにまわっていいんだよ」

「ありがとうございますっ! じゃあ早速行きましょう!」


 言いながら、軽い足取りで前を行く芹崎さん。


 ……とりあえず、機嫌が直ってくれてよかった。

 俺はそっと胸を撫で下ろすと、笑みを零しながら芹崎さんの後をついて行った。






「やっぱり、学園の図書室よりも本の種類が多いですね。目移りしちゃいます」


 苦笑交じりに芹崎さんは言った。


 確かに図書館は本の種類が多い。

 全ての中から自分の気に入る一冊を見つけるのは現実的ではない。


 だったら――


「芹崎さん、ちょっとこっち来て」

「ん? なんですか?」


 俺は芹崎さんの手を引いて、ある場所へ歩を進める。

 その場所とは……


「……パソコン?」


 俺たちが辿り着いた場所には、一つのパソコンが置いてあった。


「芹崎さん。好きな本のジャンルってある?」

「ジャンル、ですか? そうですね……最近は恋愛小説なんかをよく読んだりしますね」

「恋愛小説か……」


 俺はパソコンの目の前まで行くと、マウスを使って操作していく。


「あの、祐也君。何をしているんですか?」


 俺の手元を覗き込んでそう問いかけてくる芹崎さんに、俺は依然として操作をしながら答えた。


「検索をかけてるんだよ。例えば、ここの欄に『恋愛小説』って入れるとする。そしてエンターキーを押すと……」

「わっ! 何かいっぱい出てきましたよ!」


 パソコンの画面に、いろいろな小説名がずらりと並んだ。


「今図書館にある『恋愛小説』が表示されてるんだ。貸出状況なんかもこのパソコンで全部見ることができるし、もし読みたい本があったら、その本がどこにあるのかまで見ることが出来る」

「そんなのがあるのですか……」

「芹崎さんは、この中で読みたい本はある?」

「そうですね……」


 そう言葉を零して、芹崎さんはパソコンとにらめっこをし始めた。

 何とか芹崎さんの読みたい本が見つかりそうだ。


 それにしても、芹崎さんって恋愛小説とかも読むんだな。

 ということは、彼女の中にもそれなりに恋愛観というものがあるのだろうか。


 もしも俺が芹崎さんの彼氏になれたとしたら……芹崎さんの望んでいる恋愛をしてあげたいな。


 そう思いながら、俺は彼女が真剣な顔をしている様子を眺めるのだった。

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