三十四話 過去を抱き締めて
「――お騒がせしてすみませんでした」
健人先輩が「また来るからな」と言ってCATSを後にすると、芹崎さんが苦笑交じりに頭を下げてきた。
「芹崎さんが謝ることじゃないよ。まぁ、確かに俺もびっくりしたけど。まさか芹崎さんにお兄さんがいるなんて」
あの後俺は芹崎さんと先輩に、家族についての話を聞かせてもらった。
芹崎さんや先輩の他にも兄弟がまだ二匹いるということ。
親は母しかいなく、女手一つで芹崎さんら四匹を育ててもらったということ。
家族とは、浜辺に遊びに来ていたときたまたまやって来た波に全員さらわれ、離れ離れになってしまったということ。
他にも、先輩と後夜祭で出会ったとき、彼は芹崎さんに自分が芹崎さんの兄であるかどうかを確認するために来ていたということ。
たまたま芹崎さんがCATSに住んでいることを知り、その真偽をはっきりとさせるためにCATSにやって来ていたということなど。
先輩の語る時の目はとても真剣で、その話に偽りは感じられなかった。
芹崎さんも先輩の話を噛み締めるように頷いていたから、きっと間違いないのだろう。
「……少し、表に出て話しませんか?」
俺がさっきの会話の様子を思い起こしていると、芹崎さんが俺の顔を覗き込みながら言った。
その姿と声に心臓が跳ねる。
まだ話があるのだろうか?
そんな疑問が頭を
「いいよ。じゃあ行こうか」
「……ありがとうございます」
俺の声に、芹崎さんは微かに笑みを浮かべる。
そうして俺たちはCATSを出るのだった。
「……私、置いてけぼり?」
カウンターから聞こえるそんな声を耳にしながら。
◆
「この海……だよね。芹崎さん達が離れ離れになっちゃったのは」
「……そうですね」
海は皮肉めいたように穏やかで、そして綺麗だった。
夕日が海全体を紅く染め上げている。
あの日、俺と芹崎さんが出会った時の海をサファイアとするなら、今日の海はカーネリアンだ。
そんな宝石に例えられるほど、芹崎さんの家族を崩壊させた海はキラキラと輝いていた。
「――私は、この海が苦手です」
ふと、芹崎さんが痛々しい笑みを浮かべながらつぶやく。
「私の家族を離れ離れにしたこの海が、どう好きになれないんです。こんなにも綺麗に輝いてるのに」
「……無理もないよ」
芹崎さんはこの海に家族を奪われ、そして殺されかけた。
好きになれという方が無茶な話だ。
「でも、嫌いにもなれないんです」
そうして芹崎さんは、身体の向きを海から隣にいる俺へと変える。
「どうして?」
俺がそう問いかけると芹崎さんは……
「祐也君が私のことを助けてくれたからですよ」
優しく微笑んで言った。
確かに、俺は芹崎さん
でもそれがどう関係しているのか、俺の中でいまいちピンときていなかった。
俺が芹崎さんの言葉に戸惑っていると、彼女はそれを見透かしたように語り始める。
「……ずっと怖かったんです。海に飲まれた後、冷たい水の中で息も出来ず必死にもがいて、ようやく助かったと陸へ上がっても、さっきまでいた家族がそこにはいませんでした。恐怖と、孤独と、そして空腹に
「やっぱり、そうだったんだ」
俺がミーシャを助けたとき、ミーシャは首輪をしていなかった。
拾ってからも、近くで銀色の猫を探しているような人は見かけなかったからもしかしてと思ったが……やっぱり飼われているわけではなかったか。
俺のつぶやきに芹崎さんは静かに頷く。
そして再び彼女と、俺の過去を話し始めた。
「……次の日の夕方のことです。私は前の日の気持ちを引きずりながら、家族を必死に探していました。でも、もう限界でした。体力が底をつき岩陰に太陽から身を隠して休んでいると、ふと子供の影が見えたんです」
「それが、俺だったのか」
「そうです。私は祐也君を見た瞬間、必死に力を振り絞って声を出しました。その結果、祐也君は私に気づいてくれたんです!」
俺が口を挟んでから、芹崎さんの言葉を紡ぐ速さは増し、テンションも上がっていく。
あの時、本当に切羽詰まっていたのだろう。
彼女の語る様子が、それを物語っていた。
「祐也君は私を気にかけてくれて、その時言ってくれました」
「もう大丈夫。独りじゃない。俺がいるから……」
自然と、その言葉が俺の口をついて出た。
誰かに言うわけでもなく、まるで独り言のように。
「……よく覚えてくれていましたね」
芹崎さんが俺の発した言葉に口元を綻ばせる。
「あの言葉があったから、私は救われたんです。その時まで、私はずっと独りでした。でも、祐也君と出会ってから独りじゃなくなったんです」
その時、俺は気づく。
芹崎さんの声が震えているのだ。
声だけじゃない。
表情も、肩も、何かを必死に堪えるように震えていた。
咄嗟に、俺は芹崎さんの手を取った。
いきなりの出来事に芹崎さんは身体をビクッとさせていたが、関係なかった。
芹崎さんを安心させるように、俺は彼女の手を優しく包み込む。
そして、彼女に微笑みかけながら言った。
「……もう、我慢しなくていいんだよ」
「えっ……?」
俺の声に反応したかのように、芹崎さんの目尻から一筋の涙が零れる。
「俺は芹崎さんに、胸の内の不安や苦しみを沢山聞いて貰った。今度は芹崎さんの番だ」
「っ……!」
「全部受け止めるから、芹崎さんの不安や苦しみを俺に聞かせて」
揺れる芹崎さんの瞳を、俺は優しく見つめる。
やがて、彼女はぽつりぽつりと言葉を零し始めた。
「……怖いんです。祐也君が私を独りから救ってくれて、私は独りじゃなくなって。だからこそ、ふとした瞬間にまた独りになってしまうんじゃないかって」
言葉と一緒に涙が落ちていく。
芹崎さんの表情も、それと一緒に歪んでいく。
そんな彼女を、俺は安心させるように抱き締めた。
俺から抱き締めるのは……初めてだよな。
今までの俺だったら、きっと彼女を抱き締めることなんて出来なかっただろう。
自分には、彼女を抱き締める資格なんてないと思っていたから。
でも、彼女が俺を変えてくれた。
俺でも抱き締めていいんだって、彼女が教えてくれた。
だからこそ、今度は俺が彼女を変える番だ。
「……どんなことがあっても、俺がそばにいる。芹崎さんを独りになんかさせない。俺も……芹崎さんと一緒にいたいから。絶対、離さないから」
そう言って、俺は彼女を更に強く抱き締める。
次第に彼女の
その嗚咽は決して押し殺すようなものじゃなく、まるで今まで胸の内にこびりついていた不安をゆっくりと洗い流していくようだった。
俺はそれに安心を覚えながら、彼女が泣き止むまで彼女の背中を擦り続けるのだった。
◆
「――ありがとうございました」
しばらくして、目を若干腫らした彼女が俺に頭を下げてきた。
そんな彼女に、俺は苦笑する。
「そんな改まらなくても……俺だってやってもらったし」
「それでも私は祐也君に感謝を伝えたいんです」
彼女の声は、活き活きとしていた。
顔にも彼女らしいあどけない笑顔が戻っていて、それが俺をより一層安心させる。
「……あっ、一つ補足して置きたいんだけど」
俺は思わず声を漏らす。
彼女が「なんですか?」と首を傾げるのを見て、俺は頭を掻きながら言った。
「さっき『芹崎さんと一緒にいたい』って言ったけど、あれは別に告白じゃないから! 告白は、もっと分かりやすく言うから!」
もし、さっきのを芹崎さんが告白と受け取ってしまったらどうしよう。
そんな思いが、俺の口の潤滑油になる。
こんな中途半端に告白するのは締まりがない。
もっとちゃんとした場面で、分かりやすく「付き合ってください」と言いたかったのに。
自分自身の言動に、今更ながら後悔する。
そうやって傍から見ても焦りが見えるであろう俺に、芹崎さんはくすりと笑った。
「そんなの、分かってま――」
芹崎さんが言い終える前に彼女の身体から光球が溢れ出す。
俺が事の状況を理解する頃には、彼女は猫に戻ってしまっていた。
「……あっ!!」
俺は思わず周囲を見回す。
辺りに人がいないことを確認して再び猫になった芹崎さん視線を戻すと、何故だか笑いが込み上げてきた。
少しだけ笑いを零した俺は、猫を抱き上げて言った。
「……帰ろっか、ミーシャ」
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