第12話

 ゆっくりと目を開ける。

 眩しい日差しに目が眩む。


 今回は何日寝込んだのか。


 神から受けた神託の内容を思い出す。


(どうすれば良いのだろう)


「アダル……」

「母上」

 ベッドの脇には母上がいる。神託を受けた後はいつもそうだ。心配そうに俺を覗き込む。

「大丈夫ですよ。ちょっと今回はきつかったですが……」

 俺は母上に笑って見せる。


「私は何日寝込んでいました?」

 体を起こし、側にあるヴィアラッテアの存在を確かめる。やはり横にあった。俺を癒やしてくれたんだね。ありがとう。


 母がクッションを俺の背中に差し込んでくれた。ありがとうございます、とお礼を言う。


「2日よ。簡単な物なら食べられそう?」

 俺の額に手を当てる母上。そっと癒しの力を流し込んでくれる。

「そうですね。果物とかが欲しいです」

「分かったわ。あと、エヴァンジェリーナ公爵令嬢が隣室にいらっしゃるの。呼んでも良いかしら」

「……エヴァ嬢が?」


 隣室って、西側の中扉で繋がってる続き間の事だよね?実質、奥さんが使う部屋だよね。

 オカンなにやってんの⁉︎

 そこだけは入っちゃだけでしょ!それもう最後の扉‼︎


「エヴァンジェリーナ公爵令嬢は、今回初めて式に参加されたでしょう。貴方が苦しんでいる姿を見て、錯乱されて、とても大変だったのよ。自身の魔力が尽きても、貴方に回復魔法をかけ続けて。わたくし、心を打たれたわ。なんて健気な方なんでしょう」

 ハラハラ泣く母上をよそに、俺は脂汗をかく。


(オカン、何やってくれてんの⁉︎)


 俺の逃げ道を塞ぐのをやめて!オカンと結婚なんて本当に無理だから!


 母上は召使いを呼び、果物の手配をする。そして続き間の扉をノックする。続き間の扉が開き、オカンが出てきた。俺を見て驚き、走り寄って来た!

 

 そして‼︎

 やめてオカン!俺の胸で泣かないで!しがみつかないで‼︎ 抱きつかないで‼︎


 母上が俺とエヴァ嬢を見て、涙ぐむのが見える。


 待って!母上!よく見て。俺は両手を上に挙げてるよ!前世の学校で習ったの。冤罪を防止する為に、こういう状況の時は手を挙げるって。

 だから、ちゃんと見て!感動しないで‼︎


 知らせを聞いたのか間が悪い事に、父上がやってきた。

 俺とエヴァ嬢の姿を見て、驚いた顔をし、したり顔で頷く。


 父上?勘違いされてますよね?そして、顎をくいくい上げるの止めて!抱きしめろって言ってんだろ!分かってるよ!そんなの‼︎

 嫌だよ。両親の前でそんな姿を見られたら、アウトじゃん!もう、自分で結婚までのレール敷いちゃうじゃん!


「エヴァ嬢……?」

 とりあえず、俺はオカンの肩を掴み、引き剥がした。この方法だったら、ギリセーフ?たぶん。


 びっくりだ。オカンは、本気で泣いていた。


 紫色の瞳から溢れる涙が、長いまつ毛を濡らす。涙は赤く塗られた少し厚めの唇を辿り、落ちる。目の下には隈がある。

 心配させちゃったな、ごめんね。オカン。


 わざとらしい咳払いが飛び、我に返る。

「二人で積もる話しもあろう。我々は後にしよう」

「そうですわね。アダル、果物は後ほど持ってくるわね」

 父上が母上の腰に手を回し、仲良く部屋を出る。父上のウインクが飛ぶ。


 やめて!違うの。俺の逃げ道塞ぐのやめて‼︎


 扉が閉まるが、オカンは防音の魔法をかけずにいる。仕方ない、俺がかけるか。しかし、親が出て行ってすぐ防音の魔法って、なんかいやらしいな。


「オカン、大丈夫?ごめん、心配かけたね」

 とりあえず謝ろう。心配してくれた事だけは良く分かる。


 オカンが顔を上げる。決意した目だ。

(……嫌な予感がする)


「咲夜!あんた、私と結婚するわよ!」


(はい!想像の上を行きました!イミワカラン)


「待ってオカン。俺、病み上がりで、ちゃんと聞き取れなかった。今、俺と結婚するって言った?」

 こう言う時は、状況確認から始めよう。聞き間違いは良くある事だ。


「私と結婚しましょう。すぐに!」


(聞き間違えじゃナカッタ)


「え?待って待って、なんでそうなったの?

オカン、オヤジはどうするの?」

「雅也さんは本当に、ここにいるか分からないじゃない。でもあんたはちゃんと、ここに生きてる。私はあんたの為を思って言ってんのよ!」

「いや、待って。オヤジがいたらどうすんの」

「それはその時に考える!」


 この暴走機関車オカン号!ムカツク~。

 勘弁してよ。ただでさえ、神託受けて体はぼろぼろ、気持ちはナーバスなのに~。


「いや、オカンあのね……

「大丈夫‼︎」

 オカンに言葉を遮られた。

 肩に手を置かれて、真っ直ぐ見据えられる。


「私は経験済みだから、童貞のあんたをちゃんと導いてあげる。だから、安心して」

「……………………」

「頭にきた!ふざけんなよ。オカン!オカンになんて欲情できるわけないだろう!」

「なによ!このスタイルと顔になんの不満があるの!見なさい!」


 ベッドから勢いよく立ち上がるオカン。分かれ!オカン、そういう問題じゃない。


「自分でもうっとりする顔に、魅力的な少し厚い唇。華奢だけど健康的な肩甲骨!大きい張りのあるおっぱい!感度も上々よ!くびれた腰に少し大きめの、

「こんな時まで、ふざけてんなよ!そんなとこが嫌だって言ってんだろうが!」


 思いっきり叫んだ!前世を含めて、こんなにオカンに怒鳴ったことはない。オカンも驚いたらしい。俺が本気で怒ったことはないから。


「すぐ下ネタ言うし……。いや、茶化してるってのは分かってる。分かってんだけど!それも頭に来てるんだけど!でもそんな事より、オヤジを忘れるって言うのかよ。オカンはオヤジの事を、オヤジだけが好きじゃなかったのかよ!」


「好きに決まってる!でも、あんたの事だって心配なのよ。今の私があんたを守る為には、一番近くにいる為には、結婚しかないじゃない!だって、今は他人なんだもの。あんたが苦しんでいても、駆けつける事もできない。それがどれだけ辛いことか、ここ数日で思い知らされたのよ!」


 オカンの目から大粒の涙が溢れる。それを慰める事も、受け入れるつもりも俺にはない。それは俺の役目じゃない。


 俺は溜息をつくことで、冷静になろうとする。言葉を暴力にしないために。

「それで、結婚か。俺の事が心配で、何かしたくて、そして近くにいたい為の結婚?それは違うだろう。俺の為じゃないだろう。オカン、俺はオカンの自己満足の為に結婚はできない」


「じゃあ、私はどうすれば良いの?あんたの為に何ができるの!私は、私はあんたに申し訳ないとずっと思ってた。だってあの旅行の行き先を決めたのは私!運転していたのも私!私があんたを殺した様なものだもの。まだまだこれからやりたい事があった、あんたの未来を奪ったのは私だもの!だから、私はあんたに償わなきゃいけない!だから!」


 オカンのあまりにもの言葉に、思わず手を振りかざす。オカンは受け入れるかの様に目を瞑り、拳を握る。

 その顔を見て、俺はすぐ思い直し手をぎゅっと握り、胸の位置に収める。

 そんな言葉を言って欲しくなかった。言って欲しくないから、攻撃しようとするなんて最低だ。俺は冷静になるために首を振る。


「あの事故はオカンのせいじゃない。オカンは事故に遭うって分かっていて、旅行先を選んだわけじゃないだろう。結果としてはああなったけど、俺は楽しかったよ。今でも良い思い出だよ。そんな良い思い出を俺との結婚を正当化する理由にしないでよ」


「じゃあ私はどうすれば良いの!あんたを守るために……にどうすれば、なにをすれば良いの⁉︎」

「オヤジを探せ。もう俺だって大人だ。自分のことは自分でする」


 オカンは動かず真っ直ぐ俺を見据えてる。そうだった。昔から頑固だった。俺の意見なんて聞かなかった。いつもオカンを動かすのはオヤジ……。

 でも今はオヤジはいない。他の方法を取るしかない。俺もオカンも前世の呪縛から、離れるべきかもしれない。それは俺にとっても、とても辛い事だけど。


「帰りたまえ。エヴァンジェリーナ公爵令嬢。ここは君の居場所ではない」

 しっかり立ち、オカンを睨みつける。

 俺たちは親子じゃない。王太子とただの公爵令嬢。それ以上でもそれ以下でもない。見誤っては、いけない。


「……咲夜」

 決して察しが悪くないオカンが、いやエヴァンジェリーナ公爵令嬢が、あくまで俺の名前を呼ぶ。

 真珠の様に溢れる涙を拭く事もせず。


 ここで許しちゃ、いけない。

 絆されては、いけない。

 受け止めては、いけない。

 堪えなきゃ、いけない。


 防音結界を解き、メイドを呼ぶ。扉のすぐ前に控えていたメイドと騎士が順に入ってきた。

「エヴァンジェリーナ公爵令嬢がお帰りだ。丁重に送り届けたまえ」

 困惑しているだろうに、表情に出すことなくメイドはオカンを――エヴァンジェリーナ公爵令嬢を促す。

 

 エヴァンジェリーナ公爵令嬢は、下を向き、次に俺を睨んだ。その目に涙はない。

 声に出さず口が動く。

『親不孝物』

 美しいカーテシーを行い、踵を返す。


 自分を曲げない。さすがオカンだ。強い。きっと俺は一生勝てないんだろう。


 扉が閉まり、俺はソファに腰掛ける。


 後悔ばかりが押し寄せる。

 もっと良いやり方が、あったんじゃないか。

 慰めてあげれば、良かったんじゃないか。

 一旦要求を受け入れれば、オカンは満足だったんじゃないか……。

 

 でも、無理だった。オヤジを捨てると言うオカンは嫌いだ。俺のためにって言うのが、なお嫌だ。冗談ばかりで、本心を隠すところも嫌いだ。本当はオヤジが好きなくせに!オヤジ以外受け入れないくせに!


 俺のために、犠牲になろうとしてる。


 涙が止めなく溢れる。

 こんな時に話せる人もいない。

 導いてくれるオヤジがいない。

 慰めてくれる麗がいない。

  

 セピア色だった記憶の意味が今、分かる。

 アダルベルトは誰にも心を寄せなかった。誰にも頼らなかった。誰にも興味がなかった。


 強大な力を持つが故に、自分以外の人間は繊細なガラス細工の様に見えていた。だから、最大の注意を払い接する。壊してしまわないように。傷つけない様に。

 超越した力を持ってしまったが故に、勘違いする。一人で生きていけると。人は一人では生きていけないのに。

 

 結果、誰にも頼れないでいる。この持て余した感情を吐き出す術もなく。

 ただ、一人で泣く事しかできないなんて……。

 

 気配を感じ、咄嗟に涙を拭う。

 ノックがして母上が入ってきた。心配顔だ。心配させちゃいけない。


「母上、どうしたんですか?」

「それはこちらの台詞ですよ。アダル。エヴァ嬢は帰ってしまわれたし」

「ああ、私がちょっと疲たので帰って頂いたんです。なんでもありません。大丈夫ですよ」

 笑って見せる。心配かけたくないから。


「……。泣いていながら、大丈夫と言うのですか?」

 怪訝な顔を見せる母上。その言葉を聞き、手を目に当てる。止まっていなかったらしい。情けない。


 扉が閉まる音。部屋に残った母上が防音結界を張る。妙な緊張感に背筋が凍る。


「あなたはいつもそう。思えば小さい事からそうでした。いつも同じ顔で、なんでもありません、大丈夫です、わたくしには、いつも同じ台詞ばかり。神託を受けてうなされて、辛い顔をしていても、わたくしが尋ねると、大丈夫。真っ青な顔色であなたは、いつもそう言ってたわ。怪我をしても、病気をしても、いつでもあなたの答えは、大丈夫。わたくしも悪かったのだと思います。聞けば良かったのに。本当に大丈夫かと」

「いえ、母上が悪いことなど何も……。全て私の不徳の致すところです」


(そう、母上は悪くない。悪いのは全て俺)


「そう。そうやって、いつまでもわたくしには、本心をお話しして下さらないのね。わたくしはそんなに頼りがいがないかしら?あなたの母として、あなたに寄り添う事もできないのかしら」

「そんな、そんな事は……」


 いつも口数の少ない、儚げな印象の母が今日に限って俺に詰め寄る。

 今の俺には余裕がない。この感情の全てを吐き出したくなる。でも吐き出したくない。心配かけたくない。困らせたくない。失望されたくない。


「今、泣いているあなたを慰めるすべもない無能な母ですものね」

「そんなことは!」

 言葉が続かない、何を言えば良いのか。何を言えば傷つかないのかが、もう分からない。


「アダル。わたくし達は話さなければ、分かり合うことはできないわ。あなたの不安な気持ちを、わたくしにお話しして?そうしてもらえないと、母はあなたを慰める事ができないわ」

 頑として譲らない。

 どうして?いつもならすぐ引いてくれるのに!放っておいてくれ!

 王太子として立派に立っていたいのに。話すことで、あなたの目に失意の色が広がったら、耐えられない。


「アダルの言う事なら、わたくしは信じるわ。今まで歩み寄れずにいた母を許して?そして、わたくしに歩み寄るチャンスをちょうだい。このまま、無能な母でいるのは辛いわ」

 母上の右手が、俺の頬にあたる。指が震えているのが分かる。瞳も潤んでいる。歩み寄ってくれている。拒絶される恐怖と戦いながら。


「あなたに……母上に失望されたくないんです」

 必死に言葉を絞り出す。だからもう引いて欲しい。聞かないで欲しい。


「息子に失望なんてしないわ。むしろ、話してもらえない今が辛いわ。逆に息子を支えられない母に、あなたが失望するのではないかと不安よ」

 母の瞳に俺が映る。母の瞳は潤んでいる。いつもはすぐに泣くのに。


「本当に失望しませんか?」

 観念しよう。母は強いんだ。きっと一生勝てないんだ。

 

 母上は返事の代わりに美しく微笑んだ。


 俺は全てを話した。前世の事、オカンのこと、オヤジの事。そして麗の事も。


 泣きながら話す俺を、母上はずっと抱きしめながら聞いてくれた。


「信じられないですよね?」

 母上に問いかける。俺の目は泣きすぎて真っ赤になってるだろう。それは母上も同じだ。


「信じるわよ。あなたはわたくしの息子アダルベルトでもあるし、スミコさんの息子サクヤでもあるのね」

 一息付き、艶やかに笑う。母は美しく逞しい。


「わたくしの元に来てくれてありがとう。若くして亡くなったサクヤには、本当に気の毒だと思うけれど、わたくしはあなたに会えて、あなたを息子にできて、とても幸せよ」

 泣いて化粧も落ちてしまってる。でもそう言いながら優しく笑う母は綺麗だ。


「信じてもらえないかと思ってました」


「信じると言いより、納得したと言う感じよ。あなたは小さい頃に、ウララ嬢を探していたのよ。時には、いないって大泣きしていたのよ。大変だったわ。覚えていないでしょう?」


 驚愕の事実だ。驚く俺に母が更に続ける。


「ゴールデンのラッキーの話もいっぱい聞いたわ。大きくて、賢くて、ヨーグルトが大好きなのよね」


 懐かしそうに笑う母。子供頃そう言って泣きじゃくる俺を、いつも膝に抱いて抱きしめていたそうだ。

 顔が赤くなるのが分かる。子供の頃は覚えていたのか!


「エヴァンジェリーナ様の事も納得したわ。

彼女があなたを見る目つきは、恋するそれではなかったもの。サヴィーニ公爵は娘を溺愛してるから、政略結婚とも思えなかったから、とても不思議だったのよ」


「そんな風に見えてたんですね」

「それにこの間、神託を受けて倒れたあなたに駆け寄ったエヴァンジェリーナ嬢が、サクヤって叫んだの。わたくしの気のせいかと思ったけど、気のせいではなかったのね」


「オカン、、あれほど気をつけろって言ったのに」

「それ素敵ね!オカン。わたくしもそう呼んで頂きたいわ」

「それは俺が嫌です!」

「あら、残念ね」


 クスクス笑う母上。

 あぁ、母上はこんな感じで笑うんだ。こんな簡単な事に初めて気がついた気がする。


「この事は、あの人にだけ伝えるわ。他には秘密よ」

 母上がウインクするなんて!

 こんな表情もするんだ。これからは色々知っていこう。


「そうそう。わたくしとスミコさんに共通点がないと、アダルは言っていたわね」

「ああ、オカンはガサツなんで」

「あら?わたくしは共通点を見つけましたよ」

「え?どこが?」

「わたくしもあの人に一目惚れしたの。策を練ってライバルを蹴落として、あなたのお父様を手に入れたのよ」

「嘘でしょ⁉︎」

「女はね。愛する人を手に入れるために、何でもできる生き物なのよ。今度ゆっくり、スミコ様とお話しがしたいわ」

 微笑みながら、部屋の扉を開く母。

「仲直りは早くしないとこじれるわ。今日はゆっくり休んで、明日王城へお呼びしなさい。わたくしも同席するわ」


 閉まる扉。

 ベッドに近づき、ヴィアラッテアを探す。

「ヴィアラッテア、びっくりだったよ」

[良かったですね。ご主人様。ご理解頂けるご両親で]

「そうだね」

 神託の事とか、オヤジの事とか、考える事はいっぱいあるけど、今日は寝よう。


 明日は忙しくなりそうだ!

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