第2話

 俺は今、ベッドの上で頭を抱えてうずくまり、前世の記憶を引き出そうと必死だ。


(まさかの乙女ゲーム)


 なんだっけ……確か攻略対象が5人いるって言ってた。それで、その攻略対象の一人が、アダルベルト・フォルトゥーナ・ミケーレ。つまり俺。

 他は教師と枢機卿の息子と宰相の息子と、悪役令嬢の義弟。つまり今現在の男爵令嬢の取り巻きという事か。


 正直言うと詳しく知らない。前世の俺の彼女がハマってた。だから少しは知っている。


 俺がさっきまで思い続けてた男爵令嬢の名を思い出す。確か、ラウラ……ラウラ・アイマーロ男爵令嬢。ピンクゴールドのふわふわした髪、黄緑色の大きな目。小柄な体でくるくる動く。この身分至上主義の世界で、それを飛び越えて会話してくる。ボディタッチも多い。


 さっきまでは、その姿をかわいいと思っていた。彼女の望む事はなんでも叶えたい、与えたい、その瞳に映るだけで満足だと……。

 だから、彼女の周りに男が集まっても、なんとも思っていなかった。それが当然だと思っていた。彼女の様な素晴らしい女性には、それが当然だと!

 おかしな話だ。まるで変な魔法に掛けられていたようだ。頭の中を塗り潰される様な、嫌な感覚。


 現在の状況を分析すると、逆ハーレムーエンド。全ての男が恋人という状況だ。

 前世の彼女が言ってた。『全クリした後にできるんだよー』って、笑ってた。点滴に繋がれた細い体で。


 前世の彼女、矢の下麗は病気のせいで、一年中病室にいた。趣味はゲームと読書。今思うと、それしかできなかったんだろうな。


 彼女とはオカンが働いていた病院で出会った。小学生の時、俺が入院した際に同室になった。少し鼻にかかった声で笑うのがかわいくて、退院してからも、学校が終わった後にお見舞と称して遊びに通った。


 中学生の時に告白して、付き合い始めた。

 普通の恋愛と違うから、オカンもオヤジも良い顔はしなかったけど、応援してくれた。

 デートは彼女の病室。彼女がゲームや本の内容を話すのを、いつも聞いてた。

 その中の一つ。『愛する貴方と見る黄昏』そうだ。そんなタイトルだった。


 内容は、幼い頃に両親を亡くし、修道院で働く主人公のもとに、祖父母を名乗る男爵夫妻がやってくる。主人公は男爵令嬢となり、王国の貴族が学ぶ『フォルトゥーナ学園』に通い、攻略対象と会う。

『王子がめっちゃカッコいいの』と笑ってたっけ。


 俺が死んだのが親との高校の卒業旅行。大学に進むために家を出る事になり、その記念に家族で旅行に出かけた。そして事故に合った。


(あいつ、泣いただろうな)


 お土産頼まれてたのに、買ってあげられなかった。帰ってあげられなかった。あいつの病気を治そうと、医者になろうと思って、頑張って勉強して医学部に受かったのに。


 記憶が戻った時は、勝ち組だなんだと明るく考えたけど、こうして改めて思い出すと、あいつのいない人生なんて意味ないな。

 

 ああ、だからラウラ男爵令嬢への愛が無くなったんだ。前世を思い出して、彼女を思い出して、愛する気持ちを取り戻して、そして失った。


 あいつのいない世界なんて意味ないけど、それでもこの世界はゲームの世界じゃない。それは分かる。だから、一人息子で王族である俺は結婚しなきゃいけない。


(麗じゃなきゃ誰でも良い)


 けれど、ラウラ男爵令嬢はダメだ。逆ハー作ってるって言うのもムカつくけど、それだけじゃない。王族として貴族として、特権階級に生きてる人間には義務がある。彼女ではそれを満たすことはできない。

 もちろん前世での記憶がある俺には、人に上下はない事は分かってる。この世界に徐々にその考えが浸透するかどうか、先の事は分からない。

 でも今はダメだ。まだ早い。世界の秩序が乱れてしまう。


 前世の世界を金が支配しているとしたら、今世は魔力が物を言う世界だ。貴族や王族がその魔力で民を守り、恩恵を与える。その為の特権階級だ。

 

 今思うと、言葉使い、礼儀、教養、どれをとっても良いところがない。あるのは愛嬌だけだ。それだって、通じるのは今だけだ。

 

 王子妃教育を受けたエヴァンジェリーナ・サヴィーニ公爵令嬢。彼女は当たり前のことを俺とラウラ男爵令嬢に言っていた。

『未婚の女性が、男性に抱き付いてはいけません』

『婚約者がいる男性と二人きりになってはいけません』

『身分が下の者が上の者に、直接話しかけてはいけません』

『廊下を走ってはいけません』


 ん?最期のは違うか口うるさくてオカンみたいだ。


 彼女となら良い夫婦になれるだろう。


 先触れの手紙を書こう。そして明日会いに行こう。

 これまでの謝罪と、これからの事を相談するために。



◇◇◇◇◇◇




 翌日、先触れの手紙の返事が届き、俺はサヴィーニ公爵家に来た。

 サヴィーニ公爵邸の屋敷の前で、馬車から降りた俺を、エヴァンジェリーナ嬢と屋敷の者が出迎える。


 美しいカーテシーだ。その素晴らしさに、しばし見惚れる。

「ようこそおいで下さいました。アダルベルト・フォルトゥーナ・ミケーレ王太子様。サヴィーニ公爵家一堂歓迎申しあげます」

 そう言って、顔を上げるエヴァンジェリーナ嬢はヤバいくらい美人だ!


 光に煌めく濃い赤茶色の髪に、アメシストの様な紫の瞳。少しキツめな切長な目に、長いまつ毛が影を落とす。スタイルは……ヤバい。出るとこ出て、引っ込むとこ引っ込んで。


 え?意味分かんないだけど!なんで俺はエヴァンジェリーナ嬢を捨てて、ラウラ男爵令嬢を選ぼうとしてたの?バカなの?記憶が戻る前の俺はバカなの?大バカなの??


 エヴァンジェリーナ嬢に案内された場所は応接室だった。豪奢なソファが、一枚板のテーブルの両脇に並ぶ。大きな窓ガラスからは、計算された様に日の光が差し込む。壁には美しい女性の絵。


 絶世の美女と名高いエヴァンジェリーナ嬢の母親の絵だ。俺の母と人気を二分したと聞いている。そしてエヴァンジェリーナ嬢は、自身の母親にそっくりだとも。


 俺とエヴァンジェリーナ嬢が、対面のソファにそれぞれ腰掛けると、執事とメイドが後ろに立ち並ぶ。例え婚約者と言えど、未婚の男女。二人きりになる訳には行かない。


 それは分かるけど、今日は謝罪に来た訳だから、ちょっと気不味い。まぁ、公爵家筆頭のサヴィーニ公爵家に仕えてる者達だから、守秘義務とかは完璧だと思うけど。


 メイドが入れてくれた紅茶を飲む。


(さぁ、いつ切り出すか……)


「昨日は落馬されたそうですが、体調はいかがですか?」

 カップを持つ指すらも美しい、エヴァンジェリーナ嬢が伏し目がちに話題を切り出してきた。油断ならない相手だ。城内での事が漏れている。


「恥ずかしい事です。ですが、問題ありませんよ」

 余裕を持って笑って見せる。情報が漏れて焦っているところを悟らせてはいけない。


「珍しいですわね。アダルベルト様が落馬とは……」

 赤い薔薇の様に美しく笑うエヴァンジェリーナ嬢は、薔薇と同じで棘だらけのようだ。扱いには注意しないと。


 そう言えば彼女の家に来るのは何年振りだろう。そもそもこうして向かい合ったのは何ヶ月振りなのか。自分の記憶の曖昧さに恐怖を覚える。

 そんな疑問を感じていたが故に、つい油断し迂闊に言葉を発してしまう。


「そうですね。他に気を取られていたようで……」

「アダルベルト様は最近、新しい花に魅入られていらっしゃるから」

 心得たとばかりに攻撃してきた。刺では済まない。鋭いナイフのようだ。


「新しい花とはなんの事でしょう。今も昔も、私は一つの花にしか興味がありませんよ」

 負けない様に余裕のある笑みを作る。

 エヴァンジェリーナ嬢は、更に余裕のある笑みを浮かべながら、自身の唇の様に赤い扇子で口元を隠す。


「まぁ、御冗談を。野に咲く桃色の花は美しいのでしょう?温室育ちの花よりも逞しいでしょうから」

「次期国王として、国に咲く全ての花に心を配るつもりではおります。ですが、やはり心奪われるのは、艶やかな赤い花ですよ」

「ふふ、心にもない事を……」


 言葉の攻防を繰り返す。だが、後ろめたい分、明らかにこちらの方が分が悪い。そして非のない彼女は、自信満々だ。

 今必要な事は戦略の修正。負けを認めつつ、譲歩案を出すこと。


「今回の私の失態には、失望された事でしょう。エヴァンジェリーナ嬢に失望されたと聞けば、愛馬のラッキーにも愛想をつかされるかも知れないですね」


 視線を落とし、落ち込んだ姿を見せる。次にエヴァンジェリーナ嬢を真っ直ぐ見据える。必要なことは、自分に自信を持つこと、自分がまだ彼女の婚約者であるということ、つまり先方に婚約解消の意思はないということ。


「宜しければ、久しぶりにラッキーと私とピクニックに出かけませんか?ラッキーもエヴァンジェリーナ嬢に会いたがっています。今は春で花々も美しく咲いています。以前よく行っていた高原にでも、久しぶりにいかがでしょうか?学生生活も終わった今、私達は今後のことを話し合うべきだと思うのです」


 そして、反省の色を見せながら寂しげに笑ってみせる。ありていに言ってしまえば、反省したから許してください!チャンス下さい!!って言ってるような物だ。


 エヴァンジェリーナ嬢は戸惑いがちに、その細い指を口元へ運ぶ。目線は足元。迷いが出てきた……様に見える。

 作戦成功か?


「そうですか……。わたくしもラッシーちゃんには会いたいですが」

「ラッシーではなく、ラッキーですが……」

「あ……失礼しました。ラッキーちゃん」


(ラッシー)

 その単語に引っかかりを感じ、前世の記憶が浮き上がる。


 ラッキーは俺が誕生日プレゼントに強請って我が家に来た犬だ。確かラッキーの名前を付ける際に、親子で揉めたのを覚えている。俺への誕生日プレゼントだったから、結局は俺の名前が採用されたけど、オカンは自分の付けたい名前がラッキーに似ていたから、いつも間違えて呼んでいた。確かその名前が……。


「実は今度、犬を飼おうと思うのです」

「唐突ですわね」

 突然話をかえられたエヴァンジェリーナ嬢が隠さずに不満気な顔する。

 確かに唐突だ。でも、聞いて欲しい。


「茶色い大型犬で、性別はオスです。賢くて甘えん坊で、食いしん坊です」

「……それは、ついついオヤツをあげてしまいそうですわね。ヨーグルトが好きそうですわ」


 扇子を閉じ、俺を見つめるエヴァンジェリーナ嬢の表情が先ほどまでとは違う。困惑は、していない。むしろ前のめりだ。


「名前を悩んでいましてね。そう、候補が2つあります」

「まぁ、ぜひお聞かせ願いたいわ」

「一つはラッシー。そしてもう一つは、ごん太です」



「「…………………………」」


 訪れる沈黙。


 それを打ち破るエヴァンジェリーナ嬢の扇子の音。


 心得たとばかりにメイドと執事が部屋を出る。


「扉を閉めて」

「お嬢様、そう言う訳にはいきません。いくら婚約者同士とはいえ、未婚の男女です」

 髪を横に束ねた白髪の執事が、扉の前で憤る。彼とは子供の頃からの付き合いだ。確か、名はセバスティアーノ。


「セバス?わたくしの指示が聞けないの?わたくしと殿下は幼い頃からの婚約者よ。今更、ふらちな真似などする必要がないわ」

「しかし!!」


「お父様には、わたくしから申し上げるわ。それにわたくし達がそう言う関係になる事はあり得ないわ。サヴィーニ公爵家に誓って」


「セバスティアーノ。私も王家の名に誓おう。決して不埒な真似などしない事を。だから、すまないが二人きりにして欲しい」


 俺もエヴァンジェリーナ嬢を援護する。これから先の話を聞かれるわけにはいかない。

 

(それに正体が分かった今なら誓える!ない!エヴァンジェリーナ嬢だけはない!!)


「かしこまりました」

 ため息混じりに、執事のセバスティアーノは扉を閉めた。だが、扉の前に気配は感じる。

 エヴァンジェリーナ嬢が防音の魔法を発動する。起動から完成まで滑らかに作動する。これで外部に音が漏れる事はない。


「で?咲夜、あんたいつ思い出したの?」

 吹っ切れた様に腕を組み、脚を組んで思いっきり踏ん反り返るエヴァンジェリーナ嬢。


 さっきまでの上品な姿はどこいった⁉︎っと、突っ込みたいのを我慢する。逆らったら負けだ。

「昨日……落馬した時に」

「そう、あんたって子は本当にいつもいつも、のんびりしてるわね」


 盛大にため息をつき、額に手をあてる。

 目の前にいるのは絶世の美女なのに、いや、さっきまでは間違いなくそう見えてたのに、今ではそう見えない。


 今の俺の目に映るのは、三角燈子。享年50歳。

 俺、三角咲夜の母親。

 事故で一緒に死んだオカンが、なぜか絶世の美女になって、目の前で足組みしてる。

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