episode10

 試験が終わったことに喜びを噛み締める秋山、の隣でしかばねのように机に突っ伏したまま動かない俺。

 倦怠感けんたいかんに全身を襲う筋肉痛、挙句、昨日の柊とのことや堺との思わぬ遭遇そうぐう。もう試験どころではなかった。できるわけないだろ、と叫びたくなる。

 そんな俺に、「祐一、大丈夫かぁ?」と心配しているとは思えないような、明るい声で秋山が聞いてきた。試験が終わって笑いが止まらないといった感じだ。

 試験についてなのか、体調のことについて聞いているのか分からないが、どっちにしても答えは同じなので首を振っておく。今の俺の姿を見れば一目瞭然いちもくりょうぜんだろうに。

「アカンか」

 俺は顔を秋山の方に向け、「アカンな」と溜め息をついた。秋山はニヤリと笑い、「ま、お前が教室に入ってきたときから分かってたけどな」と言って俺の腕をつついた。

「痛い、痛い」

 分かっていたなら聞くな、と言おうとした時、「堺さんが、いい走りっぷりだったって褒めてたぞ」と秋山が言った。

「え?!」

 俺は慌てて起き上がった、つもりだが痛みですぐさま机に突っ伏した。

 秋山はそんな俺の様子を見て、「照れるなよ。そりゃ、正面玄関から校舎まで全力疾走すりゃ筋肉痛にもなるわな。焦って走るお前の姿、俺も見たかったな」とからかように言った。

「あ、そっちか」

 昨日のことを堺から聞いたのかと思った。そんなわけないか。ホッとする俺に、「あん?」と秋山がキョトンとした。

「いや、お前や堺さんの好意を裏切るわけにはいかなかったからな」

 そう言いながら俺はそっと上体を起こし、ゆっくりと息をつく。

 秋山はうんうんとうなずき、「そうだぞ。あの時、ちょうど堺さんがそばにいたから事なきを得たんだからな。ちゃんと礼言っとけよ」と俺の背中を人差し指でトントンとつついた。

「あ、ああ」

「そん時、堺さんと話してたんだ。今夜、ジンの部屋でみんなで飲もうって。お前も来るだろ?」

「今夜?」

「なんだよ、前にみんなで話してただろ?試験終わったら飲もうって」

「そ、うだけど」

 ぎこちない返事をする俺に、「なんか用事でもあるのか?」と秋山が聞いてきた。俺は返答にきゅうする。

 確かに、みんなで飲むのを楽しみにしていたが、昨日のこともあり堺とどう接していいのか分からない。それに堺と一緒にいたあの学生のことを考えると、どうしても彼と顔を合わせる気になれなかった。

 俺は悩んだ末に体調が悪いからと言って断った。

「悪いな」

「いいさ。また、寝込まれても困るしな。酒はいつでも飲めるし、早く治せよ。治ったら、柊さんたちとも飲もうな」

「……サンキュ」

 いつでも、か。

 柊といつでも飲むことができる秋山がうらやましい。なにも知らず無邪気に笑う秋山が、この時ばかりは妬ましく思った。


 色々な意味で重い足取りの中、月宮館に帰るとエントランスに堺が立っていた。驚いて足を止める俺に「やぁ」と堺は片手を上げると、いつもの親しみのある笑顔を浮かべた。

「堺、さん」

「ドライブの誘いにきたんだ。アパートまでの短い距離だけど」

「あの……」

「君が、そっち系だとは思わなかったよ。アッキたちには秘密にしとくから俺のことも秘密な」

 堺は人差し指を唇に当てながら言った。

 言っている意味がよく分からない。堺のことを秘密にするのは理解できるが。

 戸惑う俺に「ん? あれ、違うの?」と堺が首をかしげる。

「なにがですか?」

 違うもなにも、そもそもなにが違うのかが分からないのだから、答えようがない。

 堺に尋ね返すと彼は顎をさすりながら「だよなぁ。そんな風にはみえないもんなぁ」と独り言のように呟いた。

「堺さん?」

 ひとりで納得されても困る。やはり伊集院に似ている、と今回もひとり置いてけぼりをくらっている俺に堺は「ここじゃなんだからドライブしよう」とデニムのポケットから車のキーを取り出し、俺に見せるようにユラユラと揺らした。

「襲ったりしないから安心して」

 堺が俺の手首を掴んだ。

「車、向こうに止めてあるんだ」

「ちょっ、堺さ、わっ」

 堺に強引に手を引っ張られ、筋肉痛で思うように動かない足を、あろうことか自分の足に引っかけた。俺は体勢を崩し、思わず堺の腕にしがみついた。

「悪い、強く引っ張りすぎたか?」

「いえ」

 俺は堺の腕から離れ、フラリとよろけながら体勢を戻す。

「もしかして、筋肉痛か?」

 堺が俺の太ももをつついた。

「もしかしなくても筋肉痛です。秋山にも同じことされましたよ。同じ屋根の下で暮らしてると似ちゃうんですかね」

 筋肉痛の痛みのせいか、先輩であることも昨日の恩も忘れて皮肉を込めて言うと、「ということは、今夜、三澤はジンや滝川にも同じことをされるってことか。見物みものだな」と堺は楽しげに笑った。

 俺は返答にきゅうした。

 どうやら今夜の誘いを断ったことを、堺はまだ知らないようだ。でも、彼に不愉快な思いをさせないように伝えるにはどうすればいいのか。頭をフル回転させて考えていると、「あ、この子借りますよ」と軽快な口調で堺が言った。

 なんのことだ、と振り返ると、すぐうしろに柊が立っていた。いつからそこにいたのか、鞄を手に柊は無表情で俺たちをじっと見ている。

「あ……」

「行こう、三澤」

 堺はお構いなしに俺の手首を再び掴むと歩き出した。

 わけが分からず堺を見ると、見たことのない厳しい表情をしている。振り返ると柊の姿はもうなかった。状況が理解できない。何故、堺は柊に声をかけたんだ? なんとも言えない不安が胸をよぎる。

 さっきよりもゆっくり歩いてくれている堺の横顔を俺は一瞥いちべつし、車までお互い無言のまま歩いた。

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