二章 触れる唇

episode1

「いらっしゃい」

 リビングに入ると、にこやかな笑顔の柊に迎えられた。いつもの曲者笑顔だ。

「あ、ども……」

 柊の顔を、まともに見ることができないでいる俺に「どうぞ、座って」と彼は、自分の真正面の席を勧めてきた。さすがに真正面に座る勇気はなく、躊躇ためらっていると、伊集院が「あー、腹減った」と言いながらスッとその席に座った。

 そんな伊集院に対して、柊は気分を害した様子もなく、「自分で好きなように巻いて食べてくれ」とテーブルに置かれた様々な具材に手を差し向けた。

 俺はホッとして秋山の前の席に座る。

 テーブルの上には、そんなものまで? というような罰ゲーム的な具材も置かれていた。用意したのは秋山だろう。俺の前に、それらが集中して置かれているからだ。初めから俺の席は決まっていたのかもしれない。やはり柊は意地が悪い。

「じゃあ、食べようか」

 秋山が手元の缶ビールを手に取った。

「あんまり飲み過ぎんなよ」

 秋山は「分かってるよ」と美味そうにビールを飲み干した。ほんとに分かってるのか、と呆れていると、「三澤くんも手巻寿司どうぞ」と柊がお茶を手渡してきた。

「あ、はい。いただきます」

 声をかけられる度に、おどおどしてしまう。向かいに秋山、隣に伊集院がいてくれるお蔭で、なんとか話すことができる状態だった。

「体調は大丈夫?」

 意地悪げな表情の柊。

「ええ」

 俺は、柊を見ることなく答えた。

 嫌な奴。分かっていて聞いてくるなんて。不愉快に思っていると、「祐一、スペシャル手巻寿司だ」とさっきまで得体えたいの知れない具材をご飯の上に乗せていた秋山が、その寿司を俺の皿の上に置いた。

「お前、これ」

 皿の上に置かれた、やけに太い手巻寿司。つまんでみるとずっしりと重たい。

「美味いぞ、きっと」

「今、小さく『きっと』って言ったよな。それに見てたんだからな。お前が、佃煮つくだにとセロリとケチャップとマグロ入れてたのを」

 秋山が顔を赤くしながら、「そんなん入れたっけ?」としらを切る。

 皿ごと秋山に突き返すと、「まぁ、食べてみそ。俺の愛情たっぷり秋山スペシャルだ」と皿を押し返してきた。

「お前は、酒が入ると質が悪くなるな」

「えへ、それほどでも」

 秋山が照れ臭そうに頭をかいた。

「褒めてないよ」

「まぁまぁまぁまぁ、食え」

「お前が食え」

 俺たちの攻防戦を「君たち面白いね。若いっていいなぁ」と伊集院が楽しげに見ている。

「伊集院さん、面白がらないで下さいよ。コレ、食べます?」

「はは、遠慮しとくよ。秋山くんに悪いし」

 伊集院ににべもなく断られ、皿の上の寿司とは言い難いものを眺める俺に、「食べてあげようか?」と柊が横から声をかけてきた。

「え、でもこれ……」

 戸惑とまどう俺を尻目しりめに、柊は皿から寿司を手に取るとひと口食べた。

「あ……」

「――うん、想像していたよりもイケるよ」

 秋山は「柊さんは優しいなぁ」と隣の柊の腕をバシバシと叩いた。気持ちよさそうに上体じょうたいをふらつかせている秋山。なんだか、いつもより酔いが回るのが早い気がする。気のせいだろうか。嫌な予感しかしない。

「おやまぁ、優しいね」 

 伊集院が頬杖をつきながら苦笑くしょうする。

「知らなかったのか? 俺は優しい人間なんだよ」

「よく言うよ」

 そのまま二人は互いの近況報告をし始めた。それを聞くともなしに聞きながら、俺は自作の手巻寿司を頬張ほおばった。久し振りに食べた手巻寿司は普通に美味かった。

 手巻寿司なんて何年ぶりだろう。子供のころはよく食べていたな、と懐かしく思っていると、「おや、秋山くん寝ちゃったね」と隣の伊集院がうたた寝している秋山を見ながら目を細めた。

 気づかないフリをしていたが、やはり寝ていたか。分かっていたけどね、こうなることは。

「ソファに移しておくか」

 柊は立ち上がると、軽々と抱え上げた秋山の身体をソファに寝かせた。前にも見たことのある光景。俺はそれをぼんやりと見つめていた。

 伊集院は頬杖をつきながら、「可愛いね、ビール二缶で眠っちゃうなんて」と肩を揺らして笑う。

「お前とは大違いだな」

 柊が笑うと、「お前ともな」と伊集院が言い返した。

 二人のかけ合いを見ながら、柊もこんな風に笑うんだと思った。そして、さっき部屋で聞いた伊集院の話を思い出す。

 秋山や伊集院に対してのものと、俺への対応の違い。胸が苦しくなり、俺は顔をゆがめる。

 柊にとって、俺は前に見た女性たちと同じなのだろうか――

「三澤くん」

 伊集院が驚いたように声をかけてきた。

「あ……」

 そこで初めて、自分が泣いていることに気付いた。俺は慌てて涙をぬぐう。

「大丈夫か?」

 柊も驚いた様子で俺を見ている。

「す、みません。俺、帰ります」

 俺は急いで立ち上がり、柊の家を飛び出した。

 泣いてしまうなんて。混乱しながら俺は家に駆け込み、玄関のドアを背に座り込んだ。

 ――やっぱり関わるんじゃなかった。こんな思いをするくらいなら……関わりたくなかった。

 俺は膝を抱え、声を押し殺しながら泣いた。

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