起動するは闘志(2)

           §


 春華は思考を切り替える。待機状態から戦闘配備へ。そして真っ先に通信を飛ばす先は、

『作戦本部、矢引少佐。状況提示を求めます』

 だが、応答はなかった。

 通信不良などは基地内部であればあり得ない。ならば原因は自分、ガラティアンが収容されているこの設備だ。

『ここは……』

『ここは戦化粧の装備設備よ。見てもらえばわかっちゃうけど』

 羽音がモニター越しに応じる。それを捉えているカメラは羽音よりもやや上に在り、コンソール台に隠れていない腰から上の姿を映している。彼女は少しだけ顔を上げてまっすぐにこちらに目線を向けていた。カメラの撮影角度ゆえに手元にある筈のコンソール台までは映っていない。

 まだ動かせないガラティアンの頭部に変わって、意識に接続された視覚デバイスから入力される視界を集中して精査する。

 いつも通りハンガーに固定され直立状態であろう機体、その周囲を囲むように細いマニピュレータが数本、部屋の上下から延び、一見動いているようには見えない、単分子レベルの物質射出動作を行っていた。

 ガラティアンの特異質セラミック装甲の弱点である化学、熱エネルギー兵器対策である表皮装備、『戦化粧』の塗抹作業である。

 この作業は超高精度の真空空間を必須とする為、整備施設の中でも特別な扱いであり、電磁場の影響を与えないために無線類も厳禁である。ガラティアンの出力装置は音声デバイスすら封じられ、自分の声はモニターの向こうにある部屋のスピーカーから聞こえていた。

『少佐とは通話不能か。であれば、遺憾ながら貴様に聞かざる負えん様だ、矢引羽音』

『あら、左竹中尉でなくていいの?』

『あの人は今、戦闘装備格納庫で仕事中の筈だ。そもそも、左竹中尉の身が空いているのであれば、貴様を一人で戦化粧装備という重要作業に携わせる訳が無い』

『まあ、ひどい。わたし、こんなに春華ちゃんのことを大事に思っているのに』

 愛らしい女の子は監視室にあるコンソール台に手を置き、うるんだ瞳の上目遣いをモニター越しに寄こしてくる。だが、こいつの中身せいしつが異常であることは先のパイロット保安正調作業時の事件で知っている。

 この亜麻色の髪の少女にほだされることなかれ。その本性は、大切だと決めた人間の為であれば、塹壕基地どころか残存日本そのものを崩壊させてもよいなどと一切の躊躇いなく定めるような異端者である。なので、純真無垢な少女らしい仕草をみても本質とのギャップに気味が悪くなるだけだ。

 その証拠に、こいつが先ほど言った『こんなに』という部分の具体的行動は、保護カバーに覆われた真っ赤なスイッチの上に指を添える事である。省デバイス化で均一性が進む操作盤でも、本当に重要な物は物理ボタンで実装されている。その位置はだいたい同じだ。手元が見えなくても分かる。

 緊急停止スイッチ。押されればガラティアンが今日中にこの設備から出ることは叶わなくなるであろう。自分の命に一切の危険はなくなるが、変わりに大勢の仲間の命が失われるかもしれない。

 そういう選択をする奴だ。

 だが、今はその仕草がただの悪ふざけであると分かっている。なぜならば、

『あの時、貴様は言ったはずだ。私が燃え尽きるその日まで、私を支える力になると。あの言葉は嘘ではない。今も覆っていない。そのスイッチは押さない』

『どうして言い切れるの?あなた、一か月も休眠していたのよ』

『貴様があの決意を翻意にしたならば、私の意識を覚醒させる事なくそのスイッチは押されていたはずだ。そうだろう』

 だから、こいつがスイッチを押すことはない。本人はちょっとした茶目っ気のつもりだろう。ただ、戦闘態勢中にやっていいことではないので後ほどしかるべき処置をさせてもらうが。それよりも、

『そもそもなぜ貴様が機体装備関連の作業に従事している』

『よく聞いてくれたわ!』

 道できれいな花を見つけたように笑顔を広げて、首から下がるストラップをカメラに近づけてみせてくる。

 "ガラティアン特別整備員:矢引羽音特務少尉"

 そう書かれていた。

『わたし、約束通りガラティアンの整備員になったのよ』

『……は?』

 たしかに薄れゆく意識でそんなことを言っていた気はする。自分もそれに応じたたこともぼんやり覚えている。

 だが、ガラティアン整備員は、戦闘用の装備関連であれば特別な審査も無く従事できるが、機体本体を整備するには莫大な知識と高度な技術、そして熟練のノウハウが必要である。

(それを一か月で?どこまで異質なんだこいつは。いや、そんなことよりも)

 そう、知識とか技術とかそんな事より重大な事実は、

『貴様、矢引少佐の審査を合格したのか……?』

 そちらの方が驚愕するべきことである。

『はぁ……おめでとうより先にお兄ちゃん……少佐のことなのね』

 ストラップを引き戻し、打って変わって落胆した表情をみせて、ふいっと横を向いてしまう。

 思考は同質でも価値観が真逆のこの兄弟の関係が良好か否かなど、聞かなくても分かり切っている。矢引少佐は妹を塹壕基地の奥底に落として世間から隔離し、その異質さが世界に影響を与えることが無いようにしていた。羽音は、自分の信念の邪魔を真っ先にするのは兄だと言って、当然に始末すると言った。自分の説得によって新たな決意を定めた今もその心構えはおそらく変わっていない。

 端的に言って、殺し合いになる中だ。そこに何の憎しみすらなく、ただそれが必要だというだけで。兄の内心は計ることは出来ないが、妹の方は一切の迷い無く。

 その妹が、兄から役職の合格をもらうなどとは思えない。その思考へ答えとなる声が届く。

『残存日本とそれを守る我が軍は慢性的に人材資源が不足している』

 カメラに対し横向きの姿勢のまま手を後ろに組み、顔だけを向けてフラットな眉と

 冷静な目で羽音が言う。

『使えるものは何でも使う。それが塹壕基地における暗黙の規律であり制約でもある。そこに個人の恣意が入り込むなんて存在しないわ。そして、その制約を受けながらも死力を尽くして創意工夫し、必要な場所へ必要な人材を配置することがお兄ちゃんの最大の得意ごとであり、自身に架した役割』

 体を回して再び正面から向き合う。乱れていた髪を後ろに手で梳き流しながら、

『春華ちゃんが知っている矢引少佐は、個人的な事情で優秀な人材を切り捨てる無能かしら?』

『……いいや、違う』

『なら、ことは単純よ。矢引少佐は最高難易度の審査をわたしに課して、わたしは特別整備員として相応しい能力を提示し、合格した』

 それだけのことよ、と言い、羽音はまた笑った。そこに嘘は見えず、

『……疑ったことを謝罪しよう。これからよろしく頼む、同僚』

『もちろんですとも。これからあなたが在る限り、ずーっと一緒よ』

 一人の仲間として受け入れた。

 しかしその時、変わらぬ少女の可憐な笑顔に、子供がばれていないに悪戯を面白がっているような無邪気で無遠慮な気配がまざり、頷きが生んだ陰りと合わせて、妖艶な空気が一瞬漂った気がした。しかし、羽音が引いた顎を戻して再びカメラへ向いたときにはもうただの笑みしか残されてはいなかった。

 気になる物を見た気がするが、こいつがここに居る理由、私を覚醒させる役割を任された理由は理解した。

では、肝心のこと、

『現在の状況を聞かせてくれ』

 その戦場のどこに自分が立つべきなのかを知るために問うた。羽音が頷き手元のコンソールを動かそうとした時だ。

 断続的で、大きくないのに耳に入って来るノイズが響いた。それは羽音の白衣の下からきこえる。羽音が右手で白衣をめくったところには、腰からベルトで吊り下げられた、ごつごつとした不格好な通信機があった。

 羽音が無表情に、その華奢な手にはそぐわない大きな通信機を両手でもって、ボタンを押す。

『何をしている、矢引羽音特務少尉』

 大音ではないのに、聞く者の意識を粛然とさせる男の声が聞こえた。

 矢引真音少佐だ。

『明日春華特務軍曹は覚醒しているはずだな。命じられた作業を終えたら速やかに連絡をしろ。チェック機構に掛らない懸念事項を発見したならば直ちに報告だ』

 怒っているようには聞こえない。だが、肩が重くなるような響きがする。それを聞いて羽音は色の無い平坦な声で返す。

『申し訳ありません少佐。明日特務軍曹の覚醒作業、問題なく完了しました。明日特務軍曹は現在、少佐に現状の説明を求めていらっしゃいますが、いかがなさいますか』

『今のガラティアンに情報同期は出来んな。口頭で略式の状況を伝える。特務少尉、貴様は説明に合わせてそこのコンソールを使い作図しろ』

 羽音が通信機をコンソール台に置き、再びコンソールの操作を始める。

『聞こえているな、明日特務軍曹』

『はい、はっきりと』

『現在、塹壕基地は敵部隊の攻勢を受けている』

『部隊?軍団ではなく?』

『そうだ。管制施設車を中核とした機甲大隊が10個部隊、こちらに侵攻している』

 少なすぎる。とてもではないが塹壕基地を落とせる布陣とは思えない。迎撃は基地の固定砲で十分だ。攻撃部隊の出る幕も無い。

『そして、我が方の対応だが――』

 ようやく自分の出番が来たか。

『一個戦車中隊が撃破され、複数の味方が敵最前面に取り残されている』

『……は?』

『これらの回収は困難と判断。総合的判断により、我が軍は防御戦術を実施。ガラティアンは戦化粧装備後、基地内部で待機とする』


 ――――は?


           §

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