第32話「妹族妹科妹類の取り扱い方(2)」
璃亜はさっきまでのだらけ具合が嘘のように、真面目に勉学へ取り組んでいた。
背筋を伸ばし、可愛らしい丸文字でノートに数式を書き込んでいく。
分からないところは教科書で調べ、それでも分からない時は俺に声をかける。
こいつ、本当は勉強できるんじゃないのか?
俺に条件を飲ませるためにわざと勉強が嫌いなふりをしたんじゃないのか?
そう疑ってしまうほどには勤勉である。
璃亜の要求はこうだ――。
「では、私が勉強をがんばったら、蓮くんはめちゃくちゃ私を甘やかしてください」
「甘やかす?」
「はい! 具体的にはハグしてよしよししてください! なんならその後添い寝してくれて、キスなんかもしてくれてその先もどこまでも蓮くんならオーケーですのでとにかく甘やかしてください。溶けちゃうくらい、でろでろに!」
「どこまでもはいけないけども……まあ、ハグとよしよしくらいなら別にいいぞ」
「本当ですか! やりましたね。ふっふっふ、これがドアインザフェイスってやつです。この前トゥイッターでみました」
「そっかぁ、うんうん。璃亜も賢くなってるんだなあ」
「なんですか。その温かい目!?」
「いや、なんか兄妹っぽいなあって思ったりして」
今日の璃亜は妹としてかわいいと思える。
健全。なんか平和でいいなって、そんな感じ。
ということで、璃亜が勉強を頑張った暁には、ハグとよしよしすることになった。
それくらいなら、普通の兄妹でもやっているだろうし、問題はないだろう。
俺にも璃亜を労わってあげたい気持ちはあるしな。兄だし。出汁。
「蓮くん、ここなんですけど……。どうしても計算が合わなくて」
「ああ、これはわかりづらいんだけど、使う公式が違うな」
「ああ、なるほどですね! ……すっごい、蓮くん本当に勉強できたんだ」
「おい、聞こえてるぞ」
俺ってそんなに勉強できなそうな感じあるか??
璃亜の表情は真剣そのもので、ちょっと茶化してやろうかなんていたずら心はすぐに消えてしまった。去年勉強した範囲は意外と覚えていて、俺にとってもいい復習になった。
もし、受験するなら勉強し直さなくてはならない範囲だ。
これからも璃亜に勉強を教えるのは、来たる受験のことを考えても悪くないかもしれない。
それから璃亜は、二時間ぶっ続けで勉強し続けた。
集中するまでは時間がかかるが、一度入り込んでしまえば集中が持続するタイプのようだ。
俺はすぐに集中モードに入れるが、その時間は短いので正直羨ましい。
「ふぁぁああああああ――っ!! 私がんばりましたよね! すっごい集中しましたよね!」
「ああ、すごいな。えらい、えらい」
「ふっへっへ~~~」
ご褒美のこと関係なく、ナチュラルに璃亜の頭を撫でてしまった。
璃亜は表情筋をだらしなく緩め、くすぐったそうに身をよじる。
これくらいで、ここまで喜んでくれると俺も悪い気はしない。
「んっ!」
璃亜はバッと両腕を広げる。
「ほら、蓮くん。約束、ですよ?」
上目遣いでこちらを覗き込んで、きっと努めて甘ったるい声を出している。
更に腕を広げる。ベッドに腰掛けて、招くように。
「あ、ああ」
ハグをして、頭をなでなでする。
そういう約束だった。
約束通り、璃亜はすごく勉強を頑張った。
「よく頑張ったな、偉いぞ」
璃亜に覆いかぶさるようにして、ぎゅっと優しく包容する。
璃亜は強く体を押し付けて、強く離さないようにと腕に力を籠める。
一生分の抱きしめを、というくらいに強く抱き着いてきた。
多分、俺の顔はりんごのように真っ赤に染まっていることだろう。
抱きしめているおかげで、璃亜にそれを見られていないのが幸いだった。
「はぁぅぁあ……っ。幸せです」
璃亜は俺の胸に顔を埋めるように体制を変えると、頬を擦り付ける。
まるでマーキングでもしてるみたいだ。
さっきは普通の兄妹でもこれくらいは……なんて思っていたが、本当にそうだろうか?
自信がなくなってきたぞ……。
どこの家でも兄妹とはこういうものなのだろうか。
それとも、やっぱり璃亜は特別……なんだろうなあ。
「うっへっへ。なんかあれですね、さっきの疲れが嘘みたいに吹き飛びます」
璃亜は腕の中から俺を見上げ、ふにゃあと笑う。
「まあ、そ、それならよかったよ」
俺は思わず顔を逸らして、その代わりにと璃亜の頭を優しく撫でる。
「蓮くん照れてるときすごくわかりやすいですよね」
「ぐぅ……そんなの璃亜だって」
「そうですよ? 璃亜はいつでも蓮くんにデレデレなのです」
「うっぐ……」
開き直った璃亜は最強だった。
妹だと思ったり、かわいい女の子だと思ったり、ちょっと大人だなって思うこともあったり、子供っぽいと思うこともあったり、璃亜はいろんな顔を持っている。俺に、いろんな顔を見せてくる。
総括して言えば、まあ、ドキドキしてしまう。
「妹族妹科妹類の璃亜ちゃんはお兄ちゃん成分が不足すると死んでしまうのです、よ?」
俺の胸に額を押し付ける璃亜の耳は赤く染まっており、きっと頬はそれ以上に真っ赤だ。言っていて自分で恥ずかしくなっただろう。
「そ、そういうもんか」
「はい。そういうものです」
こういう時、兄としてなんて返すのが正解なのだろう。
こういう時、どうしたらいいのかわからない。
わからないから、璃亜の頭を撫で続けるけど、多分これは正解じゃない。
「今までの分、たくさん取り戻したいんです」
約三年間、空白だった二人の時間。
未だ理由は分からず、璃亜が冷たかったころの話。
でも、今の璃亜を見てると、それも俺のためなんじゃないかとか思ってしまう。
自惚れているだろうか。
でも、俺も璃亜も不器用らしいから。
そんなことがあってもおかしくないように思うのだ。
「蓮くんもいつでも私に甘えていいんですよ? お兄ちゃんを甘やかすのも妹の役目の一つです」
「ま、まあ、気が向いたらな」
「私は蓮くんに幸せになってもらいたいんです。でも、そのためには現実的に必要なものがあるんですよね」
「璃亜?」
「大丈夫です。どうにかなります、私いい妹ですからっ」
言い聞かせるように、また、誓うように言った。
もう、璃亜の笑顔の真意とか、分かるのだ。
無理して笑っているときはわかるよ。
「変に俺に気を使うなよ。妹甘やかすのことお兄ちゃんの役目なんだから。お前は我儘でいいんだからな」
これは見返りなど求めない気持ちだ。
璃亜と話せるようになって嬉しいのだが、同時に俺のことなんて気にしないでくれていいとも思う。俺のことを嫌いでもいいと思うのだ。
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