第27話「憧憬を描く乙女の作法(2)・小町サイド」

 彼の名前は青柳蓮。

 美術ホールに飾られていた絵に書いてあったため、名前はすぐに分かった。


 彼とは、案外早くに再会することになる。


 なんと蓮くんは私と同じ中学校に通っていたのだ。

 それを知ったのは本当に偶然で、私が三年生の頃、廊下で彼の姿を見つけた。

 彼は東棟の廊下で、教科書を持って友人と談笑していた。


「あ…………なんで」


 嬉しいような恥ずかしいような気持だったのを覚えている。

 私がもっと絵が上手くなった時に話しかけに行くんだ、と意気込んでいた手前、こんな近くにいたのが分かってなんとも言えない気持ちになった。


 私の一方通行の想いだから、彼は私のことなんて知らないんだろうけど。


「おーい、小町? どうしたのさ。急に固まっちゃって」


 高校でも三年間同じクラスとなる親友の真紀ちゃん。

 急に立ち止まった私を心配して、目の前で手を振る。


「あれ……」


 ここが学校であることも、隣に真紀ちゃんがいることも忘れて、私は蓮くんを指さした。

 それだけ衝撃的だった。

 思わず呆けて彼を見つめてしまう。


「えっと……あー、なんだっけ彼。どっかで見たことあるな……。ああ! 終業式の時、なんか表彰されてなかった?? 絵も飾られてたよね! 学校に」


 この学校には美術部がない。

 きっと彼も私と同じように、絵の教室かどこかで描いているのだろう。

 当時の私はそう信じて疑っていなかった。


「おーい、小町? もしかして、気になるの? ほおほお、小町ってああいうタイプが好みだったんだねえ」


 にやにやと口元に手を当ててからかってくる真紀ちゃんを見て、やっと意識が引き戻される。

 妙に嬉しそうに肘でわき腹を突く真紀ちゃんに、私は顔を赤くして反論する。


「そ、そういうのじゃないよぅ!」


「本当かなあ? あ、小町も絵を描いてたもんね。なるほど、なるほど、そういう繋がりか」


「だから違うって言ってるじゃん! 本当にそういうのじゃないもん」


 彼は私のことなんて知らないだろうし、私が一方的に憧れているだけなのだ。

 挨拶をしたこともなければ、彼は私を視界にいれたことすらないのではなかろうか。


「でも、どちらにせよ、小町が男の子に興味を示すなんて珍しいよね」


「それは、そうかもだけど。本当に違うからね。まったく、蓮くんに失礼だよ」


「えぇえ、その反応も予想外だなぁ。彼は小町にとってどういう存在なのさ」


「うーん……私に熱をくれた人? かな」


 実は何度か話しかけようと思ったことがあったのだ。

 もっと私が上手くなってから、なんて意気込んだものだが、同じ中学校にいるというなら話は別だ。こんな近くに居て話しかけない方が逆に不自然と言うか、別に私の方が先輩だし? 変に畏まる必要もないし……なんて色々言ってるが、結局ただ話してみたかったのだ。


 自分の教室で友達とお弁当を食べる彼を、私は廊下から覗く。


「むむ……なかなかいいタイミングがない」


 他のクラスに、しかも後輩のクラスに入って行くのは勇気がいる。

 しかも、相手は自分のことを知らない。初対面の人に会いに行く。

 こう、いい具合に一人になって、廊下に出てきて向こうから話しかけて来たりしてくれないものだろうか。


「何やってんのよ、小町」


「真紀ちゃん!?」


 ふいに背中から声をかけられて思わず体をびくつかせる。


「ストーカーみたいだよ?」


「ち、ちち違うよぅ! 私はただ話しかけたいだけで、そのためには彼のことを知る必要もあるし……って、あれ? もしかして私ってストーカーなのかな?」


「気づいてなかったのか。ていうか、いいタイミングなんて一生訪れないから。さっさと話しかけに行けばいいのに」


「うぅ、でもね、でもね……嫌われちゃったらどうしよう」


 そんなことを一年くらい続けているうちに、私は中学校を卒業してしまった。

 でも、絵を描いてれば、またどこかで会うことがあるよね、なんてロマンチックなことを考えていて、それを疑わなかった。


 高校には美術部があったから迷わず入部した。


 彼から受け取った熱は、まだこの胸の中で静かに燃え続けている。

 瞳を閉じれば思い出せる。あの時の鮮烈を。

 だから、私は筆を振るう。

 何も疑わず、一心に。


 当時は気づかなかったけれど、それが許される環境だった時点で私はすごく恵まれていたのだ。


 二度目の奇跡。

 蓮くんは私と同じ舞花高校に入学してきた。


 一目見て彼だと分かった。

 胸が躍った。

 こんな運命があるなんて、まるで漫画見たいじゃないか。

 まるで、主人公みたいじゃないか。


 きっと彼は美術部に入部してくるのだろうと思っていた。


「んん、ようこそ美術部へ! 青柳蓮くん。え? どうして君を知ってるかって? ふっふ、君は君が思ってるより有名だよ? この美術部にも熱心なファンがいるしね」


「…………小町、何やってるの?」


「ひゃっ!? ま、真紀ちゃん!? 聞いてた……?」


 彼が美術部へ入部してきた時のシュミレーションをしていたら、思いっきり真紀ちゃんに聞かれていた。

 恥ずかしい……穴を掘って入りたい。


「聞いてない、聞いてない。別に小町が、ようこそ美術部へ! 青柳蓮くん。え? どう――」


「わー! わー! 復唱しないでよぅ。真紀ちゃんのいじわる」


 真紀ちゃん、すぐ私のことからかってくるんだから。

 そういうのよくないと思うな、まったく。


「ごめんごめん、でもよかったじゃん。これでやっと話すきっかけができるね」


「うん!」


 でも、そのきっかけはいつまで経ってもやってこなかった。

 蓮くんが美術部の門戸を叩くことはなかった。


「あれー…………おかしいな。なんか思ってたのと違うな」


 その後、彼について調べたら、もう絵を描いていないことがわかった。

 その過程で、彼の実父が事故で亡くなったことも聞いてしまった。


 それと絵を描かなくなったことにどう関係があるのかまでは分からなかったが、ただただ悲しかった。私にこれだけの火を灯しておいて、彼は簡単にこの場から去っていってしまうのか。


 これだけ私をやる気にさせておいて、当の蓮くんがこのまま退場なんて看過できるわけがない。


「絶対に連れ戻して見せるから」


 分かっている、こんなのはただの私の我儘だ。

 だから、別に蓮くんのためだなんて思ったことは一度もない。


 ただ、私がもう一度彼に絵を描いてほしいだけ。


 蓮くんと話して一つ分かったことがある。


 それは、彼が絵を描くことを嫌いになったわけではないということ。


「それなら容赦はいらないよね」


 二枚のチケットを握り、私はもう一度深く決意をするのだった。

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