第25話「兄のお風呂を覗く妹はふつうじゃないよね?(2)」

 バスチェアに座り、璃亜に背中を晒す。

 湯気で鏡が曇り、彼女の表情を見ることはできないが、さぞ腹立たしい笑みを浮かべていることだろう。


 後ろから、ボディタオルと石鹸が擦れる規則的な音が響いている。

 自分の身体がこわばるのを感じる。

 それは腹立たしさか、緊張か――と過って、思考に潜るのを止めた。


「蓮くん、一緒にお風呂なんて何年ぶりですかね」


「一回もねえよ。記憶を捏造するな」


「ありゃ、じゃあ、あれはもしかして私の妄想の話!?」


「それは知らねえけど俺に言わなくていいからな!?」


 本気か冗談か、おどけたように璃亜は笑う。


 今のブラコン全開の璃亜と、俺を拒絶していた頃の璃亜、どっちが本当の璃亜か。

 多分、今の璃亜が彼女の本来の姿なのだと思う。

 俺の願望が混じった希望的観測ではなく、客観的に考えてもそう思える。

 本当に俺のことが嫌いだったら、ここまでできるはずがない。


 じゃあ、なんで今まで俺は拒絶されていたのか、なぜ急に態度を変えたのか。

 まだ、はっきりとはわかっていない。


「おい、璃亜。俺らは兄妹だぞ。わかってんのか」


「はい、の兄妹ですね」


「義理だろうが、義理じゃなかろうが、兄妹は兄妹だ」


「そうですか? 私は結構違うと思いますけど。産まれた時から一緒にいるわけじゃないんですよ? 蓮くんがお兄ちゃんになったのは、私が十二歳の頃。お互い思春期真っ盛りですね」


「そんなの関係――」


「あります。そんな時期にいきなりお兄ちゃんですって言われて、一緒に住むことになったら…………ね、普通じゃないですよ。お兄ちゃんは私をただの妹としか見ていないですか?」


「……そ、そりゃそうだろ」


 璃亜が細い指をいたずらに俺の背中に這わせてくる。

 くすぐったくて思わず身をよじると、くすりと笑う声が聞こえた。


「嘘ですよね。私のことを女として意識してるから、こんなにドキドキしてるんですよね」


 背中に温かい感触。璃亜が頬をくっつけて耳を澄ませている。

 心臓に鳴りやめ、これ以上動いてくれるなと強く意識をするたびに、その鐘の音は速く、そして鮮明になる。彼女が振れる背中に意識が集中する。


 璃亜の艶めかしい声が、余計に彼女を女だと意識させる。


 考えるなと思うほどに、脳は璃亜のことに侵食されていく。


「…………そんなことない」


「少し間がありました。蓮くん正直ですね」


 璃亜は蠱惑的に笑って、首の横から腕を通してゆっくりと抱き着いてくる。

 彼女の柔らかな膨らみが、背中で確かな存在感を主張していた。

 止めろという俺の意志と裏腹に、意識は背中から離れてくれない。


 それを分かってか、璃亜はからかうように俺を抱く腕に力を籠める。


「――――っ」


「私は今すごくドキドキしてますよ? 確認してみますか?」


「おい、璃亜…………これ以上は」


「これ以上は……なんですか? 本当に止めちゃっていいんですか?」


「止めた方がいいだろ、こんなのは」


「蓮くんの主観で答えてください。それを言えないってことは、そういうことってことでいいんですか」


 耳元で囁かれる甘い声。

 垂れ流されるように、沁み込ませるように、擦りこむように。


「ねえ、蓮くん。バスタオルの下、どうなってると思います?」


 璃亜は言葉を流すのを止めない。


「二択です。何もつけていないか、水着を着ているかです。蓮くんはどっちの方が嬉しいですか?」


 璃亜は俺の体から腕をほどき、距離を取る。

 その勢いでタオルの結び目が解けて、はらりとタイルの上に落ちた。

 タオルの先が足元、視界の端に映る。


「おい、璃亜」


 彼女は産まれたままの姿か、それか水着を身につけているか。

 俺が振り返るだけでその答えが分かる。

 たった一つ、その動作だけで俺らの関係性は変わりうる。

 俺が能動的にそれをしてしまったら――。


「――答え合わせ、しましょう」


 ひたり、と璃亜の素足がタイルを叩き、指先が俺の背中に触れる。

 扇情的で蠱惑的、そう感じてしまっている時点で、俺は璃亜を完全に妹だと思えていない。


 幸か不幸か。


「――きゃぁっ」


 璃亜はそのまま足を滑らせた。

 彼女もその余裕綽々の笑みの裏で、少なからず緊張感を覚えていたのか。

 足を滑らせた彼女は、そのままこちらに倒れ込んできて、俺の背中に額を力不強く打ち付けた。抱き留めようと振り向いたときにはもう遅くて、俺は璃亜に組み敷かれる形でもみくちゃになった。


「いったた……」


「璃亜!? 大丈夫か?」


 今までのやり取りも忘れて、俺は胸元で顔を歪める璃亜に声をかける。


「ご、ごめんなさい。蓮くんこそ平気ですか?」


 俺のことを心配して慌てて立ち上がる璃亜。

 見たところどこもけがはしていないようで安心した。

 そして、もう一つ、彼女の格好にも安心した。

 タオルを脱ぎ捨てた璃亜は、その下に水着を着ていた。

 可愛らしいフリルの付いた白のビキニ。


「俺は大丈夫だよ。ずいぶん過激な答え合わせだな」


「こ、そ、これは考えてたのとちがくてっ」


 璃亜の顔はよく熟れたリンゴのように赤く染まっていた。

 あわあわと両手を動かして取り乱し、口をぱくぱくと動かすもそこから意味のある音が漏れることはなかった。


 狼狽える彼女を見たら、なんだか急に安心してしまった。余裕が出た。

 ずっと後ろにいた彼女の表情を見ることはできなかったから分からなかったけれど、もしかしたら、ずっと顔を赤くしたまま背伸びしていたのかもしれない。


 そう考えたら、なんだか璃亜がすごくかわいく思えてきた。


 璃亜は年下の女の子で、何より妹であると、思い込むことができた。


「れ、蓮くんは、み、水着! 着てない方がよかったですかねっ!」


 顔を赤くしたまま、何とか強がる様子の璃亜。

 人差し指を突き出して、たどたどしく言葉を紡ぐ璃亜に、さっきまでの妖艶さはなかった。


「そうかもな、じゃあ、次は水着なしでお願いしようかな」


「なっ、あ……そ、それは……っ」


「ぷ、冗談だよ。ほら、俺は体洗ったらすぐに出るから、先に上がってろ」


 分かりやすく動揺する彼女が面白くて、思わず噴出してしまいそうになる。

 形勢逆転というやつだ。

 可愛らしく艶めかしい小悪魔を演じる余裕もなく、頭は回らず、目はグルグルと回っている。


「く、くぅ、蓮くんのくせに!! なんで急にそんな余裕あるんですか」


 璃亜の余裕がなくなったからだよ。


「ほら、出てった出てった。風邪ひくから体は拭いておけよ」


「ええ、わかりました。今日はこれくらいで勘弁してあげます! 蓮くんが限界のようなので仕方なくです! 覚えてろ、お兄ちゃんのばーか!」


 どこそのかませ犬のような捨て台詞を吐いて、璃亜は風呂場を後にする。


「はあ…………」


 大きく息を吐いて、崩れ落ちるようにバスタブに背を預けた。

 床には璃亜が身に着けていたタオルが落ちていた。


 ――嘘ですよね。私のことを女として意識してるから、こんなにドキドキしてるんですよね。


 璃亜の声が頭の中で反芻される。

 俺が思っていた以上に艶めかしく、女の璃亜の声。


「はあ……勘弁してくれ」

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