第23話「月とガーネットとアルエット(5)」
「まったく、本当に頑固だね、蓮きゅんは」
澪さんは異国の民族の仮面を取り付けて、茶化すような口調で言った。
璃亜と小町先輩が帰ったことで、店内にお客さんはいなくなった。
アルエットで澪さんと二人きりなんていつものことだが、騒がしい彼女たちがいたおかげで、静けさが鮮明だ。
「向こうの諦めが悪いだけですよ」
「でも、彼女たちの意見もわかるなあ、うんうん。この辺にドーンといい感じの絵があってもいいかもしれない!」
澪さんが壁の空いたスペースを両腕を広げて示す。
そこは、今彼女が被っていた巨大な仮面が飾られていた場所だった。
「そうですか? この店のイメージ崩れません?」
「そりゃ、いい感じに合う絵を描いてもらうさ。そうだ、特別に給料を払ってあげよう。絵って一枚どれくらいの相場かわからないけど、まあ、そこそこ高く買い取ってあげようじゃないか」
いいことをして思いついたと言わんばかりにまくし立てる。
きっと、前から考えていたことなのだろう。
澪さんがちょっと茶化しながら言うのは、照れくさいからだと俺は知っている。
「それなら、ウィンウィンだろ? 売上二倍は冗談だとしても、絵を描いてくれたら対価くらい払おうじゃないか。かけた時間×千円くらいなら、バイトしてるのと変わらないわけだし、問題ないよね」
「澪さん、あんまり俺を甘やかさないでください」
「子供は大人に甘えるのが仕事なのだぜ?」
「あんまり言いたくないですけど、そんなに儲かってないですよね? 普通にやとって貰ってるだけでもありがたいと思ってるんですよ」
「ありゃりゃ、バイトに売り上げの心配されてたらおしまいだ。ていうか、君が素直に感謝を口にするなんて珍しいこともあるものだね」
「いつも思ってますよ。澪さんがそんな調子だから、口に出しにくいだけです」
澪さんは仮面を外し、元あった場所にゆっくりと戻した。
短く息を吐いて、迷うような手つきでそっと俺の頭を撫でる。
いつものふざけたものとは違う不器用な笑みを浮かべた。
「じゃあ、その調子で少しの我儘くらい言ってもいいんじゃないの。ほら、お姉さん的には男子高校生に甘えられるのも悪くないと思ってるわけでさ、ね?」
「わからないですよ、甘え方なんて教わってこなかったんだから」
実の母のことなんてあまり覚えていない。
亡くなった父も、それまで仕事ばかりの毎日で、ろくに会話なんてしてこなかった。
累さんには、負い目しかない。
再婚相手の父が亡くなって、その荷物の俺だけが残ったんだぞ。
家にいさせてくれてるだけで、ありがたいに決まってる。
「蓮…………」
「俺、今の生活気に入ってますよ。ちょっと、行き過ぎではありますけど、璃亜とまた話せるようになったのは嬉しいですし、勧誘はしつこいですけど、小町先輩の明るさには救われてます。俺にはもったいないくらいの友人もいます。ほら、もう欲しいものなんてないでしょう?」
俺はどうして泣きそうになっているんだ。
今の言葉に嘘はない。本気でそう思ってる。
自分が不幸だなんて思ったことはない。
でも、涙が流れだしそうで、下を向いて奥歯を噛みしめる。
「蓮、何かを求めることは罪ではないよ」
「強欲は身を亡ぼすって言いますよ」
「いいじゃんか、それでも。滅ぶったって死ぬわけじゃない。若いうちは感情のままに動いて、その分後悔するべきだ。結局なるようにしかならないし、意外とこの世の中どうにかなるようにできてる」
諭すような優しい声音。
ちゃんと年上のお姉さんなんだと思える、そんな言葉だった。
「それに、何かあってもここに頼れるお姉さんが一人いたりするっ!」
でも、それとこれとは別だ。
璃亜と累さんには幸せになってもらいたい。
辛い思いはさせたくない。楽をして欲しい。
家族だから、家族のはずだから、家族の幸せを願うのは家族として当たり前のことだから。
「それでも無理ですよ。一度描き始めたら、多分俺は本気になっちゃうから。そんな器用なことはできません」
どこかで拾おうなんて覚悟じゃ、初めから手放してはいない。
「だから、あんまりいじめるようなこと言わないでくださいよ。悲劇ってほどのことじゃないでしょう?」
これは、ただ、俺がここに居ていいための最低限のことなのだ。
「ふぅ、ま、私の言葉じゃ届かないか~。あんま頼れるお姉さんって感じじゃないもんねえ」
「い、いえ、そういうことではなくて……いつもお世話になってますよ」
「私もそういうことで言ってないの! ま、でも案外大丈夫な気がするよ。ああ見えて君が思ってるより強い子だからね、璃亜ちゃんは」
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