第17話「兄を想う乙女の作法(2)・璃亜(妹)サイド」

 時は私が夜な夜なお兄ちゃんの部屋に忍び込み、愛を刷り込んでいたことがバレてしまった頃まで遡る。


 遂にお兄ちゃんにバレてしまった。

 一年以上気づかれることなく続けていて日課だったから、どこかで油断していたのかもしれない。

 冷静に考えれば、一年間気づかれなかったのは奇跡だったと思う。

 遅かれ早かれ、お兄ちゃんにはこの秘密を知られることになっていただろう。


 恥ずかしさと、緊張感、ちょっとだけ嬉しさもあって、でもやっぱり一番は恥ずかしかった。


 今まで冷たくされていた妹の奇行に、お兄ちゃんは困惑しているだろうか。

 それとも、案外全て見抜いていたりするのだろうか。


 どちらにせよ、私の気持ちがバレてしまえば、お兄ちゃんから嫌われよう作戦も意味をなさなくなってしまう。

 今思えば、そもそも意味のない行動だったように思えるが、それはとりあえずおいて置こう。


 私は誰かを頼ろうと思った。

 お兄ちゃんのことに詳しくて、お兄ちゃんのことを大切に思っている人。

 そうして、思い浮かんだのは、お兄ちゃんが家に連れてきた時に一度顔を合わせたことのある一人の先輩だった。


「――というわけで、何かいい案はありますか?」


 高校の最寄りから三つほど離れた駅のカフェ。

 どこにでもあるチェーン店のカフェに、私は三上先輩と向かい合って座る。

 特に長居するつもりもないので、互いに頼んだのはドリンク一杯のみだ。


 三上陽人みかみはると――お兄ちゃんの親友で、高校ではずっと同じクラスの先輩。

 先ほど提示した条件に彼ほど適している者はいないだろう。


「えっと、璃亜ちゃん? その格好には突っ込んでいいのかな?」


 私は深く帽子を被り、サングラスとマスクで完全に顔を隠していた。

 手元のオレンジジュースを飲むときも、マスクの下からストローを入れている。


「気にしなくていいですよ? お兄ちゃん以外の男の人と外出していると、お兄ちゃんに知られたくないだけです。本当は三上先輩とこんなところに来たくはなかったんですけど、お兄ちゃんのためだから仕方ないですね」


「璃亜ちゃん正直だね!? 俺そんな嫌われることしたかなあ……まあ、でもこんな可愛い子に罵られるのはご褒美?」


「そういうところですよ、気持ち悪い。あと、気安く名前で呼ばないでください」


 私は精一杯の笑顔を浮かべて言った。


 ちょっと顔がいいのは認めますが、ヘラヘラした軽薄な態度も鼻につきますし、そもそもお兄ちゃん以外の男とか興味ないですし、気持ち悪いですし、特にこの男は会話していて妙に腹が立ちます。


「うーん、これもあり!」


「……………………」


 本当に気持ち悪い。


 私の冷たい視線に耐えきれなくなったのか、先輩はおもむろに手元のコーヒーカップに口をつけた。


「まあ、その格好についてはわかったよ。まっ、蓮は青柳さんが誰と一緒に居ても何も気にしなそうだけどね~」


「余計なことは言わなくていいんですよ。頼む人を間違えたみたいですね、帰ります」


 そう言って、私が席を立つと、


「わー! ごめん、ごめん! 悪かったって。俺も蓮の力にはなりたいからさ」


 三上先輩は慌てて引き留めてきた。

 お兄ちゃんのためと言われれば、私も無視することはできない。


 大きなため息をついて、いやいや席に着く。


 そんな私を見て、ヘラヘラ笑う彼が心底気持ち悪いと思った。


「それでどうしたらいいですかね」


 三上先輩には、一通り事情は説明してある。

 お兄ちゃんの、というか青柳家の家庭の事情は元々知っていたようで、すぐに話を理解してくれた。元々、私の事情も知っていたんじゃないか、というくらいの呑み込みの早さで怖かったくらいだ。


「なるほど、なるほど。それで、蓮に冷たかったんだね。二人とも不器用だな~。蓮のやつ、璃亜が急に冷たくなったって結構落ち込んでる時期あったぞ?」


「それは……すごく申しわけない気持ちです」


「って、いいながら、青柳さんニヤけてない?」


「ウザいです、うるさいです」


「本当にお兄ちゃんのことが好きなんだね~」


「うぐ……」


「蓮のやつ羨ましいな。こんな可愛い妹に懐かれて。あ、蓮の教室での写真隠し撮りしてあげようか?」


「そうですよ、悪いですか! 私はお兄ちゃんのことが大大大好きですけど! 妹なんだから当たり前ですよね! お兄ちゃんが好きなのは普通のことですけど! 愛してるに決まってますけど! 今ままで仲良くできなかった分甘えたいし、甘えられたいですけどッッ!!」


「どーどー、ごめん、ごめん、俺が煽り過ぎた」


 三上先輩は若干引きつった笑顔で、私をいさめるように両手を掲げた。

 はて? 私はなにかおかしなことを言ったでしょうか。


「あと、お兄ちゃんの隠し撮りは是非いただきます」


「えぇ……冗談のつもりだったんだけど……ほんとに?」


「それをいらないという人類がこの世にいるんですか?」


「おぉ……うん、わかった。そうだね、気が向いたら撮っとくね」


「是非お願いします! 三上先輩の価値は正直それくらいしかないので!」


「キラッキラした笑顔で酷いこと言うね……青柳さん」


 この男、どうしてやろうかと思っていましたが、葬るのは早計だったようです。

 これはお兄ちゃんと同じクラスの彼にしかできない大役ですから。


「まあ、蓮にもっとわがままになって欲しいってのは俺も思うよ。今も絵を描きたがってるのは間違いないし」


「やっぱり、そうなんですね……」


「そっちに関しては俺に少し考えがあるんだ。蓮はなんだかんだ俺に借りがあるからね~」


 そう言って、三上先輩が仕掛けたのが、お兄ちゃんに部活勧誘のポスターを描かせることでした。

 その試みは無事成功し、本人がこれっきりだと言ってはいるものの、もう一度お兄ちゃんに筆を取らせることができた。

 これは大きな一歩だと思う。


「後は、一人面白い先輩が居てね」


「先輩、ですか?」


「その子、毎日、毎日、美術部に入らないかって蓮を勧誘してるんだよ。協力できると思わないかい?」


 彼女の名前は、花崎小町というらしい。

 美術部の部長で、コンクールで賞を取ったことがあるほどの実力だとか。

 たしかに、協力してくれるなら心強い。


「彼女の性格的に、協力を断るなんてことはないんじゃないかな」


「なるほど! でしたら、私から話しかけてみます!」


「後は……青柳さんがどうするかだね。もう、蓮を嫌ってないってことが本人にバレたんだろ? そしたら、今まで通りに接するのも不自然だ」


「それは……そうですね」


 だが、今更どう接すればいいと言うのだろう。

 いきなり優しくなるのは不自然じゃないだろうか。

 お兄ちゃんに引かれるのはちょっと辛い。


「普通に助けてあげたらいいと思うよ」


「ふつうに?」


「家事を手伝ってあげたり、とかできる範囲でさ。というか、最初から嫌われようなんて意味わからないことしないで、そうすればよかったと思うけどな」


「そんな……都合よすぎじゃないですか。今まで散々お兄ちゃんに冷たい態度取っておいて、急に仲良くしたいだなんて……そんなの許されないですよ」


「ぷ……くくく、はは」


 それを聞いて、三上先輩は肩を震わせて笑い始める。


「な、なんで笑うんですか!? 私真剣ですけど!」


「いや、ごめんごめん。二人とも兄妹なんだなって。似てるよ、無駄に意味わからないところで頑固で不器用なところが」


「くぅ……喜んでいいのかわからないですね、それは」


「許されないって誰にさ。蓮だって青柳さんと仲良くしたいって思ってる。それは保証するよ」


「でも……それでも……」


「自分が我慢することは相手を幸せにする手段じゃないよ。いいじゃん、今までの分も蓮を甘やかしてあげれば。かわいい妹に懐かれて嫌な気持ちになる男なんていないさ」


 そうなのだろうか……。


 私はお兄ちゃんともっと仲良くしたくて、力になりたくて、本当は冷たくなんてしたくなくて――私の好きに振舞ってもいいのだろうか。


 それで、お兄ちゃんは喜んでくれるのだろうか。


 もし、そうなら、これほどに嬉しいことは他にないと思う。


「…………わかりました。ええ、わかりましたよ! 元々好感度なんてないようなものですからね! 今までの分まで全力でいってやりますよ!」


「おー、その意気だ」


「あ、今回のこと絶対にお兄ちゃんに言わないでくださいね! 言ったらどうなっても知りませんからね?」


 そして、私は覚悟を決めたのだった。

 これまでの時間を埋めるため、何よりお兄ちゃんに幸せになってもらうために。

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