第16話「兄を想う乙女の作法・璃亜(妹)サイド」

 私はお兄ちゃんが好きだ。

 お母さんが再婚して、それから一緒に住むようになって、ずっとお兄ちゃんのことが好きだ。


 お兄ちゃんは優しい。優しすぎる。

 本当は私がお兄ちゃんを支えてあげたかった。


 母を亡くして、再婚した直後に実の父も亡くした。

 辛くないわけがない。

 自分がその立場だったらと考えたら胸が張り裂けそうになる。


 でも、彼は妹にカッコ悪いところは見せまいと無理して笑うのだ。


 大好きな絵も描かなくなって、家事を頑張って、家のためにアルバイトもしてくれている。


 私が中学二年生くらいの頃だったろうか。

 お兄ちゃんに言ったことがある。


「お兄ちゃん、家事くらい私に任せてください。お金だって……ほら、私高校行かないで働いてもいいしですし!」


「なに言ってんだよ、高校ちゃんと出てないと就職厳しいって聞くぞ」


「でも、お兄ちゃん絵は? もう描かなくていいの?」


「あー、もう飽きちゃったんだ。俺ももう子供じゃないし、絵描いてて何になるって言うんだよ。それより、家事やってたり、バイトしてる方が楽しいだけだよ」


 嘘だ。なんて分かりやすい嘘をつくのだろう。

 そうやって下手くそな笑みを浮かべるから、本心でないことなんてすぐに分かってしまった。


「私のため……ですか?」


「違うって。まあ、それでも妹を守るのはお兄ちゃんの役目だからな。なんか困ることがあったら頼ってくれていいからな」


 そう言って、兄はにししと笑って私の頭を優しく撫でた。


 両親を亡くして一番辛いはずなのに。

 塞ぎこんで周りにいる人たちに当たり散らしてもおかしくないくらいのはずなのに。


 どうして、彼はそんなにも優しいのだろう。

 優しくて、そして頑固だから、きっと私が何を言っても聞かないのだろうとも思った。


「私の……せいだ」


 私のせいだ。

 彼がやりたいことがでいないのは。

 本当は絵が描きたいはずなのに、私のために働いてくれている。

 私のために我慢してくれている。

 私がいなければ、兄が更に辛い思いをしなくて済んだかもしれない。


 もし、私が嫌な子だったら、お兄ちゃんは私のために自分を犠牲にしないかもしれない。

 私が嫌われれば、お兄ちゃんは自分のためだけに時間を使ってくれるかもしれない。

 私が大事な妹じゃなくなれば、お兄ちゃんは自由になれるかもしれない。


 だから、私はお兄ちゃんから嫌われようと思った。


 自分から話しかけることはしなくなった。

 お兄ちゃんから話しかけても無視するようにした。

 汚い罵声を浴びせた。酷いことをたくさん言った。

 バイト終わりで疲れ帰ってきたお兄ちゃんに酷いことをした。


 お兄ちゃんと呼ぶのも――やめた。


 それでも、お兄ちゃんはバイトも、家事も、私に優しくするのも辞めなかった。


 おかしいじゃん。こんな理不尽に当たられて、頑張ってるのに酷いこと言われて、普通だったら嫌いになるはずなのに……。


「どうして私のこと見捨ててくれないの…………」


 そうか、お兄ちゃんはこれくらいじゃ変わらないんだ。


 じゃあ、私が今までしてきたことはなんだったのだろうか。

 ただ、いたずらにお兄ちゃんを傷つけていただけじゃないのか。


 大好きなお兄ちゃんに、ただ酷いことをしていた最低な妹じゃないか、私は。


 溢れんばかりの彼への好意はいつからか漏れ出てしまっていて、お兄ちゃんが寝静まった頃、部屋に忍び込むようになった。


 素直に表に出すことのできなくなった好意を歪んだ形で刷り込んだ。


 寝ているのを確認して、彼の耳元に囁きかけるのだ。


「――お兄ちゃんは私を大好きになるお兄ちゃんは私を大好きになるお兄ちゃんは私を大好きになるお兄ちゃんは私を大好きになるお兄ちゃんは私を大好きになるお兄ちゃんは私を大好きになるお兄ちゃんは私を大好きになるお兄ちゃんは私を大好きになるお兄ちゃんは私を大好きになるお兄ちゃんは私を大好きになるお兄ちゃんは私を大好きになるお兄ちゃんは私を大好きになるお兄ちゃんは私を大好きになるお兄ちゃんは私を大好きになるお兄ちゃんは私を大好きになる――――私は、お兄ちゃんが大好き」


 お兄ちゃんに惹かれ始めたきっかけは、お兄ちゃんと仲良くなったきっかけは明確にあって――今でも覚えている。


 お兄ちゃんが私が好きだったマスコットキャラクターのにゃんすけの絵を描いてくれた。


 すごく上手で、手間をかけて一生懸命描いてくれたんだってことが分かって、照れながら片手でそれを渡してくるお兄ちゃんがすごく愛おしく思えて、それだけのことが今までで一番嬉しかったのだ。


 私が元々、兄という存在に憧れていたというのもあるかもしれない。

 お兄ちゃんは私がずっと思い描いていた、優しくて素直じゃなくて、でも、いざという時は頼りになる、お兄ちゃんそのものだった。


 あの時お兄ちゃんが私に描いてくれた絵は今でも大事に取ってある。


 私の一番の宝物だ。


「今度は今までの分まで私がお兄ちゃんを助けないと」


 私が少し素っ気なくしたくらいで、お兄ちゃんは変わらなかった。

 ただ、私が負担をかけていただけだった。


 だから、今度は私がお兄ちゃんを精一杯甘やかすのだ。

 私がお兄ちゃんを助けてあげるのだ。

 私がお兄ちゃんに幸せになって欲しいのだ。


 私はお兄ちゃんの妹だから――


「絶対に幸せにしてみせますからね、お兄ちゃん!」

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