第15話「妹の笑顔のたった一つの理由(2)」

 クローゼットの奥から、埃の被ったデッサン鉛筆を取り出した。

 随分と久しぶりに握るが、思ったよりしっくりくることに驚いた。


 別にポスターを一枚描くくらい、シャーペンで適当に下書きすればよかったはずだ。

 なんなら、下書きなんて必要ないくらいだ。


 それでも、俺はこの慣れ親しんだ鉛筆を手に取った。

 焦げ茶色のコーティングが成された、2Bの鉛筆。

 それはつまり、俺はこの依頼を口実だと思っているのだろうか。


 いや、これ以上考えるのは止めよう。


 デスクには高木さんから貰った一枚の画用紙が置いてある。


 百人一首バスケとは、簡単に言えば高木さんの作った創作ゲームらしい。

 数ある創作ゲームの中の代表が、百人一首バスケ。

 つまり、百人一首バスケ部とはボードゲームを始めとしたゲーム全般を作り、実際に遊んでみる部活らしい。


 そんな部活がよく生徒会から認可されたな……いや、今は認可前でそのための部員集めをしてるのだろうか。


「紙とペンなんて毎日見てるはずなのにな」


 俺は高校生だから、毎日授業があるわけで、授業にはノートとシャーペンを使うわけで、紙に何かをかくという行為自体は毎日してきた。


 それなのに、これから改めて絵を描くと思うと、違った高揚感が沸き上がってきた。

 高揚感……そうか、俺はやはり楽しいと思ってしまうのか。


 ――お兄ちゃん!


 幼い頃の璃亜の笑顔が頭を過る。


 気づいたときには鉛筆は画用紙の上を踊っていた。

 これが勧誘のためのポスターであることも忘れて、思いのままに鉛筆を走らせる。

 ただ、穏やかな心を持って思うままに鉛筆を泳がせる。


 無意識のうちに俺の口角は上がっており、心はここ最近ではありえないほどに晴れやかだ。


 そして、どれくらい時間が経ったかわからないが、しばらくして部屋のドアが開かれた。

 ぎぃと錆びれた音が鳴り、控えめに開かれたドアから璃亜が顔を覗かせる。


「――っ」


 俺は謎の後ろめたさを感じて、反射的に画用紙を隠そうとした。

 例えエ○動画を見ているところを見つかっても、ここまでの速度は発揮できなかっただろう。


 それでも遅かったのか、璃亜が実はもっと前からそこに居たのか、見られてしまっていたようで。


「蓮くん! また描き始めたの!」


「あ、いや……それは……その」


「美術部に入ったんですか? それともまた別の理由で? あ、もしかして愛する妹へのプレゼントだったりして!」


「これはちょっと、頼まれごとをして」


「なるほど、なるほど。でも、蓮くんがまた絵を描くようになってくれて私は嬉しいです」


 璃亜は両手を合わせて、心の底からと言った風に微笑んだ。


「嬉しい、か」


「はい! 絵を描いてるときの蓮くんいきいきとしてますからね! 普段の目つきの悪い感じも私的にはアリですが、やはり楽しそうなのが一番ですね」


「そっか……でも、描き始めたというか、これっきりだから」


「…………え?」


「いろいろあってこの絵は描くことになったけど、それだけだから。それ以上はもう描かないからさ」


「どうしてですか! 蓮くんの絵はこんなにも素晴らしいのに!」


 璃亜は大股で詰め寄ってくると、両腕の間に俺の顔を挟んでデスクを叩いた。

 ぷくぅと頬を膨らませている様は可愛らしいが、本気で不機嫌であることも伝わってくる。


「ただのラクガキだよ」


「蓮くんの絵は人を笑顔にします! 蓮くんにしか描けない魅力があります! 蓮くんの絵に救われた人も――います」


「大げさだよ」


「大袈裟じゃありません! これからご飯は私が作ります! 家事もします!あと、えっと……いろいろやります! ほら、時間が余りますよね? 絵、描けますよね!」


 璃亜は指折りで二つ数えて、具体的なものは思いつかなかったのか投げやりに拳を握り込む。切羽詰まった表情で力説する。


「そんなの申しわけないだろ。家事は分担すればいいし、どうしても璃亜がやってくれるって言うなら、俺はその分バイトを増やすよ」


「むぅう……っ」


「うちに余裕がないのは璃亜も知ってるだろ。少しでも累さんの負担を軽減したいしな」


「もう! 蓮くんの分からず屋! 頑固者! 童貞!」


「おい、最後のは関係ないだろ」


「いいです、いいです! これはまだ途中ですから!」


「途中? 何を言って……」


「蓮くんは足を洗って待っていればいいです!」


 璃亜は鼻息荒くそう言って、部屋を出て行ってしまった。

 何から足を洗うんだよ……洗う場所間違えてるだろ。

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