第11話「塩対応だった妹がいる俺のバイト事情(2)」

「彼女候補!? 何の話かな!?」


 アルエットを訪れた少女――小町はその小さな体を滑りこませるように店内に入ると、澪の先例に声を上げる。

 え、蓮くんって私のことそういう風に思ってたの? と言わんばかりの視線を向けられて、俺はなんとも居心地の悪い思いをする。


「多分、小町先輩は的外れなことを考えてると思いますよ」


「え、蓮くんは今日カレーを食べたかったの?」


 きょとん、とした顔で小首を傾げる小町先輩。

 どういう思考回路をしていたら、その結論に至ると言うのか。


「すみません、どうやら勘違いしてたのは俺の方だったみたいです」


「そう? うん、そういうこともあるよね」


 何やら、小町先輩は一人で納得したように頷いていた。


「いらっしゃい。君は、蓮のお友達なのかな?」


「はい、蓮くんの先輩の花崎小町はなさきこまちです! いつも蓮くんをお世話してあげてます」


 小町先輩は小さな体を大仰に動かして、ふんすとない胸を張る。

 そこはお世話になってます、じゃないのか。

 そして、お世話されたことは一度もない。


「……先輩?」


「あれ、おかしいな。なんでそこ疑問に持たれてるのかな? 年上の色気に溢れてるはずなんだけどな……」


 うーん、と首をかしげて唸る小町先輩。

 瞳のハイライトが少し減ったような気がするのは、本当に気がするだけだと思いたい。


「なんだ、蓮もちゃんと仲のいい女の子がいるじゃないか」


「いや、別にそんな仲良くもないですよ。なんというか、ストーカーみたいなロリです、彼女は」


「なんだかすごく酷いことを言われた!? ストーカーでもロリでもないからね!?」


「なるほど、幼女に付きまとわれてるなんて蓮もやるじゃないか」


「あれ!? 言い方変えただけでまったく誤解が解けてないな!? 私こんなにもお姉さんなのになっ!」


 小町先輩は、ぷくぅと頬を膨らませ、小さな体で精一杯抗議する。

 この態度こそ、ロリだなんだと舐められる原因の一つだと思うのだが、彼女がそれに気づくのはしばらく先のようである。


「そんなことより、先輩は何しに来たんですか」


「それは……なんか服を買おうかなって来たんだ。そしてら、偶然蓮くんが居たんだ! うん、本当に偶然!」


「俺がここで働いてるってどこで知ったんですか?」


「それは言えないけど、親切な人が教えてくれたんだ!」


「ほお」


「あ…………」


 正直で嘘の付けない小町先輩である。

 彼女はやってしまったと頭を抱えている。


「だって、蓮くんがRINE無視するんだもん!」


「あーすみません、スパムかと思ってブロックしちゃいました」


「本当に酷いことするね!? 君?!」


「まあ、さすがに冗談ですけど。何度来ても、答えは変わりませんよ」


 さすがにそろそろ諦める頃だろうと踏んでいたのに、小町先輩からは一向にその気配が見られない。

 何がそこまで、彼女を突き動かすのか。

 たかが、昔ちょっと絵を描いていただけの俺に何を期待していると言うのか。


「どうして? 蓮くんはまた絵を描きたいと思ってるんじゃないの?」


「逆に先輩はなんでそう思うんですか?」


「蓮くんが一度も描きたくないとも、絵が嫌いだとも言ってないからだよ」


「そんなの、たまたま口に出さなかっただけですよ」


「本当にそうかな? 蓮くんはあんなに楽しそうに絵を描いてたじゃん」


「俺が描いてるところなんて見たことないですよね」


「でも、君が描いた絵なら見たことがある。私が中学生の頃、美術展に展示されてた作品を。あれを見たら分かるよ、蓮くんは楽しんで描いてたよ」


 当時、少しだけ自惚れていたと思う。

 自分は天才なのかもしれないと思ったこともある。


 小学生の頃から美術教室に通っていた。

 なんとなく絵を描くことが好きで、なんとなく他の人よりうまくできたからって、ただそれだけの理由だ。


 小学生の頃から何度か賞を貰ったことがあった。

 中学生の頃に一度、一般の人も参加するコンクールで入賞したことがあった。

 小町先輩が言ってるのは、その時の絵のことだと思う。


 絵を描かかなくなった理由も、別に己の平凡さに打ちのめされたとか、真の天才を目の当たりにしてとか、そんな格好のつく理由じゃない。


 自惚れていたことは確かにあったけれど、別に他人と比べて絵を描いていたわけじゃないから、多分、そんな理由じゃ描くことは辞めなかっただろう。


 もっと、しょうもない理由だ。

 しょうもないけど、仕方ないと思える理由なのだ。


「だから、一緒に描こうよ。私、心の底から君の絵が好きなんだよ」


 嬉しくないわけがない。

 ここまで言ってくれる人がいるのは当たり前のことじゃない。

 褒められて不快になる人間なんているわけがない。


 小町先輩が言う通り、俺は絵を描くことが何より楽しかった。

 でも、それとこれとは別だ。

 だからこそ、戻るわけにはいかないのだ。


「ありがとうございます。でも、すみません、それでも無理です。今日は帰っていただけませんか――てぇ!?」


 なんて言うと、急に後頭部に衝撃が走る。

 慌てて振り向くと、そこにはむっとした表情の澪さんがいた。


「こらっ、なに勝手にお客さんを帰そうとしてるんだ」


「いや、でも……」


「君はいつから店長の私より偉くなったのだね? このお店では私の言うことが絶対なのだよ。わかるかね、少年」


「横暴だ……けど、まあ、今のはすみません。先輩も、言い過ぎました」


「え、ううん! 私は大丈夫だよ。逆に無理やりごめんね」


 小町先輩は困ったように笑う。


「さ、服を買いに来たって最初に言ってたもんね? この私が小町ちゃんに似合うものを選んでしんぜよう」


「わあ、こういうお店で買うのは初めてだからなんだか緊張するな」


 フレンドリーな澪さんに、小町もすぐに心を開いたようで、これは漫画ならそわそわ、わくわく、なんて描き文字が現れていたことだろう。

 澪さんが小町先輩に似合うものをピックアップして、小町先輩は気になったものを手に取って制服の上から合わせてみたりする。


「ねね、蓮くん! こんなのはどうかな?」


 小町先輩は、オーバーサイズのカラフルで派手なニットを合わせて、こちらに振り向いた。

 彼女の短い黒髪と、手に取ったニットがふわりと揺れる。

 ツギハギに彩られた明るい色がアートっぽい。


「普段の小町先輩のイメージとは違うけど、それが新鮮でいいですね。元がいいし似合うと思いますよ」


「元がいい……えへへ、そうかな、じゃあこれもアリだな。買っちゃおうかな」


 もちろん本心で言ったつもりだが、どこまでもちょろい小町先輩であった。

 壺とかを進めても平気で買ってしまいそうで心配だ。


 小町先輩はその後も、澪さんに勧められるままに何着か試着した。

 澪さんは人の懐に入り込むのが上手いけれど、それにしても小町先輩は純粋すぎではなかろうか。


 結局さっきのニットと、他に二着を購入した。


 最後に、


「私まだ諦めたわけじゃないからね!」


 なんてセリフを残して、店を後にするのだった。

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