9頁~~その日、僕はストーカーではなくなった~~

あの子を一目見た時から僕の心はあの子に囚われていた。

 大学のキャンパスを歩くあの子。講義中にうたた寝をするあの子。美味しそうに食事をするあの子。その全てが愛おしい。

 声を掛けられた時なんかは心臓が口から飛び出しそうになるほどだ。僕の目をジッと見つめてその小さな唇を動かす様なんて、あの子の意識が全て僕に向けられていて、あの子の全てを僕が独占しているかのような優越感にどうにかなってしまいそうだった。

 あの子を僕のモノにしたいという気持ちは日に日に強さを増していく。だけどその行為はあの子という繊細な芸術品を壊してしまう気がして僕はその気持ちを必死に押さえた。

 そうだ、僕はあの子をこの目に映すことができるだけで十分幸せなんだ。この幸せな日々を守る為だったら僕はなんでもしよう。あの子を守る騎士となろう。

 僕はその日からあの子を見守り続けるようになった。講義中も彼女から目を離さず、キャンパス内のどこへ行こうとも僕は彼女の後を追った。彼女が帰宅する時だって彼女の家が僕の住居の逆方向だろうがその帰路を見守った。彼女の両親はどちらも長期出張らしく、実家の一軒家で彼女は一人で暮らしている。どうやら玄関側の2階の部屋が彼女の私室らしい。彼女が帰宅してその部屋の明かりが灯ればその日の僕の使命は終わる。

 疲労は日々、蓄積ちくせきされていったが彼女の笑顔が見れれば、その声が聞ければ疲労なんて溶けて消えてしまう。そんな毎日が僕にとってはかけがえのない幸福だった。

 

 いつものように帰路を往く彼女の背を見守る。いつもの道を進み、いつもの橋を渡る。今日も彼女は無事に家に帰ることが出来た。

 そのことに安堵とささやかな達成感を得ながら玄関のドアが閉まるのを見届けて、いつものように自分の家に向かおうとしたその瞬間に悲鳴があの子の家の窓ガラスを突き抜けて聞こえてきた。

 あの子の声だ!そう思った時には既に自然と体が動き彼女の家に向かって駆け出していた。玄関のドアを開け放ち、靴を履いたままフローリングの廊下を抜けて階段を駆け上がる。その先にあるドアの一つが無造作に開け放たれていた。あの部屋にあの子がいるに違いないと確信して部屋に飛び込んだ。だけど、その部屋にあの子の姿は無かった。ベッドに机、本棚と化粧棚。どれも綺麗に整頓されていて荒らされた形跡はない。

 てっきり彼女の身に何かあったものかと慌てて飛び込んだものの、もしかして勘違いだったのではないか。しかし、あの時に聞こえた声が気のせいだったとは思えない。部屋の中で立ち竦んだままそんな事を考えていると、ふいに背後からガチャとドアの施錠の音が聞こえた。

 咄嗟に振り反ると思わず僕は絶句する事となる。

 ドアの前にはあの子がいつもの柔らかな笑みを浮かべて立っている。口角の上がった小さな唇が開くのを僕は魔力に魅いられたかのように見守る事しか出来ない。


 「やっと来てくれたね」

 「……え?」


 彼女が言ったその言葉の意味がわからない。彼女が僕を待っていたという事なのか?しかし僕は彼女と会うような約束なんてしていない。それどころか、たまに挨拶程度に話をするだけでまともに会話らしい会話すらした事がなかった。


 「なんでそんな不思議そうな顔をしてるの? 私に会いたかったんでしょう? 気が付いてたよ、君が私の事を気にかけてくれていたのを」


 彼女の笑みは瞬く間に恍惚の色を帯びていった。彼女の瞳が僕の瞳を捉えて彼女は少しづつ僕へと近づいてきた。どうやら彼女は僕の好意に気が付いていたらしい。その事実に僕はどこか歓喜のような感情が湧き上がってくるのを感じていた。しかし、だからといってそれが今回の事とどう関係しているのか理由は分からない。僕は素直にその真意を彼女に聞いてみる事にした。


 「あはは……バレてたんだね。だけどさっきの声はどうして? あれは君の声だったよね?」

 「いい演技だったでしょ」

 「演技?」


 僕がそう疑問を口にすると、目前まで近づいてきた彼女はそっと僕の両手を包むように握った。心臓が口から飛び出しそうになる。彼女の体温が直接感じられる事に僕は思わず気が遠くなりそうだった。

 彼女は僕の顔を覗き込むようにして上目遣いで見つめてくる。


 「私、待ちくたびれちゃったよ。ずっと家まで付いてきているのに訪ねては来てくれないんだもん。ね、ずっと私の事を見守ってくれていたんでしょう? やっぱりキミは私の騎士だったんだ」

 「え……それも気づいてたの?」

 「最初から全部知ってたよ。初めて貴方の事を見た時から私は確信してたの。この人は私の運命の人だって。そうしたらやっぱり貴方は私の傍を離れずに見守ってくれていた。ああ、やっぱり私は間違ってなかったって。私はずっと貴方の事ばかり考えてた、ずっと一緒に居たいって、だから家に来てくれたらいいのになって。でも……」


 彼女の様子は明らかにおかしかった。僕に縋り付くように体を寄せたまま、永遠と言葉を紡いでいく。彼女の言葉は嬉しかったけれど一先ず、彼女を落ち着かせようと声を掛けようとしたその瞬間に腕に冷たい感触が伝わった。

 思わず自分のその腕に視線を向けると、そこには手錠が繋がれていた。


 「全然来てくれないからこうして私から貴方を呼ぶ事にしたの。えへへ……漸く来てくれたね。これでずっと一緒だ。もう離さないからね」


 そう言って彼女は困惑する僕を床に押し倒して、そのまま次は両足を手慣れたように両足をロープで縛りあげていく。身動きが出来ない僕の顔をあの子が優しい笑みを浮かべて見つめている。ああ、なんて事だ。僕があの子を愛していたように、あの子も僕の事を愛してくれていたのだ。随分と遠回りをしてしまったけど僕たちはもう既に愛し合っていたのだ。

 僕はそうして漸く、彼女のモノになる事が出来たのだ。

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