2頁~~発言文字数制限~~

20XX年、突然全世界で『発言文字数制限』が発令された。

 長年人類は言葉を発し続け、ついに地球の言葉の許容範囲が限界を迎えてこのままでは世界は溢れた言葉に飲み込まれてしまうらしい。

 その結果、人類は一日当たりの声に出して良い文字数を制限することによって急場をしのごうと考えた。

 言葉を話す。そんな当たり前のことが規制されると知った人々は当然その規制に異を唱えたが、度重たびかさなる言葉の洪水、言葉の雪崩を目の当たりにしてその方針に従いざるを得なくなっていった。特に、文字数制限を超えることに対して厳しい罰則が設けられたことによって、この発言量を制限するという生活はあっという間に新しい日常になった。


 朝、目が覚めると、テレビ、ネット、様々な媒体で今日一日の発言許可文字数が発表される。スマフォの画面に映し出されたのは仰々しいフォントの5000文字という表示。ピロンという電子音と共に義務としてスマフォにインストールしてあるアプリ『発言量カウンター』が更新され、0/5000という表示がされる。言葉を発言する度に自動的に声に出した言葉の数がカウントされていき、制限文字数を超えると自動的に警察に通知が行って確保されるという代物だ。以前はもっと大きな数字が表示されていたが、ここ最近はめっきり数字は小さくなってしまった。

 街では人々が限られた文字数の中、様々な会話を交わす。


 「おは」

 「とりま、飯」

 「なにそれエモ」


 少ない文字数をやりくりして少しでも会話を楽しむ為に人々は様々な工夫をらして文字数を減らしていった。街中に流れる音楽はインストゥルメンタル。今の主流はボーカルなしの曲ばっかりで、歌を歌うのは破滅思考の持ち主だけだった。

 映画やドラマは無声が主流で、全ての監督がとにかくド派手なアクションを探求していった。昨年のカンヌ国際映画祭ではサメ映画がアカデミー賞を見事取得していた。その絵面だけで人々を楽しませる所が評価されたらしい。

 一際人気を博したのは漫画や小説など、発言量に縛られることなく楽しめるものだった。その為、文字を書くという文化が評価され始め、人々にとって文字を書くという行為はより身近なものへとなっていった。今ではお互いに自分の書いた文字を見せ合って会話をする者まで出始めたほどだ。


 そのうちに人々は声を使って会話しなくとも文字だけで十分コミュニケーションが取れるということに気が付いた。そうなればもはや発言文字数制限など気にする必要などない。

 人類の会話コミュニケーションはあっという間に言葉から文字へと取って代わられた。今では対面でもメールやSNSで会話をするのが当然となった。


 「…………」

 「…………」

 「…………」

 「…………」


 街ではスマフォの画面を凝視した人々が無言で行き交っている。世界から『声』は失われたが、人々の会話は以前よりずっと盛り上がっている。

 文字であれば手っ取り早く世界中の誰とでも交流が可能な上、言葉では言いづらかったことでも文字にすれば安易に言うことができたからだ。人々は以前よりもずっと本当の自分をさらけ出すことができるようになっていた。

 人類は、会話コミュニケーションが声から文字へと移行できたように、更に文字よりも円滑にコミュニケーションがとれる方法がないかを模索していた。その結果、顔文字が最有力候補として挙げられた。文字だけでは伝え難かった感情も顔文字ならば安易に伝えることができたからだ。

 人類は顔文字を駆使することによって多種多様なコミュニケーションを瞬時に取ることが可能になったが、人類の探求は止まらない。人類のコミュニケーションはついに文字も顔文字もいらなくなった。コミュニケーションを短縮し続けた結果、綿密なコミュニケーション自体が不要だと結論付けられたからだ。

 

 今では人類は最低限のジェスチャーだけで自分の意志を伝えている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る