第3話 街明かりの隣で ①


 レイがかんぬきを外して扉を開くと、すっかり暗くなった戸口に男女が二人立っていた。

 先ほどの声の主であろう男は大柄な体に分厚いプレートアーマーを着込み、片刃の大剣を背負っている。伸ばした髪を後ろ手にまとめ、無精ひげを生やしたその風貌はいかにも冒険者然としていた。

 一方女性の方はと言えば黒いドレスに白地のエプロンと言う、明らかにメイドの格好をしている。青みがかった黒髪を肩口で切りそろえたこの辺りでは珍しい東方由来の顔立ちなのだが、不思議と存在感の薄い印象を受けた。 


「夜分に申し訳ない。うちの仲間が訪ねてって…やっぱりいたか」 


レイの背後にお目当ての人物を見つけたのか、男は呆れ半分、安心半分といった様子で息を吐いた。


「あなたたちは?」


「ああ、悪い紹介が遅れたな。俺はエイリーク、でこっちがシーリン。そこにいるメルの仲間…いや、どちらかと言えば保護者か。そんな感じだ」


「ちょっと、何で言い直したの! 保護者じゃないでしょ!!」


「なるほど、保護者」


「レイも真に受けないでよ!?」


 頭越しのやり取りに悲鳴を上げるような調子でメルが割り込むも、双方の認識は既に一致してしまったらしい。


「とりあえず、ここで立ち話っていうのも悪いから」と、中に招き入れようとしたレイだったが、エイリークはそれを固辞するように手を振った。


「いや、すぐに引き上げるからそれには及ばない。これ以上オタクらに迷惑かけるわけにはいかねぇよ」


「分かった」


 その言葉にレイも素直に頷く。


「おいメル。目的は大方済んでんだろ?もう遅いから帰るぞ」


「嫌。まだ話の途中だもん」


「嫌、じゃない。これ以上遅くなったら俺たちの腕じゃ身動き取れなくなる。この人数で人様の家に厄介になるわけにはいかねぇだろ」


「え~、でも…」


 助けを求めるようにレイの方を振り向くと、レイは見たことも無いような笑顔を浮かべてこちらに顔を寄せてきた。


「メル、届け物のことは素直に感謝してる。でも、ここがどういう場所なのかは伝えただろ? もう帰るんだ」


「あ、はい…」


有無を言わせぬ圧力を感じたメルは、素直に頷くことしかできなかった。

 さっと椅子から立ち上がったメルはそそくさと仲間の待つ玄関まで移動し、レイたちの方へ体を回した。


「それじゃ、長々とお邪魔しました。とりあえずマントと袋を届けられて良かったです」


 部屋の二人を見回しながらそう言った。


「ああ。でも、もうこれっ切りにしよう。お互いのためにも」


「………」


 メルは小さく頷き、少し寂し気な色を残しながらも笑顔を浮かべた。


「じゃ、さよなら」


「さよなら」「じゃあねー」


メルは軽く手を振って、戸口から姿を消した。


「世話になった」


「問題ない。帰りも気を付けて」


エイリークは一瞬メルを目で追ったが、すぐに視線を戻してシーリンと共に頭を下げた。レイがそれに答えると、二人も頭を上げてメルの後を追って戸口を離れた。

 

 

             ☆

 

 

「行ったわね」


「…ああ」


 しばらく暗い闇に視線を投げかけていたレイにクリスが声を掛ける。レイは静かに扉を閉め、閂を差し込んで施錠した、


「良い子だったじゃない」


「クリスにとってはご飯おごってくれる奴は誰でも良い奴だろ?」


「別にそれだけじゃないし…。まあ大事な要素ではあるけどね?」


 クリスは頬杖をつきながらテーブルの上にある袋を見やった。と、当の袋がゴソゴソと動き、中から毛むくじゃらの鼻が顔を出した。


「あら、モップ。そんなところにいたの?」


のそのそと姿を現したのは、小型犬ほどの大きさの小動物だった。モップと呼ばれたその動物は茶色く長い毛を引きずりながら出てくると、しきりに袋の中の匂いを嗅ぎ始めた。


「何よ、出てきたと思ったらすぐご飯?食い意地張ってるわね」


その様子に頬を緩ませながら、クリスが携帯食の包装をといてモップに差し出す。するとモップは飛びつくようにしてそれを食べ始めた。


「知らない人が来てずっと隠れてたから、空腹だったんだろ。相変わらずビビリだな」


 そう言いながらレイもモップに触れようと手を伸ばしたがーーー


「っ!? ムウゥゥ!」


途端にモップは両足を突っ張るように立ち上がり、レイを威嚇し始めた。


「はいはい、悪かったよ。もう触らないって」


 その様子に、レイは手を引っ込めると両手を上げてもうちょっかいをかけないことをアピールする。それを見たモップは一度荒い鼻息を吐くと、再び食事へと戻った。


「どうせ触れないのによく毎回毎回チャレンジするわね」


「…そうだな。ほんと何様なんだか…」


面白くなさそうに俯いたレイから手元に視線を戻したクリスは、空気を切り替えるように全く関係の無い話題を始めた。


「あんたがあっちこっちで遭遇した挙句にこんなところまで来たから、最初はけっこう警戒してたんだけど。あの子はたぶん、何も無いわね」


「…そうだと思う。彼女の仲間も普通だったから」


「そうね。今時驚くくらいまともだったわ。ずっと警戒しっぱなしだったけど」


 態度にこそ出てはいなかったが、レイたちと対面していたエイリークとシーリンの二人は終始緊張していた。けれどそれは、こちらが動けば即座に対応できるように、という種類のものであると感じられた。クリスも同様の印象を抱いたのなら、自分たちに向けられた刺客の類ではない、という所感の信憑性は高いと考えて良さそうだ。


「あのおじさんはなんか慣れてたから、前はどこかの騎士様だったんじゃない?」


「俺もそう感じた。女の方は気配が薄すいのが少し気になったくらいだな」


 案外、斥候の類いなのかもしれない、と結論付ける。


「この場所を特定したのもあの人かもね」


「かもしれない」


 クリスのそんな予想にレイは素直に頷いた。


 しみじみと語る二人の雰囲気は、メルたちがいた時では見られなかった穏やかさがある。二人は会話の余韻に浸るようにしばらく黙っていたが、やがてクリスが口を開いた。


「で、どうするの?ずいぶん良い子たちだったけど」


 その問いは、二人の間で交わされた会話の中で最もまっすぐな言葉だった。


「……分からない。けど、俺たちが関わるべきじゃないって気持ちは変わらない」


その答えを受けても、しばらくの間じっとレイの横顔を見ていたクリスは、やがて静かに息を吐いた。


「…そう、かもね」


 一心不乱に口を動かしていたモップは全て食べ終わってしまったらしく、いつの間にかクリスの手元で丸まり、静かな寝息を立てていた。



             ☆



 メルたちは、ゆっくりと夜道を歩いていた。入った時と同じように壁を越えて一度街の外へ出ていたため、彼女らの行く道を照らすのはささやかな月明かりのみだった。


 メルをはじめとする冒険者たちにとっての総本山、ギルド・シティは、山地を背に大きく曲がった川がつくったデルタ地帯に存在する。しかしこの街からレイたちが住む区画は隣り合っているにも拘らず直接行くことはできない。それはレイが行っていた通りだ。

 逆三角形を成した町の右上、方角にして北西の崩れた壁から抜け出したメルたちは一度渡河すると、川岸に沿って続く城壁を伝うように南側の城門を目指した。古い城塞を再利用したという街は、夜分だというのに対岸からでもその盛況さを窺うことができた。


「満足したか?」


 ふと、エイリークがメルに尋ねてきた。


「分かんない。ちょっと初めて知ったことが多過ぎて」


「ってことはそれなりに話すことはできたみたいだな」


「うん。それはたくさん。札付きのこととか、あの場所のこととか…。エイリークは札付きが刑罰の一種だってこと、知ってた?」


「まあ、職業柄関わることはあったな。シンプルに頭のおかしい奴から、複雑な事情に振り回された奴まで色々いたが、正直あんまり関わり合いにはなりたくなかった印象だ」


 ただ、そう言う意味だと、とエイリークは言葉を重ねる。


「さっきの連中からはそういう嫌な感じは無かったな。訳ありなのは間違いなさそうだったが。そこんところどうなんだよシーリン」


「生憎と、そういった事情まで調査することは出来ませんでした」


水を向けられたメイド姿の女性は静かな口調で答えた。


「貴方の見立て通り何事かを抱え込んでいるのは間違いないと思います。しかし、かなり厄介な対策がされていることが窺えましたので、下手に触れればただでは済まないかと」


「それは触れないで正解だな。ようやく冒険者に転職できたってのに、なって3ヶ月で面倒に巻き込まれるのはごめんなんだが…」


言ってから、エイリークは言葉を切る。その視線の先には目前に迫った城門を黙って見上げているメルの姿があった。


「さて、これからどうなっていくんだろうな」


 その小さな言葉は恐らく彼女に届いていないだろう。賑わいを見せる夜市の明かりに照らされたメルの顔からは、まだ何も読み取ることは出来そうになかった。


 

             ☆

 


 翌日。前日の変な時間に寝てしまったこともあり、レイは普段に比べてすいぶんと遅い時間の起床となっていた。窓から差し込む強い日差しは、既に太陽が昇りきっていることを示していた。


「あ、おはよう」


「…おはよう―――え?」


 頭を掻きながら居間への扉をくぐったレイに声が掛かり、寝ぼけた頭ながらも返事を返した―――のだが、返してすぐに違和感を覚えて食卓を見る。そこには…


「お邪魔してます!」


「おはよ~、レイ」


 呑気に挨拶なんてしている同居人は良い。いや、状況的によくは無いが。そんなことよりも見覚えのある戦闘服に身を包んだ小柄な少女の存在の方がずっと問題だ。


「どうして、君が…」


 昨日の夜にあれだけ言い聞かせて、もう来ないという言質を取ったはずの少女、メルが元気な笑顔を向けていた。 

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